7話
『誓約書』にサインしたところで、翌日から何か変わるなんてことはなかった。
昼休み。
食ことを共に終えた私と東頭さんは、図書室に来ているのだった。
「おっ。星乃? 今日はどんな本を借りるの?」
「そうですね……やはり、ミステリーですかね」
一日で解決するとは思ってはいなかったけど、それでも、あれだけ期待を持たせたのだから、何かあってもいいと思うのだけれど、しかし、何も変わった様子はない。
私の隣で、何かおすすめの本を聞いてくる東頭さん。
私は一週間に二回は図書室に通っている。
読むペースは速くないのだけれど、休み時間、本を開くという行為は、周りを拒絶することに等しい。ようするに、本に興味を持つということは、周りの人間に、世界に興味を持っていないとアピールになるのだ。
(東頭さんには、そんなアピール通用しなかったんだけど)
それどころか、開いた本によって――彼女に距離を詰められてしまったのだ。
私は東頭さんとの馴れ初めを忘れたくても忘れられずにいた。
入学して一週間くらいだったころだった。まだ、人間関係も出来上がってなく、クラス全体が高校生活を手探りで過ごしていた時――、
『ああ、そのページ。ひょっとして、西野維吾の本じゃん!』
と、フレンドリーに話しかけてきたのだった。
たった二ページ。
そのページに掛れていた文字の羅列を見ただけで、彼女は私の読んでいる本が何かを当てて見せたのだ。
まあ、二ページともに『死にたい』を連呼させる小説家は、今を時めくエンタメ作家、西野維吾以外にはあり得ないだろうけど。
最近、ドラマやアニメ化など映像化されることも多く、その名を見る人は多くなっているけれど、大抵の人は、ドラマの原作が誰かなど、気にもしていないのか、あまり人気は変わっていない気がする。
そんな人気作家が私と東頭さんを繋いでいるのだ。
人と人との繋がりは欺瞞にしか過ぎないと、西野維吾が語っていたのを東頭さんは忘れてしまっているのか。
だけども、
「うーん、まだ一話しか見てないけどさ、やっぱ西野維吾の本は活字じゃなきゃ、面白さは伝わらないんだよね」
と、東頭さんは語るのであった。
図書室の入り口に置かれていた映像化コーナー。
そこに置かれていた西野維吾の本を手に東頭さんと話す。
「私、まだ見てないのですが……」
「意外だねー。星乃はリアルタイムで全話を見てそうなタイプだけど」
「……私は録画して全部まとめてみるタイプなんです」
「そうなんだ、なんかこだわりあるの?」
「ないですけど……」
ちらりと私はカウンターにいる図書室の生徒を見る。
図書室では静かにするのがマナーであり、本とは、静かに読むものだ。読書家として当然のルール。
今日はそれほど図書室の利用者は多くないものの、私たちを迷惑そうな表情で一瞥する生徒は委員の方だけではなかった。
東頭さんはそんな視線には目も暮れないけれど、メンタルの弱い私には耐えられない。
「あ、あの……とりあえず、お互いここからは別行動ということにしましょう」
強引に会話を断ち切り、私はそそくさと奥にある棚へを目指す。
その棚はなにやら図鑑が並べられていた。私は何も図鑑に興味はないのだけれど、とにかく、少しでも人の視線から離れたかったのだ。
(落ち着け、落ち着け)
私は自分の胸に手を当てて、自分に言い聞かせるように呼吸を整える。
「なんで、図書室では喋らないって簡単なルールが守れないのでしょうか」
棚に隠れた私は、東頭さんのマナーの悪さが信じられなかった。
図書室は聖域。
それを汚されてしまった。
誰に聞こえるまでもないと思ってはいたのだけれど、棚の影に寄りかかり、私の言葉を聞いていた生徒が一人――いた。
「全く、何でルールも守れないのか、俺はそれが疑問でしかなたい」
「は?」
物陰から現れたのは、眼鏡をかけた、いかにも優秀そうな男。
背も高くすらりと伸びた手足。
言い方は悪いかもしれないのだけど、東頭さんと一緒で、図書室に通いそうな生徒には見えない。
休み時間も勉強してそうなタイプ。
「しかし、周りから見たら、お前もその仲間であることを忘れてはいけないと思うがな」
そんな風に、面と向かって警告されると、私は俯くしかできない。
周りから見たら、私も東頭さんの仲間であることに変わりはないのだ。
(はぁ)
結局自分も同じなんだ――嫌いな人間と。
「まあ、そんながっかりするな、ほしのん」
ほしのんと、昨夜、年下にしか見えない先輩につけられたあだ名を、眼鏡の位置を直しながら男は呼んだ。
私は思わず、
「ほ、ほしのん!?」
大きな声を出してしまった。
慌てて、口を押さえるが、そんな行動を取っても遅いのだけど……。
「ああ、そう呼んでほしいと、いまるに言ったのだろう?」
「言ってません!」
今度は声のボリュームに気を付けて眼鏡の男に反論する。
何を勝手なことを伝えているのだ、あの悪魔め。
顔が可愛いだけに憎さ百倍だ。
「俺は柳 零。いまるの仲間だ」
私の必死な態度にも冷静だ。
「はぁ……」
優しそうな外観とは裏腹に荒い口調の零さん。
「いまるは頭は良いのだが、性格が悪いのが欠点だな」
自分が騙されて良い気がしないのか、愚痴を零す。
いまるさんと違って、話を聞いてくれる性格のようである。いまるさんがあれだけ疲れていたから、どんなものかと構えていたのだけど、思いのほか普通人だ。
「いまるさんの仲間ということは、私の願いを叶えに来てくれたんですよね?」
だったら、こんな恥ずかしい思いをさせた東頭さんを、今、この場で懲らしめて欲しい。
「まあ、それが依頼だからな。だが、何も今日、何か行動を移そうと決めている訳ではない、ただ、俺は様子を見に来ただけだ」
今日、特に何かをする気はない。
願いを叶えてくれるための、方法を考えるためだそうだ。
「……ですよね」
「大体、解決は最低でも一か月前後かかると、いまるの口から説明されているはずだが?」
「それは聞いてませんよ?」
「あのバカ……」
今日は痛い目を見せなきゃいけないみたいだなと、ゴキゴキと指を鳴らす。
片手だけで指を鳴らせる人を私は初めて見た。
しかも、相当に勢いよく音がなっている。
ただ、
「あの、指の音が図書室に満ちてしまっているのですけど?」
「あ……?」
いまるさんのことを悪く言うが、しかし、零さんもどこか抜けているようだった。
◇
「ここなら、落ち着いて話が出来るだろ」
零さんに連れてこられた場所は中庭。
校舎と校舎の間に置かれている木製のテーブルやベンチは、用務員の方が毎日丁寧に吹き上げているのか、常に新品のようである。
見上げる空に雲はない。高く上った太陽から眩い光を反射させていた。
「……」
落ち着いて話が出来ると零さんは言うのだけれど、私からすれば落ち着ける場所ではない。
中庭は言うならば――リア充のたまり場でもある。
たまり場は、今日も中庭は通常営業しているようで、髪の明るい先輩や、その先輩を慕う後輩たちが、声高く話していた。
(これならまだ、図書室の方が落ち着いたよ)
零さんはこの中を平然と何で平然としているのだろうか。零さんだって私と同じで根暗の住人のはずでしょう?
零さんを勝手に根暗だと決めつけた私。
零さんは優等生に見えるだけで、別に根暗ではないんのだろうけどさ。
「それで、お前――なんで友人と縁を切ろうと何てしているんだ? 俺みたいな人間からすれば、お前のその普通の友情は羨ましい限りだが?」
校舎の陰になっているためか、この時間でも空いていたベンチを見つけた零さんは腰を下ろした。
「それは――零さんだって見たでしょう? さっきの行為を」
図書室に入っていきなりおしゃべりを始めた東頭さんをだ。彼女も本が好きなのは理解しているし、趣味が合いそうだとも思う。
けど、その趣味が合うとか思ってしまう自分が嫌いなのだ。
「そうか? 楽しくていいだろう?」
私が嫌いなのは『楽しい』とかいう、至極どうでもいい感情ではない。
私が嫌いなのは……。
「……零さん。零さんは朱に交われば赤くなる。と言う言葉を知っているでしょうか?」
「ああ。それくらいは知ってる」
「私は、この言葉が嫌いなんですよ。朱に交われば赤くなる。それは要するに、人間を表しているのだと、私は思うのです」
人間は人間にに影響されるんです。
零さんの隣に私は座りながら言う。
「私にとって人生とは――」
自分の評価は他人が決めて、他人の評価は他人が決める。
それが人生。
ならば、そこに自分の、『個』が入り込む余地などないのである。『個』があると正当な評価が出来ないのだ。大抵の人間は比べることでしか評価が出来ない。
だからこそ、『個』なんて不必要なものなのだ。
それなのに、『人』に影響された何かを目指してしまう若者が、多くいるが現実だ。
「朱とは赤ではなく――『主』つまりは人であると、私は言いたいのです」
「ほう、それで?」
私の話を頭ごなしに否定するのでもなく、同意するでもなく、零さんはもっと話をしてみせろと、私を促した。
「主とは、偉大なる人です。そして、彼らに憧れ、夢を見て自分の人生を無残に散らす若者を見て、私は常に心を痛めています」
自ら染まりに行くのは自殺ではないのかと。
誰かに影響され、そして飽きて、また次の何かに憧れる。
そんなことを繰り返したのでは――自身の色は真っ黒になる。
黒く、何も見えない人間になってしまう。
「だからお前は、友人との縁を切りたいと」
黒くなれば、確かに『個』は薄れるだろうけど――私はそこまで落ちたくない。
人として真ん中でありたい。
それが私の願いなのだ。
「はい、私は私のままでいたい」
しかし、零さんは、
「けど、お前が本を読む行為も、影響を受けていると俺は思うが?」
私の腕に抱えられている二冊の本を指差す。
今日、帰そうと思ってたのだけど返せなかった本。
東頭さんに見つからない様に図書室から出るには、そんな余裕がなかったのである。
一冊は海外で人気だというミステリー。
そして、もう一冊は――『西野維吾』である。
私は、図書室で本を借りる時、二冊のうち一冊は、西野維吾が画いた物語を借りるというマイルールを自分に課していた。
本を読むのは面白いけれど、西野維吾さん以外の影響を受けたくない。だから、口直しとして、決まって西野維吾さんの本を最後に読むのだった。
「西野維吾さんは、唯一私を染める純粋な色ですから……」
黒では無くて――自分が選んだ色。
私はその色に染まりたい。
「それは、お前が大嫌いだという、憧れて夢を散らす人間たちと同じじゃないのか?」
零さんの疑問にも、
「私は違います」
きっぱりと、余地もないほどに私は否定をする。
私は、憧れたりはしない。
目指さない。
ただ――悟るだけだ。
世界の差は埋められないと。
「それに、西野維吾さんが、私にこの感情を教えてくれたんです。だから、特別なんです!」
この人間が生きる上での『真理』を西野維吾さんが教えてくれた。
だから……特別なんだ。
「ま、人間は皆そう言うんだ。これは『特別』、あれは『例外』だとかよ」
人間は少なかれ影響を及ぼすのだから、自分で選り好みなんかできねぇんだ。
零さんは眼鏡を外した。
(眼鏡はずすと結構印象変わるかも)
眼鏡を外すと、それこそ少女漫画の主人公(?)みたいに変わって見える。零さんは女性ではないけど、私が言いたいことは分かるだろう。
ギャップが凄い。
先ほどの優等生な雰囲気から――ワイルド系男子へと変わっている。
「ただ、俺が言えるのは――人に与える影響をしっかりと考えろってことだ。大きくとも小さくともだ」
零さんの言葉を――私は甘んじて受け止めるのだった。