6話
「東頭 文乃? ふーん。分かった、その人との縁を切ればいいんだね?」
いまるさんは、私の願いを聞いても、ことも無さげにソファから立ち上がった。
教室に置かれていたデスクの引き出しから、一枚の紙を引き抜くとそれを持ったまま私に手渡した。
この教室には机が二つ置かれている。
一つは先ほどいまるさんが紙を取り出した銀色のデスク。
そしてもう一つが、ソファの前に置かれている、机である。四本の脚や、机の縁に掘られた彫刻は、アンティーク漂う気品あふれる机だ。
「簡単に言えばそうですけど……」
簡単にできないから、こうして、お願いしに来ているのに……。
受け取った紙はA4サイズ。その紙面には、無数の文字が並べられていた。
一番上には『誓約書』の文字。
そして、最下段にはサインする欄が設けられている。
「誓約書って……」
「まあさ。簡単な願いでも、大変な願いでも、なんでもいいけど――取りあえず、僕たちに願いを叶ええほしかったら、その『誓約書』にサインしてよね」
いまるさんは机にボールペンを投げる。コロコロと転がったペンは、器用にも私の前で止まった。
私は自分の前で止まったペンへと手を伸ばそうとしたが、途中でその手をひっこめた。
「あの……サインする前に一つ聞いてもいいですか?」
「ふん? 一通りのことは『誓約書』に書いてあると思うけど?」
「いえ、まだ目は通してないんですけど」
「なら、早く読んでよね」
「ですから、その前に、いまるさんは、『僕達』とおっしゃているんですけど、その……願いを叶えてくれる人は、他にもこの場にいるのでしょうか?」
ひょっとして、この旧棟のどこかに居るのかも知れない。願いを叶えてくれるのだから、できれば、この目で全員を確認しておきたい。
内装を見ると、この旧棟に、いまるさんの他に人が居てもおかしくない。
それどころか、人が住んでいそうだ――。
(あれ?)
一人、首を傾げた私に、
「どうしたの? ほしのん」
と、私と同じように首を傾げるいまるさん。
だから、何で、同じ首を傾げる動作なのに、ここまで可愛さに差が生まれるのだろうか。いまるさん、なんか、年上の大人なお姉さんに人気がでそうな気がする。
「あの、いまるさんは、こんな時間にこの場所にいるということは、ひょっとして、ここに住んでいたりしますか?」
生活感漂う旧棟。
確か、下の階には調理実習をおこなう家庭科室があった。先ほど、暗号を見つける際に、窓から見えた教室の中に、調理できそうなスペースがあったのは確認済だ。
遠目からだったのと、暗かったことで、細かい部分までは見られなかったが、実用するには不自由がないだろう。
「はは、僕は住んでないよ。住んでるのは一人だけ。今日はたまたま、僕がこの部屋の管理番だっただけさ」
「はぁ」
少なくとも、一人はこの旧棟に居ることが分かった。
いまも、その一人はここにいるのかと聞こうとしたのだけど、
「ま、ほしのんの願いを叶える際には何かしら、協力はしてくれると思うから、その時まで合うのを楽しみにしててね」
純粋な微笑みを向けられてしまった。
その笑顔は反則だ。何も言えなくなる。
「……楽しみですか」
正直、こんな旧棟に住み着いている人間と会うことを、楽しみにしろと言われても、全然楽しみじゃない。
第一に、こんな学校の敷地に住み着いて、教師の方々は怒らないのだろうか?
私の疑問にいまるさんが、
「はは、怒る訳ないじゃん。教師は生徒の上に立ってるかもしれないけどさ、教師だって『誰か』の下に膝まづいているんだからさ」
「…………」
いや、恐れ多くも、私たちを教育してくださっている先生方を、私はそんな風には思えないのだけれど、いまるさんは違うようだ。
私もそんな風に思えたのならいいのに。
私の反応が良かったのか、いまるさんは言う。
「ほしのんは良い子だね。きっといいお嫁さんになるよ」
「はっ!?」
お嫁さん?
この私が?
一瞬、頭の中に真っ白いふわふわとした、やわらかいベールが何層にもなったウェディングドレスを身に着けている自分の姿を想像してしまった。
……想像して気持ち悪くなった。
「なんてもの、想像させるんですか……。吐き気が」
机に突っ伏す私。
「気持ち悪くなるって何を想像したの? あ……、彼氏さんのお嫁さんになるのが嫌だったとか? 上手くいってないなら相談のるよ?」
「私に彼氏がいるわけないじゃないですか。ただ、自分のウェディングドレス姿を想像したら、気持ち悪くなっただけですよ」
「女の子の夢じゃないの? ドレスって」
いまるさんの笑みが、引き攣っていたけど――気分がすぐれない私は、人の表情を細かく観察する余裕などなかった。
全く、私はドレスとかってキャラじゃない。
澱んだ目で、いまるさんの方を見た。
「ま、まあ、人それぞれだからさ」
しかし、焦点の定まらない私の視線は、最後まで引き攣ったいまるさんを捕らえることはなかった。
「と、とにかくさ、その紙に一通り目を通してよ。ここしっかりやらないと、うるさいんだよ……」
私は気を取り直して紙に書いてある文章を読む。
最初の内容は、こと務的と言うか、保身的なことが記載されていた。
たとえ、自身の願いがかなわなくとも、我々に責任を押し付けないこと。
たとえ、願いが叶おうと、無残に砕け散ろうとも、我々の正体を人に明かさないこと。
たとえ、何が起こっても、自分が願った結末だと受け入れること。
などと、あと、何点か箇条書きされていた。
(まあ、しっかりと管理をしないと、願いを叶える『秘密の部屋』なんて、実在していたら、すぐばれちゃうか)
『噂』で済んでいるのだから、それは徹底しているのだろう。
教師は『誰か』に膝魔ついているなんて、平然としてい言ってのけるのだ。つまり――この『秘密の部屋』は、教師よりも上の人間がいる、もしくは、上の何かが関わっていると考えて間違いはないだろう。
だが、それでも――、
『もしも、契約を破った場合、我々はどんな手を用いてでも君を追い詰める。それを覚悟してくれ』
と、『誓約書』とは思えない、荒々しい文章を見つけた時、私は背筋が寒くなった。文面から滲みでる迫力にだ。
「……」
複雑な感情を抱きながらも最後の数行まで読み終えた。
最後の項目に書いてあったのは、いまるさんたちが求める報酬。
『我々が願いを叶えた場合、君が我々の願いを叶えてくれ』
人の望みを叶えるのだ。
その成功報酬が望みならば妥当ではあるんだろうけど。
(何だろう……。なんか違う気もする)
ノーリスク、ハイリターン。
私はそれを求めてきたのだ。
『秘密の部屋』なんかに望みを託す人間は、それを求めているのではないか。
リスクを背負う覚悟があるのなら――こんな場所にはこない。
私だって部屋を見つけたことで、願いを叶えて貰える条件は、満たしたものだと思っていたのだけど。
しかし、読み進めていると、いまるさんたちが求めている、『我々の願い』がはっきりと記されていた。
それは――。
「報告書を出すこと?」
「そそ。願いを叶えるにあたって、今回体験したことや、思ったことを報告書――。まあ僕からしてみれば、これは、報告書よりノンフィクション小説に近い形だけど」
「ノンフィクション?」
「うん、うん。ノンフィクションは君でも分かるでしょ? 要するに君の視点で、物語として提出してくれってことなんだよね」
「それってつまり……」
物語を書けってこと?
いや、普通に考えて無理だ。
私は読書感想文や作文ですら、満足に描いたことがない。読書感想文に至っては、インターネットで基盤となる作文を探し、自分なりにアレンジするものだと思っている。
だから、最近は本も読まずに感想文を書いていた。
そんな私が、報告書を?
物語風にして書けと?
おいおいおい。
初対面なのに何言ってんだこの少年は。
(ああ、いまるさんは年上何だっけ?)
そんなことも忘れてしまっていた。
そんなにも混乱をしている私。
「いやー。ほしのん良いリアクションするねぇ」
「私じゃなくても、誰だってこうなりますって」
「うーん。まあ確かにこうしてこの『部屋』に訪れたのは、君が3人目くらいだけど、確かにみんな混乱してる感じだったもんねー」
「三人?」
『噂』が広まったにしては随分少ない気がするが、
「うん。ほら、大体みんな録音モードになっちゃうからさ」
『噂』が広まった故に、そうなっているらしい。
『000』の暗証番号まで伝えられるから、まず、黒板の文字を見つける人間自体が少ないといまるさんは言う。
私はたまたま、暗証番号を聞いてなかったからか――ここにこれたのだ。
「やっぱ、こうして顔を合わせて願いを聞きたいんですか?」
「いや……そうでもない。こうして面と向かって契約するよりは、録音された簡単そうな願いを萎えたほうが僕的には楽なんだけどね」
「……なるほど」
『噂』を広めるために、活動はしているのか。
確かに『噂』だろうと、それなりの効果が無ければ誰も相手にしない。
(あたりがないと言われたくじを、誰も引かないのと一緒だ)
一つでも、簡単でも願いが叶ったのなら、実績が生まれる。
「そそ、てきとーにやればいいんだけどさ、僕以外の人は皆まじめだからさー、録音された音声を聞いて、しっかり、どの願いを叶えるか会議してるんだ」
適当でいいのにねぇ。
考えすぎも良くないよと、いまるさん。
「そもそも人の願いを叶えるのはそんな簡単ではないのではないでしょう?」
「まぁね。。だから楽しいんだ、なんて、僕以外は言いそうだけどね」
「素晴らしい人格なんですね。いまるさんの仲間は」
「脳内が晴れているのは間違いないんだけど……」
うんざりしたように言ういまるさんは、少し疲れていそうだった。
いまるさんと話すことで若干疲れてしまっている私が、そのいまるさんを疲れさせている、残りの住人と会ったとき、私はどうなってしまうんだろう。
「それで……ほしのんは契約するの? 契約して僕と魔法少女になってよ」
「………。先輩、多分、それ順番おかしいと思います」
正しくは、
『僕と契約して魔法少女になってよ』
だった気がする。
今も尚人気の高いアニメらしい。
私はそんなサブカルチャーに詳しい訳ではないのだけれど、このフレーズはどこかで、聞いたか見た気がする。
大体、いまるさんの言い方では、いまるさんも魔法少女になってしまっているのではないか。きっと、私よりも、フリフリとしたコスチュームは似合うのだろうけどさ。
魔法少女いまるちゃん。
人気がでそうだ。
「そうだっけ? 細かいことはいいから、ほら、契約するのかしないのか、さっさと決めてここにサインを、ちょーだい!」
「いや……もう少し考えさせてくださいよ」
どこまで読んだっけ。
ああ、そうだ。
報告書を書く際の注意点まで読んだのだった。
一つ、一人称、君の視点で書くこと。
二つ、思ったこと感じたことを思うままに、嘘を入れずに書くこと。
三つ、枚数は50枚以上。
より一層大きく描かれたこの三つの項目を私は目に焼き付ける。
報告書なんてものを私は書きたくもないのだけれど――でも、私一人では恐らく、東頭さんを拒絶することは出来ないだろう。
それどころか、流しに流され、最終的には、もしかしたら、彼女が中心となるグループの一員になってしまうのが関の山だ。
トイレも一緒。
休み時間も一緒。
表面上だけの友情など――私は御免だ。
御免だから切り捨てる。
そこに『誤解』なんて何もない。
残るものも何もない。
私はそれで――いいのだ。
「……分かりました」
欲しくもない友情を捨てる為ならば――50枚程度、私は見ことに書き連ねて見せようじゃないか。
私は覚悟を決めた。