3話
「ねぇ、星乃! さっき王士先輩と何話してたのよ!」
教室に入るなり、いきなり東頭さんに声を掛けられた。
それも、小さく呼びかけるならまだいいのだけれど、あろうことか、教室全体に聞こえるほど大きな声で私へと呼びかけてきた。
……私は一体、何のために自転車の鍵を取りに行くという『策』を講じたのだろうか。まだ、東頭さんと一緒に、教室へと入った方が被害が小さかった気がしてきた。
無駄に体力も策も消耗してしまっただけだった。
「ちょっと、東頭さん。声が大きいですって……。皆に聞こえてしまいますよ?」
「別にいいでしょ。それどころか、多分、皆が気に成ってると思うよ? 王士先輩と話せるなんて」
うんうん。
打ち合わせをしたわけではないのだろうが、この時、教室に居たクラスメイト達が何人かが、同じように頷いた。
……なんで、こんなにチームワークがいいのだろうか? まあ、頷いているのが女子だけの所をみると、あの取り巻き集団と同じなのだろう。
その証拠に他の生徒たちは興味なさそうだ。できれば皆が、興味なさそうにしてくれればいいのに。
だからといって、ここで東頭さんを無視するわけにもいかないので、声を潜めて東頭さんに私は言った。
「あの人、王士さんって言うんですか」
「嘘でししょ? 三か月もこの学校で生活していて王士先輩を知らないなんて……星乃やっぱり変わり者だね」
再び頷くクラスメイト。心なしか、頷いている人が多くなっていた気もする。
変わり者で頷かれる私。私は自分の中では、私程普通の人間はいないと思っていたのだけれど、私はそんな評価を受けていたのか。
さほど話したこともないクラスメイト達から。
とりあえず、もっと普通を目指していこうと、決意を改めた。高校三か月にして初めて目標が生まれた。
普通になる。
「え、いや、確かに魅力的な人ではあったけど、そんなに凄い人なんですか?」
魅力的とはただ顔が良いだけでない。
何となく魅かれてしまう。
どれだけ大勢の集団が居てもすぐに見つけられるだろう。そんな人としてステージが違うというか、煌びやかというか。
男子生徒の姿ははっきりと私の脳裏に焼き付いていた。
「それはそうよ。私なんて中学生の時から知ってたんだから。彼に合うためにこの高校を選んだって女子も少なくはないって話だよ」
「なんか嘘くさい話ですね」
「嘘じゃないよ。現に彼、芸能界からスカウトも受けているとか。本人はそんな気はないみたいだけどね――顔がいいって得だよね」
「はぁ……それは相当凄いですね」
本当は、凄すぎて私の物差しを軽く超えているため良く分かってないのだけれど、取りあえずこう言って置けば問題はないだろう。
問題が無ければ何もないのと一緒だ。
波風立てない様に生きていくのが、上手く生きていく秘訣でもある。
「天王 王士。その容姿から、ここいら周辺の学生たちの間で、ファンクラブもある位人気な先輩なんだよ」
「それは一本筋が通ってそうで傲慢そうな名前ですね」
私の言葉を聞き逃したのか、あえて無視したのか(多分、無視された……)東頭さんはさらに今朝の男子生徒――王士先輩とやらのことを教えてくれる。
「そんな先輩に話しかけられたら、誰でも気に成るじゃないの!」
それにあの先輩、良い『噂』はあまり聞かないみたいだし。と私に聞き取れない声で東頭さんは何かを言ったようだ。
「……?」
だけど、
「で、で? 何を言われていたわけ?」
と、聞き返す間もなく続けて畳みかけてきた。
「ああ、ええと」
有無を言わさない東頭さんの怒涛の口撃に押されながらも、私はついさっき起こったことを思い出す。
「なんか、私が悩んでいるように見えたら、何でも願いを叶えてくれる『秘密の部屋』とやらにいってみればと、アドバイスを貰っただけですよ」
「『秘密の部屋』……」
「はい。奇遇にも今朝、東頭さんが私に教えてくれた『噂』と一緒でした」
噂は一度耳に入ると、気になるものなんですねと、最もらしく私は頷いた。
「なーんだ。そんなことか」
東頭さんは私と天王 王士がどんな会話をしたと思っていたのだろう。一瞬、きょとんとしたのちに、明るい表情を浮かべた。
話した内容が分かったから満足したのだろうか……。
「今、あからさまに話しする気をなくしませんでしたか?」
「そんなことないよー。『秘密の部屋』でしょ? はいはい。魔法使い、魔法使い」
「自分だって『噂』知ってるくせに、何で適当にあしらうんですか?」
なんだ、魔法使いって。
かの世界的に有名な、遊園地でアトラクションにもされるだろう、莫大な人気を誇る魔法ファンタジーのサブタイトルと一緒だからなのだろうけど。
因みに、私は映像よりも原作派なので、映画は見たことはない。映像で見てもいいのだけれど、公開されてから数年が立った時、どうしても、映像の『進化』が気になってしまうのだ。そのせいで映画に集中できない。
それでも、原作の発売を楽しみにしていた物だ。発売日に図書室に行っても、まだ貸出準備が終わってなかったりしてね。
「冗談だから、怒らないでよ」
「怒ってないですけど」
「きっと、王士先輩に、星乃はからかわれたんだよ。だって、誰も近づかないよ? あんな旧棟……」
「あそこは、立ち入り禁止ですしね」
しっかりと、工こと用のコーンと黄色と黒の縞々棒に囲まれた(名前が分からない)旧棟は、今にも崩れそうなのだ。
そんな危険な場所に、誰が近づこうというのだろうか。
いや、近づく生徒は毎年出てくるらしいのだが、その後、生徒指導の怖い先生に怒られていたので、そっちの方が嫌ではあるけど。
「で、実際に星乃には悩みはあるの?」
唐突に、私のことなど、どうでもいいという態度であったのだが、ふと、表情を引き締めた東頭さんは、そう聞いてくれた。
しかし、聞かれようとも、私の悩みを東頭さんには言えない。
「……まあ、あるにはあるのですが」
だから、自然と歯切れが悪い返答になってしまった。
「私で良かったら、話聞くよ?」
私のそんな返答にも、話を聞くと言ってくれる東頭さん。心から心配してくれているのが分かった。
「ありがたいですが――人に言えるほどの悩みではありません」
そう意地を張りきった私は、自分の机の中にしまっていた小説を取り出す。
ミステリーとエンタメを合わせたノベルスサイズの本。ページにに綺麗に並べられた文字たちへと目を滑らせる。
(大丈夫。私は私だ)
私にとって読書とは、自分と向き合うべき時間であり、一日一回はこうしないと、落ち着かない。ましてや、読書中に人に話しかけられるのは嫌いだ。
それは東頭さんも分かっているようで、それ以上何も話さずに違うクラスメイトと話し始める。
(これでいい)
東頭さんみたいないい人が、私みたいな人間と話していたら時間がもったいない。彼女はもっといい人間と付き合うべきなのだ。
そう心では分かっているけれど――それでも気分が重くなる。
昨日まであんなに面白く感じた物語が、何も頭に入ってこない。
ただ、表面上の文字を追うだけ。
まるで、私の生き方を表しているのではないかと――悲しくなった。