56:オオカミと赤い靴
「あか、い……靴……」
喉がカラカラだった。
背中には嫌な汗が流れていく。
口で息をしても、鼻で息をしても、むせ返りそうな血の臭い。
野生の本能がまともに機能していたら、とっくに逃げ出しているだろう。
それが出来ないのは、俺が飼い馴らされ過ぎたからなのか。
「あか…?」
尻餅をついた少女は、俺を見上げたままの体勢できょとんと首を傾げた。
そして数秒経ってから「あ!」と言った。
「『コレ』ね?」
クス、と笑って『赤い靴』を指差す少女。
「義足なの。目立つでしょう?」
「……え?あ…」
華奢な身体に似合わない、金属で出来たゴツい鎧のような義足。
「でもね、小さい子からは結構好評なの。特に男の子は『カッコいい!』って!」
悪戯っぽく笑うその顔からは一切の含みを感じない。
「…そう、だね…」
視覚と、嗅覚の情報が噛み合わない。
「あ……あ!ごめん、手…!」
「きゃっ!」
誤魔化すように少女の腕を引っ張って立たせた。
重心が脚にあって違和感はあるけど、脚の分を差し引くと随分軽い気がする。
「…ごめん、大丈夫だった?」
少女は作り物の脚でしっかりと地面に立っていた。
松葉杖を拾い上げて少女へ差し出す。
「あ…うん!全然!全然大丈夫よ!」
少女は顔を少しだけ赤くしながら、手をパタパタと降った。
「…そう」
「あ……あー!杖!やだ私ったら、何ボーッと…!」
慌てた様子で少女が俺の手から松葉杖をひったくる。
素なのか、演技なのかはわからない。
「(オイ、兄さん…)」
どうやら、先程俺の喉から絞り出た声は存外大きかったらしい。
しっかり聞こえていたのだろう、藍色が恐ろしく小声で言った。
「(『赤い靴』って言わなかったか…?)」
頭が上手く働いていない。
働いていないけど、働かせないといけない。
…『情報屋』が『赤い靴』の事を知らないわけがない。
いくら小人の記憶力が悪くったって、忘れるわけがない。
だからこそ藍色の声は切羽詰まってる。
「(騒ぐのは悪手だ)」
俺が今、早急にやらないといけない事は何だ?
「あら?小人…?」
少女は藍色に目をやって、「あぁ!」と言った。
「お兄さん達、商人さんなのね?」
「…あ、そうだ。アイツの商談がそろそろ終わるんじゃないか?」
俺…俺達がやるべき事は、この街を離れる事だ。
そのために俺が今すぐやるべき事は、この場を離れている緑を拾いに行かせる事だ。
なるべく不自然にならないように、俺は藍色に向かって言葉を続けた。
「迎えに行ってやれよ。後で、最初に入って来た方の門で合流しよう」
「オイ兄さ…」
「(早く)」
藍色を肩から降ろしながら、藍色にしか見えない角度で口だけ動かした。
俺は、この少女が『赤い靴』なのかどうか確かめないといけない。
「…おっと、またアイツは油売ってやがるな」
どうやら俺の意思は伝わったらしい。
藍色は「やれやれ」と言いたそうに肩をすくめた。
「確かに、良い時間だ。拾って来らァ」
「あぁ、よろしくな」
「そっちもな」
藍色は人混みの中を素早く走り去る。
「私、小人って初めて見ちゃった!」
少女の無邪気な声が聞こえる。
血の臭いがする。
「この街って、小人も獣人も多いのよね!お兄さんも見た?」
少女の無邪気な笑顔が見える。
金属の刃が擦れ合うような音が微かに聞こえる気がする。
「あぁ…確かに、他の街よりも沢山歩いてるよね」
「ね!そうよね!」
俺が、俺が次にやるべき事は何だ?
早くこの場を、どうにか…去らないといけない。
「あー……あのね?私ちょっと、この後の予定までに時間が空いちゃって…」
あぁ、駄目だ。
「良かったら…ちょっとこの辺、一緒に歩かない?」
この場を去るのは、叶わないらしい。
それなら俺がやるべき事は。
「…うん、少しだけね」
『この子と歩きながら』、『赤ずきんをどうにか見つける事』だろう。
少女は照れたように、嬉しそうに笑っていた。
「それでね、酷いのよ!『迷わないようにお気を付けて』だって!私、そんなに子供じゃないもん!」
賑わう街を、『赤い義足』の少女と歩く。
背は赤ずきんと同じくらいか。歳も大して変わらないだろうな。
で…少女は一緒にこの街へ来たという人間について、愚痴を零している。
「でも…人も建物も多いし結構迷いやすいよ。心配してくれてるんじゃない?」
「そうかしら…」
「多分ね」
「あれは絶対に私をからかう気持ちが混じってたと思うのよねぇ…」
話せば話すほど…と言うか、ほぼ相手が話してるだけなんだけど、普通の女の子に見える。
歩く速度もほとんど健常者と変わらない気がする。
…まぁ、赤ずきんは歩くの速いから比べ難いけど。
「でもこの街って、話には聞いてたけど本当に人が沢山ね!」
「…珍しい?」
「えぇ、私の故郷はこんなに栄えてなかったもの!」
…もし、この子が本当に『赤い靴』だとして、この街に何をしに来た?
この街で刃物を振り回して、生き物を殺して回る?
あまり現実的ではないと思う。
幾ら『赤い靴』が危険人物で、狂っていたとしても…リスクが高過ぎないか?
「今日は、買い物に?」
探りを入れる。
不自然にならないように、気を付けながら。
「うーんと…」
少女は首を傾げて少し考えた。
「私は…付き添い?みたいな感じ」
「付き添い?」
「うん。ほら、さっき言った、私のこと子供扱いする人の!」
あんまり聞いてなかった。そういやそんな事を言ってたような…
けど、聞いてなくてもどうやら影響は無いらしい。少女はどんどん続けた。
「何か、探してる人が居るんですって」
「そっか」
「でもね、こんなに色んなお店があるんだもん!買い物したいじゃない?だからね、言ってやったの!自由時間を寄越せー!…って!」
「それで…1人で歩いてたの?」
「そう!…でもやっぱり、欲しいもの決めてないとダメね。何買うか迷っちゃって、まだ何も買ってないの…」
えへへ、と少女は照れ笑いをする。
「…そう」
その姿は…年相応の女の子に見えた。
だけど。
「そうだ、お菓子も良いわよね!美味しそうなお菓子屋さんが沢山あったもの!」
信用できるわけがない。
「あ!お洒落なお店でお茶するとか…?うんうん、素敵!」
『赤い靴』に追われた時の、あの赤ずきんの表情。
俺は…あれを信じる。
パァンッ!!
「!?」
「キャッ!?」
その音に、俺は反射的に顔を上げ、少女は反対に顔を下げた。
「な…何?銃声…!?」
怯えた声が聞こえる。
少女の言う通り、銃声には違いない。
多分実弾じゃなくて空砲…だと思う。
周りの人間も何人かは立ち止まって辺りを伺っていた。
「…あの、ごめん」
誰が撃ったのか…わかる。
少女に謝ると、きょとんとされた。
「え?何が?」
「俺、そろそろ行かないと」
俺の願望も含まれてるけど。きっと、アイツに違いない。
「え…もう行っちゃうの?」
「うん」
「そんなぁ…」
少女は、何かを探すように辺りを見回した。
「…あ!もうこんな時間!?私もそろそろ行かなきゃ…!」
どうやら時計塔を見て言ったようだけど、俺には大して関係無い。
「それじゃ…さよなら」
頭を軽く下げて足を踏み出す。
銃声の方角へ。恐らくは…赤ずきんのいる方角へ。
「あ…あの!お兄さん…!」
背中に呼び掛けられたので立ち止まった。
「また…また何処かで、会えるかしら…?」
「…さぁ…」
振り向くのはやめよう。
どんな顔をしてるのかは、なんとなく想像がつく。
年相応の少女の顔だろう。
「どうかな」
俺は、願わくば二度と君に会いたくない。
次に会った時、例え今のように…ただの少女にしか見えなかったとしても。
「何だ今の音!?」
「向こうで女の子が…!」
段々と混乱したような声が増える。
ほぼ確定だ。街中で銃をぶっ放す『女の子』を俺は1人しか知らない。
「…!」
人の少ない路地に入って獣体に化ける。
街中に狼が走ってたらかなり問題だろうけど…そんな事を言ってる場合じゃない!
『赤ずきん!』
再び走る。
野生の本能が少しは残ってるんだろうか。
あの子はヤバい。あの子がいる、この街も。
早く逃げないといけないのが、本能でわかる。
『!』
その時…視界に鮮烈な赤が飛び込んだ。
さっきの赤じゃない。俺が探していた『赤』。
『赤ずきん!』
「!オオカミ…!」
俺の声でようやく赤ずきんの視界にも俺が入ったようだ。
赤ずきんがこちらへ走って…いや、後ろに何かいる!
『何それ!?何に追われてんの!?』
赤ずきんの後ろを数人の男が追っていた。
「んなこたァどうだって良いんだよ!」
赤ずきんが俺の首根っこを掴んだ。
確かに、俺もあの男達よりも危険な奴を知っている…!
「『今すぐ、この街を出るぞ!』」
何とまぁ。
赤ずきんとの付き合いは長いが、基本的には気が合わないのだ。
「…は!」
赤ずきんは一瞬きょとんとした後、鼻で笑った。
「珍しく気が合うじゃねぇか…!」
『…同感だよ…』
赤ずきんが俺の背中に飛び乗った(飛び乗らないでほしい)のを確認してから、俺は走り出す。
「さて、それじゃ…お前がこの街を出たい理由を聞いてみようか?」
どんな顔をしてるのかは、なんとなく想像がつく。
多分、切羽詰まっていて。
それでいてニヤリと、少しだけ笑っているのだろう。
副題:『ピンチの時に笑うタイプ。』
無事に脱出できるかな?