54:赤ずきんとオオカミの1時間
「ん?鐘の音ってことは…」
「あら、もう2時ねぇ」
赤ずきんの目の前に座る老婆は朗らかに言った。
「長居し過ぎたな」
やや名残惜しそうに、赤ずきんはふかふかのソファから腰を上げた。
「あらあら、もう行っちゃうの?」
老婆の手には、今まさに空になった赤ずきんのティーカップにおかわりを注ごうとポットが構えられている。
ふぅ、と老婆は溜め息をついた。
「やっぱり忙しいのねぇ『運び屋』って。お婆さんもとっても忙しそうだったわ」
「だろうな…お婆ちゃんは仕事中毒だったみたいだし」
「私から見たら貴女もよっぽどよ?」
にこにことしている老婆を見て赤ずきんは肩をすくめた。
老婆の輝く金髪は全く齢を感じさせない。
「私も金髪ロングが良かったなぁ…」
「え?」
「何でもない。お茶、御馳走さん」
「うふふ、また来てね『赤ずきんちゃん』」
赤ずきんは手を振る老婆を見て、
正確にはゆるやかに三つ編みに結われた長い髪を見て、フッと笑った。
「またな、『先代情報屋』」
「ヤダもう、何時の話よ!」
ケタケタと笑う老婆はとてもチャーミングだった。
『当代情報屋』がこの地に遣わせたのは、偶然か否か。
「助かるよ赤ずきん。どうやって居場所を調べ上げてるのか恐ろしいけど」
「企業秘密だ。毎度あり」
赤ずきんは仕事料を受け取ると、この街の配達ギルドを後にした。
先程会っていた髪長姫、ラプンツェルの家は、配達ギルドの人間でも住所を知られていない。
どうやら厄介事を避けるために隠れ住んでいるらしい。
仕事屋の中でも、その性質上特に厄介事に巻き込まれやすいのは『情報屋』だろう。
「(…あの婆さん=ラプンツェル、ってのを知られてないだけだと思うけど)」
だからラプンツェル宛に荷物が届いても、配達ギルドの人間にはそれを届けることができない。
赤ずきんは白雪姫から「この街に行ってほしい」と言われた瞬間から、配達ギルドに顔を出そうと決めていた。
「しかし雑多な町だよなァ」
人間、小人、獣人、色んな種族の生き物が闊歩する街を歩きながら赤ずきんは呟いた。
その中でも異形な『赤い頭巾』が人々の目を惹きつけていることを、赤ずきんはまだ知らない。
「あ、そういや何時に集合するとか決めてなかった…」
赤ずきんは立ち止まって、周囲の建物よりも一際背の高い時計塔を見上げた。
小人の商談は恐らく1時間弱。
時計は鐘が鳴った頃よりも進んでいた。
「3時だな3時。オオカミの奴、ちゃんと私の事見つけるだろうな?」
あまりに他力本願な集合時間を(勝手に)設定して、赤ずきんは再び歩き出した。
「あの…赤ずきん?」
「ん?」
歩き出して数秒後、赤ずきんは呼び止められて再び立ち止まった。
赤ずきんを呼んだのは10歳に満たない程度の子供だった。
「ほ、ほんとに、赤ずきん…?」
「おぉ、私が赤ずきんだ。何か用か?」
子供(男の子か女の子かは、いまいち判別できなかった)は何か言いたそうにもじもじしている。
赤ずきんは目線を合わせるように屈みこんだ。
「あのね、赤ずきんって、どこにでも、何でも、運んでくれるんでしょ…?」
「あぁ。天国とか地獄とか言われたら無理かもしれねぇが」
「えっとね、それじゃあね…」
子供はくしゃくしゃになった封筒を差し出した。
「あのね、これ、病院に届けてほしいの…」
「何だ、手紙か?」
「わたしね、病院入れないの、汚いから…」
手紙と同じくらいくしゃくしゃの子供の服を赤ずきんは一瞬見た。
「これね、お父さんに届けてほしいの」
「父ちゃんが病院にいるのか」
「うん……あっ!えっとね、あのね、『ほうしゅう』がいるんだよね?」
子供はポケットに手を突っ込み、何かを取り出した。
それを赤ずきんに差し出す。
「これあげる!」
「何だそれ」
受け取らずに赤ずきんが聞く。
「あのね、お母さんが持ってた綺麗な石!」
「お前、母ちゃんは?家に居るの?」
「んーん、お父さんが病院に行ってね、しばらくしたらお母さん『じょうはつ』したの」
「(さっきから何なんだこいつの語彙は…)」
半分呆れ、半分感心しつつ赤ずきんはこっそり溜め息をついた。
「お母さん忘れて行ったの。とっても綺麗だからあげる!」
「良いのか?」
「うん!だから…お父さんに、お手紙届けてくれる?」
赤ずきんはようやく子供から『綺麗な石』を受け取った。
真っ赤で透き通る石は、子供の言うように確かに『綺麗』だった。
「良いだろう。引き受けてやる」
「ほんと!?」
「報酬もキッチリ用意してる奴からの依頼を断るわけにもいかねぇからなァ」
赤ずきんはくしゃくしゃの手紙を受け取って、子供の頭を撫でた。
病院はこの街には1つしか無い。子供の言う通りならば恐らくそこに父親が居るのだろう。
果たして子供から受け取った『法外な報酬』をどうしたものかと若干悩みつつ、赤ずきんは病院に向かって歩き出した。
「しけてンな」
「あ、そうなの…」
藍色の舌打ちを聞き流しながら俺は周囲を見渡した。
その辺に赤ずきんが歩いていたら1発でわかるはずだ。
「あいつの事だから勝手に集合時間設定して『遅ぇぞクソオオカミ』とか言い出すに違いない…!」
「苦労してんな、オオカミの兄さん」
藍色は一応俺の話を聞いているのだろうけど、目線は色んな方向に忙しなく動いている。
「別に聞きたかねェんだよな、『あそこの奥さんが若い男と不倫してる』だの『酒場のマスターが4股かけてる』だの…」
「世間的には面白いけどな、それ」
「面白いかァ?」
「小人の世界にも不倫ってあるの?」
「んん…」
しばらく悩んだ後、藍色は首を横に振った。
「聞かねぇな。何で人間はすーぐに余所の男や女に手ェ出しやがる?」
「俺、人間じゃないからわかんない…」
「じゃ『人狼』の世界にゃ不倫だ浮気だのあるのか?」
「えぇ…それもよく知らない…そもそも人狼って雌いないらしいし…うわ!」
肩に乗っていた藍色の体勢が急にグラついた。
「急に動くな!」
「人狼に雌がいないって!?そりゃ本当だろうな!?」
「え、そんなに食いつく!?そんなグイグイ来ると思わなかった!」
肩の上の藍色は尚も興奮したようにバタバタしている。
フードを掴まれたので慌てて引っ張った。
「耳そのままなんだよ!フード引っ張んな!」
「お前、獣人の生態はよく知られてないんだからな!?そりゃ食いつくぜ!」
「これ情報屋にとってそんなに食いつくべき情報かなー!?」
「いや、それは確かにそれほどでも無ェな」
「それほどでも無いんじゃん!」
怖くて周りは見てないけど、多分相当悪目立ちしてるだろう。
なんとなく視線を感じる。割と沢山!
「でも学者先生なんかに売ったら割と良い値段が付く情報なんじゃねェか…?」
「情報をだよね!?俺をじゃないよね!?」
「馬鹿、『情報屋』が売るのは情報だけだ」
「あぁ良かった赤ずきんなら『その手があったわ』っつって絶対売り飛ばすから!」
「苦労してんな兄さん。」
「あいつに情も何もあるもんか……だから動くなっつーの!」
急に藍色が俺の顔を覗きこんだ。
(当然体勢が変わるので再びぐらぐらした。)
「何?」
「いや…俺も赤ずきんと、そう深い付き合いがあるワケじゃねぇけどよ」
「?」
多分、きょとんとしながら次の言葉を待つ俺に、藍色は言った。
「兄さんは赤ずきんに情をかけられてる方だと思うけどな」
「あー良かった。実は死んでましたパターンを心配してたんだよ私は…」
赤ずきんは病院への『依頼』をさっさと済ませていた。
子供の父親はどうやら2年ほど前から入院しているらしく、母親が蒸発した件については知らなかったという。(ちなみに子供は『蒸発』という言葉を知っていたことも知らなかった。)
「ま、『あの女、子供を置いて何処行った!?』って息巻いてたし…」
赤ずきんは1輪の花をくるくると弄びながら呟く。
これは『法外な報酬』の代わりに病室の花瓶から拝借した物である。
「あの様子なら気合で病気も治るだろうな」
『病は気から』という言葉の信憑性は自分の祖母で実証済みだ。
「さ、たまにはのんびりお茶でもしようかなぁ」
赤ずきんは伸びをしながら時計を見た。まだ(勝手に設定した)集合時間まで幾らか余裕がある。
「何が良いかな…ラプンツェルのトコでお茶とクッキー貰ったからなぁ。何か違う感じの甘いものを…」
ふと、赤ずきんはラプンツェルから聞いた話を思い出した。
『この近くの街で、子供が何人も攫われたんですって。犯人は勿論わかってないの』
「…子供が何人も、ねぇ…」
以前受けた依頼で聞いた『子供がいなくなった』という事件と、無関係と考える方が難しい。
引っかかるのはむしろ、別の事件と発生時期が重なっているという点。
「…集団殺人と子供の誘拐…」
どちらにしても赤ずきんには直接関係が無い。
しかし、仕事柄関わり合いになる可能性は0では無い。
「お嬢さん、どうしたんですそんなに難しい顔をして?」
「…………?」
赤ずきんは一瞬反応が遅れた。
考え事をしていたからではない。声が何処からしたのかがわからなかったからだ。
「よろしければ…」
ようやく赤ずきんはその声が背後から聞こえているのだとわかった。
「御一緒にお茶でも如何でしょうか?」
同時に、自分の知人の中で最も関わりたくない人物の声だと理解してしまった。
「情?」
「『そんな言葉生まれて初めて聞きました』みてぇな顔するんじゃねェよ」
「無いだろ。俺に?赤ずきんが?情って!」
多分赤ずきんは俺に対して何の感情も持っていない。と、思う。
「無いだろ!」
「2回も言うなや。…ま、あんまり自分を卑下すんなよって言いてェだけだ」
「…卑下?」
「悪い悪い、お節介ってェやつだな」
藍色が呆れているような諦めているような声を出した。
…卑下?俺が、俺を?
したくもなるだろう。
だって俺はどうせ、
「きゃあ!」
「…!?」
突然背中に軽い衝撃を受けた。
直後に尻餅をつくような音と『ガシャン!』という金属音。
「え!?」
「オイオイ、何してんだ兄さん…」
「いや背後からぶつかられたんだけど!背中に目ぇ付いてないからわかんねーわ!」
藍色が呆れ声を出したけど心外だ。
俺は振り向いて、殆ど反射的に手を差し出した。
「大丈…」
直後に息が止まった。
「痛たた……あ、ヤダ!」
それは赤ずきんと大して齢が変わらない女の子だった。
腰の辺りを痛そうに擦っていたが、俺を見て赤面すると慌てて言う。
「ごめんなさい、私ったら前見てなくてぶつかっちゃったの…!」
差し出したのを後悔した手は引っ込められなかった。
身体が動かない。ついでに頭もあまり働いていないと思う。
息ができない。したくない。
赤ずきんと齢の変わらない女の子から、普通、こんなに酷い『血の臭い』はしない。
「…!」
「おっと」
赤ずきんが振り向いて声の持ち主に向けたのは……花だった。
「!?」
「相変わらず物騒な物を持っていらっしゃる。か弱い乙女には可憐な花がお似合いですよ?」
声は依然、『背後』から聞こえていた。声と一緒に銃をいじっているような音もする。
赤ずきんの手から花が滑り落ち、花は重力に逆らうことなく地面へ落ちた。
「何にせよ、街中で拳銃とは物騒過ぎやしませんか」
赤ずきんの上がったままの右腕は優しく、声の持ち主によって下げられた。
「…んで…」
「それにしても奇遇だ。以前お会いした時よりも随分大きくなられて…」
「…何で!お前が…!」
『恐らく』赤ずきんはかつてないほど取り乱していた。
「何で…こんな所で何してやがる…!」
赤ずきんは今度こそ、声の持ち主を真正面に捉えて叫んだ。
「ハーメルン……!」
「お久しぶりですね、『赤ずきん』さん?」
「こんな大きな街に来ることって無いから私、きょろきょろしちゃって…」
女の子の近くには松葉杖が転がっていた。
視線が自然と足元に移る。
「…え!?あ、あの、ホントに大丈夫なのよ!?そんな、手とか、大丈夫だから!」
さっきから女の子が何か言っているけどあんまり認識できていない。
目に全部の神経を使っていた。
足は殆どがロングスカートに隠れていたけど
普段目にするような靴ではなく
金属のような材質の、赤い、脚を模したそれは
「……赤い、靴……」
かつて相見えそうになった
赤ずきんが今までにないほど酷く取り乱した
酷く血の臭いのする、あの『赤い靴』に違いなかった
副題:『声で蘇る記憶と、匂いで蘇る記憶』