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第04話 「白石水子のプロローグ04」

 しまった、とは口にしないまでも、水子はそう思ってしまわざるを得ない状況についボールペンの動きを止める。

 それを聞き逃してしまった事実は自分が未熟でしかないと思い知らされるような気分だった。

 代わりにあっ、とだけ発したまま固まる水子に、斎藤はサングラス越しに怪訝な視線を送っていた。


「桐谷さんにボトムスのチャットで話されていること聞いとけばよかった……」


 水子にとって取材初日。ぼちぼち夜も更けていこうという、バー『すみれ』も営業終了時刻に刻一刻と差し迫る時間帯。

 まだまだ聞き足りない気分だ。今もまたこうして取材の種は次々と芽吹いている。

 桐谷ほどだらしなくはないまでも、素面しらふでそれだけ項垂れていてはどれくらい落ち込んでいるか一目に分かりやすかった。


 斎藤は小さく唸るように、水子の後悔に共感して声を漏らす。

 これだけ取材が続けば、この街に住む一人の人間として純粋に興味が湧いていた。

 斎藤もまたこの街の住人の端くれ、最強という話題ならそれだけで酒を飲めるほど、水子の取材にも存外乗り気だった。

 だがしかし、やはり流石はこの街に住む人間、情報の集まる酒場の店主だけあって水子の疑問には心当たりがある。

 憶測の域は抜けないが、知識をひけらかすことには意欲的だった。


「多分、今日話したこととそう変わらないんじゃあないか。基本的にこの街の掲示板だから、要はこの街に住む人間の不特定多数が喧嘩好きでお祭り好きで噂好きなように、みんな最強という話題を共有したいのさ。どこかで喧嘩があればそれを拡散してそこに集まり、誰々が誰々に勝ったらそいつよりも誰々の方が強い、ってね」


「ほえー。便利な時代になったものねぇ」


 この街の住人ではない所為か、あるいはネットに疎いばかりに間抜けな相槌で納得する。そのどちらも欠けた水子には中々生まれてこない発想だ。どちらとも関係なく年寄くさい感想だった。

 確かに、そういったツールがあれば話題も共有しやすい。水子を持ってしてジャーナリストとして情報を集めるためだけにも入会する価値はあるように思わせる。

 ハイエナのような集団だなと、その実態も知らず偏見を持ってしまうのは仕方のない節はあるだろう。

 頭の片隅程度にも集団に一枚噛んでみる可能性を留めておく必要がありそうだと、水子は更に耳を寄せた。


「そういえば……桐谷さんに腰を折られてしまったけど、静かな街並みだって話をしただろう? 種明かしは簡単なものだよ。それこそみんな話題を共有したいんだ。桐谷さんみたいに、この街では平日でも構わず居酒屋に居座る人は多い。肝心の喧嘩にしても明るい時間じゃないと暗闇の中で一般人を巻き込まないようにっていう彼らなりの美徳もあるみたいだから。それだけに夜になると人波は寂しいものだ……もともと静かな街並みっていうのもあるけどね」


 斎藤の話している通りであれば、水子はホテルで小休憩を取っている間に見す見す取材のチャンスを逃しているということになる。

 どれだけいろいろな話を聞いていても、結局この目で見ないことには始まらないのだ。水子はスタート地点を間違えている気がしてならなかった。

 それでも事始めにこの酒場を選んだことは不幸中の幸いとも言うべきか。ただのゲーマー的思考を今回ばかりは自賛できるような気がした。


 まだ水子の仕事は始まったばかり、切羽詰まってまではいかないまでも、何者にも代えがたい初めての経験を旅行で終わらせたくないという思いに焦慮はある。

 とは言えども、名前の上がったところを当たって回るにしても、極道や不良高校にか弱い女の身一つで乗り出すという意味を知らないほど水子も馬鹿ではない。まして、ネット上のグループと言われて当てがあるはずもなかった。

 いずれにせよ今夜は斎藤から聞けるだけの話を聞き出す他ないが、明日以降の行動は大事である。

 その重大な役割がどう転ぶか見当もつかないのだから、水子の焦りはより色濃くなるばかりだ。


 水子は桐谷の話のように聞き逃したことは無いかとメモ帳に視線を落とした。

 考えるたびに浮かび挙がる疑問、話が膨らむ度に付け足されていく質問も、徐々に迫る営業終了時間に阻まれる。その中でも水子は何かに引っかかっている気がしてならなかった。

 その何かに気づいたのは、メモ帳に三つほど並んだ固有名詞がどれも特定の個人を表すものではなかったからだ。


「斎藤さん……そういえば、集団ではって言い方をしてたわ。それってつまり、個人での最強も居るということでしょう?」


「察しがいい。その通りだよ」


 そう言う斎藤は、今までの語り口よりも遥かに熱意を込めた語勢だった。

 否、あくまでも店主としての体裁を保とうとしている分、静かな熱意が余計に煽情的な表情に見える。

 最強を語る上で熱くなった感情が言外に出て、待ってましたと言わんばかりの両腕をついてカウンターさえも乗り出そうという斎藤の身のこなしに、水子は引いた。


「この街の、いや、恐らく世界中のどこを見たって彼は最強だ」


 斎藤の思い浮かべる特定の個人。斎藤にそれだけ言わしめる、その『彼』とやらの個人名を随分と勿体ぶるような言い回しだ。

 あまりにもはっきりと自信を持って断言されたため、水子は若干の怖気を含み改めて問う。


「ほ、本当に、そこまで断言できるものなの?」


 息を飲む音さえ拾ってしまいそうな静寂が居心地悪い。

 斎藤という人格の性格や印象から代えさせてしまう勢いすら持ち合わせた、その『彼』の名前を喉の奥に溜めに溜め、斎藤の口から先に吐き出されたのは重々しい深呼吸だった。水子は思わず前屈みの身構えを解き、何故か祈るように手を組んでいたことに気づいたのは、斎藤が再び息を飲もうという時である。

 ちょっとした怪談でも聞かされているような緊張感に、無意識に安息を求めようとしていたのだろう。


 何がそこまで斎藤をさせしめているのか。

 この無闇な緊張感は何処から生まれたのか。

 ここまで熱くなる斎藤は今日の中だけでも初めて見た。

 否、斎藤や今日だけに捉われなくとも、水子の人生の中で普段とのギャップに怖気すら覚える静かな興奮はこれが初めてだ。

 『彼』の名がそうさせているのだと、水子は暗に悟った。


 名も待たずして『彼』とやらの存在感を異様に感じる。

 例えばプロ野球選手の熱狂的なファンだとか、そんな興奮では断じてない。

 その上をいく、もはや狂信的な語意にさえ見えた。

 斎藤は説明不要とばかりに、本人ですら無いのに、誇らしげに名を告げるのだ。


「間違いない。『西京鋼平さいきょうこうへい』、彼の強さは規格外だ」


 最強を語る上で、その名はある意味反則ではなかろうか。

 水子はそんなことを考えたが、これほどの熱意を前に水を差すことは野暮以外の何物でもないだろう。



 ◆



 フリージャーナリストを目指す水子にとって初めての取材。

 メモ帳の文字列を見るに初めてにしてはそれなりに実のある内容だったのではなかろうか。

 最終的に水子にとって不満の残る結果となったのは、半分近く『彼』の所為であると言って過言ではなかった。


 その『彼』、改め『西京鋼平』の名にはいくつかの伝説がついてくる。

 水子から言わせてみれば、そもそも一般人に伝説が轟くこと自体間違っていた。

 ホテルの一室で不満を爆発させる水子の言い分はこうだ。


「ありえないっつーの! 自動販売機を投げ飛ばすだとかっ、ゴリラと一対一で勝負して勝っただとかっ、猛スピードの大型トラックを片手で止めただとかっ!」


 怒りは行き場も無く、羽毛の枕に水子の拳が突き刺さった。

 およそ人間の所業とは思えない噂を水子に吹き込んだのは他でもない、バー『すみれ』を経営する店主、斎藤悠その人である。

 水子は取材する者される者として斎藤のことは信頼して途中まで興味深く聞いていたが、メモを取ることすら馬鹿らしくなったのは、西京鋼平は戦車より強いという話の辺りからだった。良く持った方だ。とんだチート性能だ。どこのガン〇ムだという話だ。


 まったくもって、ありえない。というか、斎藤の言葉が狂言にしか聞こえなかった。

 否、だがあるいは、ありえない方が、水子がわざわざこの街まで来た真なる目標に近づける。


 これでもジャーナリストの端くれとして水子の目指すところは、あの日叔父に魅せられた雑誌、所謂オカルト系の記事を執筆したいと考えていた。

 この業界の狭き門の更に細い道を通っている自覚はあるが、それだけは譲れなかった。子供ながらに躍らされた心を信じ続け今この街に居る事実を、得体も知れぬ西京鋼平とやらという男の為に捻じ曲げられたくはなかったのだ。


 オカルト記事を書くにしても、人間離れしていればしているだけ良いというわけではない。

 メモ帳に箇条書きされた西京鋼兵の伝説を見れば、どうあがいてもイメージが宇宙人にしかならなかった。本当に宇宙人ならそれはそれで喜ばしいものだが、ならば何故水子がこうも荒れているかというと、およそ人間とは思えない伝説の数々に西京鋼平という人物は本当に実在するのかと疑うことくらいは人として当然であろう。

 喧嘩の街と評されるこの神倉市、人々は常に最強という話題を共有し、目指す者にとっても西京鋼兵の名を絶対に避けては通れない。

 ともすればその最強たる西京が実在しない可能性を否定できないのは、水子にとってあまりにも悩ましい事実だ。実体のない人物を闇雲に追いかけ熱心に情報を集めていたなんて、笑い話にもならない。

 自分で書いたはずのメモを全て嘘だと信じたくなる。

 嘘を信用するほど、肯定したいのだ。


 西京という男も、言われも無い容疑で顔も知らない水子から恨みを買われて哀れなことだ。

 街の頂点にして最強、言わば王であることで、別の誰かにとって妬みの対象になってしまう理由を知った気がした。

 水子の場合は何かズレているような気がしないでもない。


「今日はもう、寝ちゃおっかな……」


 シングルサイズのベッドに倒れ伏し、うつ伏せになって枕で目鼻と口を完全に塞ぐ。そうしていると思考が研ぎ澄まされていくような気がして、肺と意識が酸素を求め始めるまで心地よく無防備になり、本当の家に帰りついたような気分になれた。

 覚えておかなければならないはずなのに、何故か今宵は忘れてしまいたいことが多すぎる。

 主に西京鋼平に関してだ。


 目を瞑っているとそのまま意識を落としてしまいそうになった。

 流石に鼻と口を塞いだまま意識を手放すのは息苦しすぎて、枕に顎を乗せ半分ほど呆けた瞼を開いた。

 肺が酸素を欲し、胸いっぱいに吸い込む深呼吸はいつの間にかため息になっている。

 おもむろに寝返りを打って大の字に仰向けになる行動は、女っ気の欠片も無かった。


 視界に入るホテルの仄かな照明は、特別に眩しくはなくとも自然と目を逸らしてしまう。

 目を切った視線の先に映る地味な配色の自前のコートが、あまりにも今どきの女性が着こなすファッションからはかけ離れすぎて、笑えてきた。

 それっぽさを演出するためにと用意してきたが、こんな若造が身に付けたところで前衛的なファッションにもならない。


 そうやってボーっとしていると、また思考が堂々巡りに嫌なことを思い出させた。

 西京鋼平。彼の名前が、彼の容姿の想像が、彼の人間離れした偉業がどうにも頭の中から離れてくれない。

 この感情はいったい何なんだと、自問する。


 恋か。

 それにしたって悶々とした言いようのない鬱憤はそんな甘酸っぱいものであるはずがない。

 そもそも顔も見たことの無いような相手に惚れるほど水子は恋愛に飢えてもいない。

 この感情は怒りや恨みであると、水子は思う。

 だが、それこそ作り話のような語り草に立腹していても仕方がないだろう。

 ならば何故こうも水子は怒り、惹かれてしまうのか。


 水子にはそれを解明できそうな心当たりが一つだけあった。

 忘れもしない、バーの営業終了時刻も直前となった水子からのその日最後の質問だ。

 水子がわざわざこの街に足を運ばせた、最大にして真なる疑問だった。

 水子が本日持ち帰った不満の半分が西京鋼平その人だとして、もう半分は最後の最後に聞かされた斎藤の高笑いが原因であろう。


 最後に一つだけ聞かせてと、そう言って切り出した水子が尋ねた質問。

 大真面目に尋ねた自分を呪いたくなる。


『――不死者ホムンクルスって知ってる?』


 それを聞いた瞬間の斎藤のキョトンとした顔は忘れられない。




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