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第02話 「白石水子のプロローグ02」

「この街の最強は誰?」


 情報収集と言えば酒場。そんなゲーマー的な短絡思考の結果、白石水子しらいしみなこは小洒落たバーに足を踏み入れた。

 ワイワイと騒がしいような酒の席ではなく、少ししんみりとする落ち着いた雰囲気を気に入って、水子はこのバーを初めての仕事場に選んだのだ。右も左もわからず訪れたのが、この隠れ家的なバーだった。


 週末前だけはあって客の数は少なく水子の他にもう一人、カウンターに椅子を四つほど開けた先の壁際にグラスを抱えたまま突っ伏している。

 時刻は二十二時を回ったところだ。ホテルの門限を割らない時間を頭に叩き入れ、嫌でも気合の入る初めての聞き込みに臨んだ。

 水子は神倉市という街を想像するのに、一番に連想される単語を直接的に問う。

 中高生的というか、少なくとも成人した女性があまり口にする質問ではないだろう。


「この街の最強?」


 この店の印象を持つにその最たる存在、濃い金色に染め上げられた洒落た短髪とファッショナブルなサングラスが良く似合う店主は、慣れた手つきでグラスを拭いていた手を止める。紳士的というよりは軟派にバーテン服を着こなし、しかしその見た目の印象とは正反対に気品を携えて水子の言葉を復唱した。

 取材と言えば多少聞こえは良いかもしれないが、昭和のヤンキー漫画でしか聞いたことも無いような質問は凛とした表情で聞く内容として正しいのだろうか。

 受け手も同様に平然と思考し、平然と答えるのだから、この場合は間違っていない。


「良く名前が挙がるところで言えば……集団では千本桜家か、神倉西高の連中が有名か」


 初めての取材で答えが返ってくることにそれだけで感動を覚えながらメモ帳にボールペンを走らせる。大真面目な顔つきだけはそれなりに様になっているとも言えようが、新人さながら筆を進める手が遅れているのはご愛嬌と言ったところか。

 若手らしい懸命さに好感を持って、初めてのお使いで子供を見守る親のような目線に間を助けられていることを水子は気付いていないだろう。

 当然のように返ってきた答えはその質問の内容からして一般的な、所謂取材とは掛け離れたような内容だが、水子もまたそれに驚きはしない。

 そうだと知って、この街に訪れた。


 なんでも、この街では喧嘩というものが日常茶飯的に行われているらしい。

 喧嘩、と言えば聞こえは悪いが、喧嘩をする者は一部の人間である。喧嘩を見世物として、喧嘩をする者とそれを見る者の関係が正式に成り立っていた。

 勿論、行き過ぎた行為には警察の介入はあるが、見物客を巻き込まない限り目を瞑られている状況が成り立っているのだ。

 もとより、一般人を巻き込むことはタブーとして彼らの間で暗黙の了解をされているらしい。

 水子が前もって調べてきた情報だ。


 質問と照らし合わせてみると、そのような話題を肴に酒を酌み交わしている姿が目に浮かぶ。

 最強。確かに、男性は食いつきそうな話題である。


「千本桜家? 神倉西高? 詳しく聞かせてちょうだい」


 水子が持つボールペンに力が加わる。水子には聞き馴染のない固有の単語に記者としての興味を掻き立てられた。ひよっこ甚だしい水子に記者魂なんてものが備わっているのかはともかくとして、純粋に好奇心をそそられたそれを形容することは間違っていないのかもしれない。

 もっとも、大の女性にして未だに週刊少年漫画誌を購買する水子の少年心的なものである可能性の方が高そうではある。

 あるいは、そういう意味で彼女にはこの職も水に合っているということだろう。


 新たな情報を若手らしく熱心に集めていく初々しい姿が店主に好印象を与え、そのおかげで快く会話が運ばれていることは水子に自覚がない。

 これが一般の客とのコミュニケーションでもあれば、唐突な質問に店主も多少顔をしかめることもあるだろう。


「この界隈では名の売れた極道と不良学校だよ。そんなことも知らずにこの街に来たのかい、お嬢さん?」


「わ、悪かったわねっ。まだまだ駆け出しなのよ!」


 水子も自分で言っていしまうだけ無様ではあるが、もっと前持った情報を詰められる部分もあるなと、反省点を指摘され溜飲を下げる。嫌味というよりはからかわれているような、いずれにしても一人の社会人として情けない限りである。

 愚直な性格故、冷やかされることは多いが、それもまた性格故に慣れないものだ。もっとも、それを面白がって周囲も弄っているのだろうが、水子からしてみれば良い迷惑以外の何物でもない。

 不思議とただ馬鹿にされた気分でないのは店主のその物腰柔らかい人と成りのおかげだろう。

 この人の出来た店主にそれだけ言わせてしまったのは、水子の言い訳も効かぬほどこの街の住人にはそれが常識な為である。

 さりとて、水子がからかわれたまま終わらせない性格だということは、店主もこの短い仲にして理解してきている頃合いだろうか。


「それと、そのお嬢さん・・・・っていうのはやめて。残念ながらお嬢さんなんて呼ばれる年齢も性格も持ち合わせてはいないわ」


「そうかい? 俺の目には十分にそう映っているけどね」


「むずっ痒いの!」


 どちらかと言えば、嫌味ったらしい口調は水子の方が惜しみなかった。眉間にしわを寄せながら下唇を突き出す様は幼稚と言い得る他ないだろう。

 売り言葉に買い言葉でまんまとからかわれる成人女性などそうは居ない。華々しい貴婦人には程遠いやり取りである。

 これだけからかい甲斐のある人種も貴重ではあるが、店主は初めての仕事場に選ばれた縁を光栄に浴すると同時に心密かに水子の将来を憂いだ。

 店主から向けられる視線が懸念であることに気づいて、水子は彼の審美眼を疑いつつもこれ以上この話を続けていては分が悪いと決まりの悪そうに切り上げた。


「……私は白石水子。白い石に水の子でみなこ。こう見えても、フリージャーナリストの……卵よ」


斎藤悠さいとうはるかだ。略字の斎と藤に悠久の悠ではるか。バー『すみれ』を経営する、しがないマスターだよ」


 水子が名刺なんて代物を生憎と持ち合わせているはずもなく、代わりにボールペンを置いてカウンター越しに右手を差し出した。女性からのアプローチとあらば店主――斎藤も握手に応じやすい。

 他意はなくとも、何となく男性から女性に対して握手を求めることには抵抗があるようなものだが、そういう気取らなさというのは水子の良い部分でもあるのだろう。

 気取らない、というよりは、気にしてないとも言い換えられる女子力の低さには如何ともし難いところではあるが。


 フリージャーナリストだと、断言しないのは水子に謙遜があったからではない。一度決めたことには盲目になってしまうタイプではあるが、自己分析は出来ている。

 否、自惚れていては決めたことを変えることになると知っているからこそ、達観して自分を評価できるのだ。結果として盲目になってしまうことには変わりないのだろう。

 もっとも、こう見えてもどう見ても、斎藤から言わせてみれば水子が店に入った時から察しはついていた。得意げにそれらしいインバネスコートを羽織っていては、隠しているつもりでも居れば逆に驚いてしまう。

 当人の知るところとは別に職柄の自己主張は激しいが、斎藤はそんな水子の意志を汲み、水子の自己紹介に習った言葉を慎みながら交えた。

 彼は自分だけを体裁よく見せようという主義など持ち合わせていなかった。


 斎藤が遠慮交じりに柔らかく握り合った手を引こうとすると、水子の手に力が加わるのを感じる。

 何事かと、必然的に目が合うような形になり、表情を見ると大方の察しがついてしまう。

 握った手も離さぬまま、これ見よがしに口角を上げる水子の仕草は正に悪戯少年のそれである。


「女の子みたいな名前なのね」


「……よく言われる」


 気付けばからかわれる立場が逆転していることに斎藤はサングラスの奥で目を丸くし、参ったとばかりに喉で笑って息を吐くように呟いた。

 水子は勝ち誇ったような表情を浮かべてはいるが、第三者が眺めていれば引き下がれる大人の余裕を携えた斎藤の方が一枚上手だと口を揃えることだろう。

 子供みたいな人だな、なんて皮肉を口にしないのは斎藤の慈悲である。

 もとより、端から不毛な対抗意識だった。


 一通り憂さ晴らしし終えた水子は揚々と斎藤の手を放し、白々しくボールペンに持ち替える。

 勝ち逃げ気分のままご機嫌に息を巻いた。


「そんなことより話を戻しましょう。千本桜家っていう極道と、神倉西高っていう不良高校だったかしら。さっきまで街を歩いてみた印象だと喧嘩のけの字も見つからないほど、何というか……静かな街並みだったわ。本当にそんな集団が暴れている街なの? そもそも、普通の人さえあまり多くない印象だった」


「うーん……そうだね。まずは白石さんの疑問を順番に答えるなら……」


「――呼び捨てでいいわよ。多分私の方が年下でしょう? 余所余所しいのは苦手なの」


 斎藤が言い切るよりも早く、水子は何の気もなしに言ってのける。そうは言っても店主と客の関係上、何処か遠慮がちだった斎藤は言葉を詰まらせた。

 斎藤の店主としての立場として、未だかつて客に気を遣うことは当然だった。勿論、ここは酒の席で、酒が入る次第にフランクになっていく人種も居る訳で、やがて打ち解けた客の数は一人や二人ではない。

 それでもその上で気を遣うことは店を経営する者として常識でありマナーである。


 思えば、ここがバーで、店であるように、客である水子は注文の一つもせず情報だけを無料ただで買おうという無神経さを発揮していた。

 それ自体は百歩譲るとしても、自ら年下という自覚を持ちながら最初から敬語さえも使わない神経の図太さである。

 何というか、気を遣うことさえも馬鹿馬鹿しくなるのは、斎藤自身呆れることしか出来ない。


 そんな彼女自身からの直々の言葉ともあれば、斎藤も応えないわけにはいかないのが厄介なところだ。

 それが水子の客としての注文なら、斎藤は店主として承るほかないだろう。

 斎藤が水子に振り回されているだけのようなのは気の所為ではないようだ。


「……そうかい。店のイメージのために若作りはしてる方だが、こう見えて二十代も後半でね。何だか、君とはジェネレーションギャップを感じざるを得ないな」


 ため息交じりの口調は十も離れていないはずの斎藤の苦労が現れているようである。本人の言葉の通りに容姿における年齢は若く見えるが、そのため息は実年齢さえ通り越して壮年を感じさせるものだった。

 母親から引き継いで経営する店の店長として培った経験、酸いも甘いも乗り越えてきた斎藤でさえ水子の相手は少々骨が折れる。


 何を隠そう、店の名でもある『すみれ』とは斎藤の母の名だ。

 今はもう斎藤に任せて以来田舎でのスローライフを楽しむ母親の為、自らの為、斎藤家の収入源を担う彼は店のイメージのためにと若干無理のある若作りまでして、その上何の因果か白石水子という女性にまで目を付けられてしまう仕打ちはあまりに酷である。


 確かに、会話のしやすさというものは感じているが、会話をしていて人一倍疲れも感じている。何となく相性が良かったりフィーリングが合うというよりは、それは水子の持つ人当たりの良さに過ぎないだろう。

 恐らく彼女は、特別な変わり者でもない限り誰とでも同じように接していられるはずである。

 良くも悪くも、彼女自身が変わり者だからだ。

 それを女性に対して面と向かって口にするのは斎藤にはできなかった。


「まあ、君がそういうのなら改めて――白石の疑問はもっともだと思う。一も二も無く、喧嘩こそこの街の代名詞だろうね。外を歩いたのなら分かると思うけど、普段こそこの街は静かなものだ」


「ええ。調査の最初から鼻っ面を折られた気分だったわよ。でも斎藤さんの話を聞けて少し安心したわ。本当に喧嘩が普通に行われているのかなんてことから疑うところだった。千本桜家と神倉西高、その名前を聞いただけでも噂の裏付けにはなるわね」


 最強は誰か、なんて突拍子もない質問から答えが返ってくるだけでも一つ懸念が晴れる。つまりは、少なくともその二つの勢力は争い合う仲であることを物語っている。

 当然、喧嘩の街と形容されるだけはあってそれだけであるはずもない。水子が街を見て歩く限りでは気付けなかった喧嘩もあるはずだ。

 ならば水子がそこに興味と期待を持たないはずがない。

 それを調べるために遠いこの街まで来たのだ。


 ボールペンを握った手に無意識に力が入って、斎藤の話を聞きながらいざ筆を進めるべくカウンターに身を乗り出す。

 不意にガラスを打ち付けるような物音に水子は身を竦ませた。

 意外と女の子っぽい反応に、意外なものを見たような目でそれを見る斎藤の視線には気づいていない。

 話と気合の腰を折られ、水子はそれどころではなかった。


「その話ならボトムスのことも忘れちゃあぬぁらねえぞぉ!」


 カウンターに椅子を四つほど開けた先の壁際、今の今まで突っ伏していたはずの存在さえ忘れていたもう一人の客からの呂律も回らぬ声だった。




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