18 彼女の願い
足元から、地面が消え去るようなそんな感覚。
光の柱は、あの日塔から落ちる瞬間に見えたそれとそっくりで。嫌な予感しかしなかった。
あの日光に包まれて失ったのは、わたしの声と魔女のお母さま。
魔女のお母さまがいなくなっただなんて、本当にいなくなっただなんて、そんな言葉信じたくはないけれども。
それよりも、それと似た状況の今の方が、よっぽど信じたくなんかない。
だって、あの光の洪水がわたしの目に映るたび、わたしは誰かを失ってしまうかのようで。わたしの少ない世界にいる人が、これ以上減ってしまうだなんて。
これ以上減ったら誰もいなくなってしまう。
あの人がいなくなったら、わたしはどうすればいいの。
あの人が、今のわたしの全て。
わたしの世界には、あの人だけなのに。あの人がいない世界は、きっと何もなくなってしまうかのように感じて。
目の前に映る景色ですら、色を失くして、全部灰色になっているかのように感じる。わたし、今ちゃんと歩けているかしら?
ねぇ、あの人は、無事かしら?
「グレイ! ねぇ、返事をして! グレイッ!」
彼のように名前を呼べたらと思っても、わたしには声がない。彼の名を呼ぶことすらできない。ぐるりと世界が色あせて回っている視界を凝らして、ぼんやりとした足取りで動いて、彼を探すしかないの。何か音はしないかしら?
音の方向に、彼はいないかしら?
いいえ、いっそ光の中になんか彼はいなければよかったのに。ひょっこり現れて、いつものように、笑えって言ってくれたら、それでいいのに。
ねぇ、何処にいるの?
お願い、貴方の姿を見たいの。
あなたに、会いたいの。
雪と土が混ざった地面をふらふらと歩いて、時々転びそうになりながらも、貴方の赤色を探した。
見つからない。
どうしよう、貴方が、いない。
どうして、いないの?
どこにいるの?
まるで迷子になった子どもみたいに貴方を探している。格好なんかどうだっていい。どうして、見つからないの?
ふらふらとした足取りのまま、がれきが散らばる辺りを見渡す。あの大きな白いお城が、光の柱が現れたせいで瓦礫の山に変わってしまった。塔が崩れてしまった時と同じ、それがあったとは思えないくらいに、ばらばらになっている。
からん、と足が瓦礫に躓いて、転ぶ。長い髪が破片に絡まって引っ張られる。痛い。
でも、もしあの人がこの瓦礫の中にいたのなら、もっと痛い思いをしたのかもしれない。
泣きそうになりながらも、あの人の赤を探す。
不意に、ふわりと風が通り抜けた。
ボサボサになった私の長い髪を巻き上げて、天に消える。
「ピチチチッ」
何か、聞こえた。
小さな小鳥の囀り。こんなところに小鳥なんかいるのかしら。もしかしたら、何か、いるのかしら。誰かが、いてくれないかしら。
張り裂けそうな胸を押さえて、声の方へと進む。がらりと何度も瓦礫を崩してしまうけれど、それを踏み分けていかないと進めないのだもの。
雪と瓦礫をかき分けて進んだ先に見えたのは。
「……は、あぁ……」
力なく横たわる、あの人の姿。
深く息をするのも辛そうで、いつも自信にあふれているその顔は、酷くつらそうにゆがんでいる。鮮やかな赤い髪は汚れていて、同じくらい赤黒い色が彼のあちこちに飛び散ってついていた。
「……っ!」
よかった、いらっしゃった!
消えないで、生きていらっしゃった!
ただ生きているということが嬉しくて。無我夢中で駆け寄った。
ボロボロの体を瓦礫の山に横たえていて、抱き着くには躊躇してしまうくらいの傷跡が見えて。ぽろぽろと涙をこぼしながら、ゆっくりと手を伸ばした。
その頬に触れようとしたら、ピクリと肩が跳ねられた。
「だ、れぁ……」
わたしよ、ラプンツェルよ。
「……ぁ、い」
声が出ないことまで真似しなくてもいいわ。そのままでいいから、わたしの手を握ってくれればいいわ。
投げ出された手を、そっと握った。大好きな大きな手。それもなぜか今は強張って動かない。恐ろしいくらいに、冷たい。
あぁ、握る力もないのなら。それなら無理に動かなくてもいいわ。わたしが代わりに小さく握るから。わたしの体温を分けてあげるから。
そっと顔を覗き込んだ。
「っ!?」
瞼が、落ちくぼんでいた。
待って。目が、開かないのは。わたしのことを見ないのは、見てくれないのは。
目が、なくなってしまったから、なの?
「……ら、ぇる……?」
名前を呼ばれた気がして、必死に頷いた。それでも瞼を持ち上げない貴方には伝わらない。見えない貴方には通じない。
僅かでも声が出せればと思って口を開いても、言葉は出てこない。何度返事をしようとしても、空気が漏れるような音しか出ない。
ねぇ、どうして神様。
わたしから次々に奪っていくの。
やっと気付けたのに。やっと伝えたいと思ったのに。これからだと思ったのに。
どうしてそれですらさせてくれないの。
どうして、この人から目を奪ってしまったの。
生きていればそれでいいだなんて、そんなことは思えない。
わたしは、欲張りなんだもの。この人に関してはもう、欲張りにしかなれないんだもの。この人の全部が、欲しいのだもの。
震える手で、もう一回頬を撫でた。
こつん、と額を合わせると、こらえきれなかった涙が零れ落ちて、彼の頬を滑り落ちた。
「ラプ、ェル……ぅな」
緩慢な動きで顔を持ち上げようとしてくれる。
「泣く、な……笑、え」
片方だけで握りしめた手を、緩やかに握りしめられる。
こんな時でも、貴方は笑えとおっしゃるのね。見えないのに。泣いているからって、笑えって。いつもと同じように。
そんなことを言って、人のことを思っている状態じゃないのに。貴方がこのままだといけないってわかってはいるの。
でも。どうしてか、動けなくて。ぽたぽたと零れる涙が止まってはくれなくて。上手く笑えなくて。
ぎゅっと目をつぶって。それからへたくそな笑みを浮かべた。
ゆっくりと顔を更に近づけて、唇でそっと触れる。
「……っ?」
その感触に、貴方はピクリとまた震えたけれど。構わないでそのまま触れていた。
声にすることはできないけれど、言葉の動きは知っている。
だからこのまま、伝えたいの。
(好き)
ゆっくりと吐息に合わせて、強く押し付ける。伝わりますように、どうか、伝わってほしい。
(キースさま)
好きも大好きも、どうか、伝わって。
貴方の情熱的な口付けよりも、全然拙いのだけれど。それでも、貴方と唇を合わせるのは好きなの。心地よい熱が、大好きなにおいが、安心する貴方と言う存在が、全部好き。
だから、ねえ。このままなんて嫌。
(好き、大好き)
「……ってる」
僅かに動いた唇と言葉。弱々しく返された口付け。
当たる吐息は本当に微かで。心配になるくらいに、冷たくて。
お願いよ、どうか。
私からこの人を奪わないで。この人の熱を、目を、命を奪わないで。
私の前から、この人を消さないで。
なんでもあげるから。なんでもするから。
この声だってほしいと思わないから。この人がいればそれでいいから。
だからお願い、生きて。
この人まで、連れて行かないで……!