11 幸せな二人
ぱちん、ぱちん、と指を鳴らした。
「気休めにしかならないけれど」
「何をしたのだ?」
「ドラゴンに対するおまじない」
「対策魔法か、感謝する」
「礼には及ばないわ、保険だもの」
「うむ。ただ、一つ解せないのだが」
「何かしら?」
「何故、私は、今、猫の姿になって、しかもグレイに抱えられているのだ?」
アンバーは今、呪いを掛けられた時と同じ、猫の姿になっていた。もふもふと嬉しそうな声のグレイに抱きしめられて移動している。
ドラゴン退治に行くのに、どうしてこうなった。アンバーの胸の中は、この言葉でいっぱいになっている。
大人しく腕の中にいるも、その目はどこか虚ろである。
「こっちの方が慣れているから?」
「そこで何故疑問形なのだ、取引では討伐後の約束だろう?」
「だって、やっぱり人間姿のアンバーって、違和感しかないんだもの」
「だものじゃない。あ、こら! だからゴロゴロ言わせるなと」
喉の下を掛かれ、その気持ちよさに目を細めて喉を鳴らしてしまう。猫の習性だとしても、中身は人間である。アンバーにしてみれば、大変不本意な状況である。
魔女は嘘つかない。
そのことを知っているからこそ、グレイの言葉は紛れもない本音であり、アンバーの心中を殊更に複雑にしているのだった。
「そこは是非とも慣れてほしいものだがな」
「難しいかもしれないわ」
「端から諦めないでほしいのだが、まぁいい。それでもこの姿では戦えない。元の姿に戻してほしい」
「大丈夫よ、その姿の方が守りやすいもの」
「わ、私は守られる立場なのか!? これでも剣の腕は」
「魔法の戦いに剣は関係あるのかしら?」
「……邪魔しないように心掛けよう」
釈然としないものを感じるも、言われてみれば確かにと納得してしまったアンバーは、大人しくグレイの腕の中で丸くなった。
ざくざくと軽い雪をかき分けて、尖塔の入口へとたどり着く。
渡り廊下の中を通ると、時折大きな氷のかけらが隠れており、白く積もった雪に凹凸をつけている。アンバーにそれを指摘され、ゆっくりと扉まで近づく。
ぐるりと一周すると、ヴァイオレットのお菓子の家と同じくらいの大きさだろうか。螺旋階段が待ち受けているのを予感して、グレイは小さくため息をついた。
ぐりぐりとアンバーの毛並みに頬ずりして、それから意を決して中へと足を踏み入れようとした、そんな時だった。
「ねぇ、先にアレなんとかしなくていいの?」
この場には場違いな、甘い少女の声。
ゆっくりと振り返る。ピンク色のふわふわの髪を二つに高く結った、隙なく化粧をした可愛いを集めたような女の子。それを見守るかのように一歩引いた場所で剣を携える、鎧をまとった緑髪の青年。
グロスを塗った桜色の唇が開く。
「先にアレをなんとかしないと、また奪われるんじゃない?」
「貴方、何者なのかしら?」
「えー、聞きたいのー? って、別にイケメンいないから、ぶる必要もないか」
「オディール、お前の後ろにイケメンはいるぞ」
「はぁ? アンタは残念なイケメンって言うのよ! ちょっと黙ってなさい!」
漫才かしら? と首を傾げたグレイに、咳払いして仕切り直すようにしてピンク色の髪をした少女は告げた。
「アタシはオディール。悪魔の娘、オディールよ」
「あぁ、ロッドバルドの眷属ね。そっちの彼も?」
「いや、俺はオディールの求婚者だ。もうすぐ挙式予定のな!」
「ちょっ!? 何勝手なこと言ってんの!?」
「それは、おめでとうとでも言った方がいいかしら?」
「違うからっ! そんな予定しばらくないし!」
「それは違うぞ、オディール。ロッドバルドは、今回の件をなんとかしたら認めてもいいと言っていたぞ」
「嘘でしょっ!? なんで、そんな話してんのよ! もうっ、このバカバカバカッ!」
「はははっ、照れ隠しかオディール。可愛い奴め」
「もうっ! ちょっと! 黙ってて!」
顔を真っ赤にして緑髪の彼を叩くオディールを、生暖かく見守っていたグレイだったが、不意にアンバーが何も言わないことに気付いて、視線を落とした。
アンバーはじっと緑髪の彼を見つめていたが、何も言わない。
知り合いかしら? と思いはしたが、このままでは話が進まないと思い、グレイはぱちん、と一つ指を鳴らした。
「ちょっと黙ってもらったわ」
「し、新米魔女の癖にとは言わないわ」
真っ赤にした顔の熱を冷ますように仰ぎながら言われて、素直にありがとうと言えばいいのに。と思いはしたが、グレイは口には出さなかった。
不満がありますとでも言うかのような表情の緑髪の男はさておき、グレイはオディールに言葉の続きを促した。
「はぁ……。言葉通りよ。上手くいけば美味しい思いできると思ったけど、アイツに邪魔されたし。裏なんかない」
「今回の件をなんとかしたら、ね。それがこの場にいる答えの全てになっていればいいけれど。少なくとも、私たちの邪魔はしない、それで合っているかしら?」
「邪魔をしないどころか手伝うわよ。アタシたちじゃ、アレは倒せないけどね」
なにせ、コイツ人間だし。足引っ張るし。悪魔の娘であるアタシじゃ、どうしてもドラゴンに対してだと力不足だし。
とふてぶてしく続けたオディールの言葉をどこまで信用していいものか。グレイは灰色の瞳でじっとオディールを見つめた。
その視線にたじろぐ様子を見せるも、嘘じゃないわと言葉を重ねるオディール。
「解放するのは手伝えるわ。でもドラゴンには立ち向かえない。だから、アンタの大切なものを見つけるのは任せて。この尖塔を一々登って降りてを繰り返していたら、それこそ時間の無駄ってやつでしょ」
「そうして、今度は悪魔に奪われるのかしら?」
「アンタ、新米魔女にしては魔女らしいわね。別にそんなことしないわよ。アタシ、綺麗なものよりも可愛いものの方が好きだし」
「……それでも、貴方の言葉を信じるのは難しいわね」
「なんていうか、アンタ面倒くさいわね。悪魔の娘の命令よ? 聞けないの?」
「ごめんなさい、悪魔には逆らえないけれど、悪魔の娘には逆らわないって言う決まりはないの」
「げぇ、何それ! それくらい解釈広げたっていいじゃないのよっ!」
とんだ赤っ恥さらしてきちゃったじゃないのもう! と地団太を踏むオディールをなだめようと、声が出ないまま緑髪の彼がぎゅっと後ろから抱きしめていた。カッと頬を赤く染めて、一度ぎゅっとその腕をつかんでから、何するのよ! と蹴り飛ばされてはいたが。
やっぱり漫才かしら? と呆れた様子で見守っていたグレイだったが、ふと、アンバーが肉球で頬を叩いてきた。
「グレイ」
「何かしら?」
「信用してもよさそうだぞ」
「どうしてそう思うの?」
「私の深読みではなければ、だな。彼の言葉に偽りがないとしたら、そういうことなのだろう」
どこか言葉を濁すアンバーに、グレイははっきりと言ってと促す。困った様子で緑髪の彼とオディールを見つめたアンバーは、小声でグレイにそっと告げた。
「おそらくだ、彼らが夫婦になるには、ロッドバルドの許可が必要で。そのロッドバルドはこの件が解決したら、と告げたのだろう。おそらく、その認め方は片方ずつ異なってはいるのは思うがな。そして、あの二人は、互いにそれを望んでいる。としたら、解決しないを選択する必要が見いだせない」
「えぇと、その。彼女もそう思っているのかしら?」
「おそらくは、素直になれないだけだろう。愛されていることに、満更でもない顔をしているしな」
やけに顔を真っ赤にしていると思えば、そういうことだったのか。一つ頷いたグレイは、ぱちりと一つ指を鳴らして緑髪の彼の言葉を解放した。
「ねぇ、一つ確認させて」
「何よっ?」
「おぉ、声が出る。何だ?」
キッと顔を赤くしながら睨む彼女と、満面の笑みで彼女から目を離さない彼に、グレイは静かに問いかけた。
「これが解決したら、貴方たちは幸せになれるのかしら?」
「もちろんだ!」
即答し、なぁ、オディール、全力で幸せにするぞと蕩けそうな笑顔を向ける緑色の彼。
そんな彼の言葉にこれ以上はないくらいに顔を真っ赤にしたオディールは、しばらくぱくぱくと口を開閉して、やがて蚊の鳴くような声で答えた。
「……し、あわせに、しないと、許さないし。……馬鹿」
ごちそうさま、バカップル。
生暖かい目で二人を見守ってしまったのは、仕方がないことだとグレイはつくづく思った。




