02 結末後
白いベールを被せられて、私の世界は白い雲のレースがかかったよう。
純白のひらひらとした、絵本で見ていたお姫様が着ているようなドレスを着て、お化粧をしてもらって。
侍女さんたちはお綺麗ですよ、って言ってくれたわ。
ねぇ、あなたも綺麗だって思えてくれますか?
綺麗だったら、あなたの傍にいてもいいですか?
わたしの世界はあなただけ。
そう思っていたけれど、あなたの世界はあんまりにも広すぎて、わたしの世界もどんどん広がっていったの。
あなたを中心に。
あなたを知ろうとすればするほど、どんどん広がるわたしの世界。あなたのことはまだまだ知らないことばかりだけれど、全部知りたい、だなんて欲張りになってしまうのかもしれないけれど。
でもね、足りないの。
ぽっかりと胸に穴があいたような、そんな物足りなさ。
物足りないなんて、おかしいはずなのに。
ここはわたしが元いた世界よりも広くて、たくさんのモノがわたしの周りのあるのに、どうしてだろう。
『紫色の魔女を求めるな、こっちを見ろ、ラプンツェル』
あなたの声に、あなたの腕に、あなたのぬくもりに包まれたい。
このぽっかりとした胸の穴を、全部あなたで埋めてしまいたい。
あなたの、名前を呼びたい……。
『お前がここにいればいい。お前が笑っていてくれれば、それでいいんだ。笑え、ラプンツェル』
あなたの眼差しにとろけてしまいそうになる。
あなたにわたしの名前を呼ばれるだけで、こんなにも胸がほっこりとするの。同じだけ、あなたにほっこりとした気持ちを分けてあげていのに、わたしはあなたにもらった暖かさを返せない。
声が、出せないの……。
『声も、魔女の力も、何もいらない。何も望んじゃいないから、そんな辛そうな顔で笑うな。……あぁ、笑えと言ったり笑うなと言ったり、混乱させたか』
切る気にもなれなかった長い髪を梳かれて、そっとその手に擦り寄った。どうすればいいのかな。
あなたのそばにいたい。
あなたの名前を呼びたい。
あなたのぬくもりに触れていたい。
どんどん、欲しいモノが増えていく。
『次会う時までに決めておきなさい。あんたが手に入れられるのは、一つ。どれが一番欲しいか、何を願うか、よく考えなさい』
幻のような姿のお母さまはそう仰っていた。
いつだったのかは、覚えていないけれど。
お母さまとの繋がりを失って、あなたの広い世界に溺れそうになっているとき。そう仰られていたのだけはよく覚えていたの。
夢かと思った。でも、お母さまは確かにそう仰っていた。
次って、何時のことなの?
次、また会えるの?
また、お母さまに会えるの?
わたしはあの人も、お母さまも、声も、どれも大事なの。
どれも、欲しいの。
一つだなんて、選べないわ……。
「姫様、そろそろ式のお時間です」
選べないまま、わたしはゆっくりとあの人の待つ式場へと向かった。
* * *
「蒼の姫君」
彼は、あたしの名前を決して呼ばない。
誰も彼も、みんながあたしのことを“蒼の姫さま”と呼ぶ。
あたしの名前はちゃんとあるのに。それでもその名で呼ばれることは、きっとこの先ないんだろう。
あたしが背負った罪が許されるその日まで……。
「その震えるまつげに込められた想い、一体どこに向いているのか。願わくばその矛先にいるのが、と淡い期待を抱くのは、哀れな男の願望に過ぎないのでしょうか。頬杖をついて物憂げに遥かを見つめるその姿も……」
「ロッドバルド。回りくどい言い方じゃなくて、もっと簡潔にお願い」
「……何を憂いているのでしょうか?」
あたしにしては素っ気ない言い方になってしまうのも、仕方がないことだと思うの。あたしの中で、まだそれは過ぎたこととして消化できていないから。
だって、あなたはあたしに目隠しをしていた。
あたしの罪を、あなたは奪い取ろうと、なかったことにしようとしていた。
この城に来た子どもたちのためにも、あたしは泡とはならないと決めたけど、それでも、あなたのことはまだ、許せそうにない。
「あたしが犯した、罪のこと」
「……それは」
「あたしがやったのよ。あなたじゃないわ。あたしのこの罪を、もう奪おうとはしないで」
「貴女が嫌がることを、どうして私ができましょうか」
「嘘ばっかり」
あたしに知らせずに、気付かせずに事実を変えることなんか簡単なのでしょう?
彼の方を全く見ないで返す言葉。そのことに対して、彼は何も言わない。
本当なら、人間のマナーとして、背を向けながら会話を交わすことなんて、マナー違反なのに。それを教えてくれた彼は何も言わない。
「それはまぁ、嘘をつくのが」
「悪魔というものだから、でしょう?」
「さすが、分かっていらっっしゃる。ご名答ですよ、蒼の姫君」
くつくつと、何が楽しいのかわからないのに、彼は笑った。
そっと、短く切りそろえた蒼色の髪に触れた。
あたしにはもう、人魚の尾ひれもない。人魚の魔法もない。人魚の魔力もない。人魚なら持っていて当たり前のものは、何一つない。
無力な人間と同じ。
だから、悪魔である彼には逆らえない。逆らうつもりもない。
「と、ささやかな小鳥の戯れのような言葉遊びは、これまでに致しましょう。それで、蒼の姫君。本当は何をお考えでしたのか、この不肖ロッドバルドにお教え願えないでしょうか」
それでも彼は、あれからあたしに向けてその力を使おうとはしない。
……そんなことに気付いてしまったから、あたしは彼の力に頼ろうとしてしまうのだろうけれど。
「……故郷のこと。シャーロックのこと。帝国のこと。子供たちのこと。これからのこと。……本当に、色々よ」
「これからのこと、そこに私は?」
「……含まれていてほしいの?」
「願い請うことが許されるのでしたら」
どうして、彼はこんなにもあたしに近寄ろうとしているんだろう。あたしに好意を寄せているのはわかる。
でもどうして?
だってあたしは、人間になってから彼と共にいた。彼にシャーロックがどれだけ好きか伝えてきた。全てはシャーロックのためだと、彼も分かっていたはずなの。
それなのに、どうして。
どうしてこんなにも、あたしの傍にいようとするのかしら。
「姫さまー! 蒼の姫さまあっ!」
元気いっぱいな男の子の声。
誰よりも甘えん坊で、やんちゃな男の子。この子も、彼があたしに与えた贖罪の対象。この世にすがり止められた存在。
あたしがこれから、守っていくと決めた存在。
「今行くわ、ピーター! ……分かっているの。あたしはここにいるしかないのは。ここでできることをして、罪を償うことしかできないことも」
どこか自分に言い聞かせるように、だけれども。
それでも、彼に伝えなければ。
「シャーロックが望んでいた帝国のことは、今のあたしに気にかけている余裕なんかない。あたしにできることは、ほんの少しだけ」
また、あたしの知らないところで、罪のないモノへ災いを振りまくわけにはいかないのだから。
「ロッドバルド」
「お呼でしょうか、蒼の姫君」
「贖罪の場を与えてくれたこと。それだけは、あなたに感謝しているわ」
だからどうか、これ以上悲しい思いをするものを増やさないでちょうだい。
そんな思いを込めて、あたしは一度もロッドバルドの方を見ないで、その場をあとにした。
「蒼の姫君は、これ以上の悲劇は望まない様子」
だからそう。
彼が考え込むようにそう続けていたことは、知らなかった。
「ならば、あるべきものはあるべき姿に。本来の正しい結末へ、導いてやらねばなりませんね」




