05 子どもたち
ジークの言葉に、あたしたちはどう反応すればいいのか分からなかった。
だって、どういうこと? 子どもが押し寄せてきた?
どうして?
ここで目覚めてから『どうして?』がたくさん。人間になったときと同じくらい、不思議なことがたくさん。
「冗談も休み休み言いなさいよ。何? とうとう幻覚でも見えたわけ?」
「いや、そうじゃない。本当なんだ。俺だって意味が分からん!」
「意味が分からんって……ったく。どうせロッドバルドのせいなんだとは思うけど」
オディールの言葉に、肩が震えた。
ロッドバルドが、子どもたちを寄越したの? なんのために?
どうしてそんなことをするの? ねぇ、どうして子どもたちを巻き込んでいるの?
どうして? どうしてっ!?
「で? どうすんの?」
「え?」
混乱するあたしに、オディールは言葉を投げかけてくる。
「え? じゃないわよ。ロッドバルドがいないんだから、あんたが今この城で一番偉いわけ。判断するのはあんたたちお偉いさんの仕事でしょ?」
あたしの仕事? でも、あたしは……
「オディール、姫は」
「あたしに命令しないで! あたしに命令していいのは、あたしだけよ!」
「それでも、姫はまだ混乱している。無理強いはよくない」
「あんたは、そうやってこいつを甘やかすつもり?」
「一番甘やかしたいのはお前だけどな」
こいつは……! なんて小さく呟いて、顔を赤くしながら軽く震えたオディールは知らない。
そんな些細なやり取りが、失ったときに気付く幸せなんだって。言葉を交せることが、そこに愛しい人がいることが、笑っていてくれることが、幸せなんだって。
頭の中によみがえる言葉。
『私は海が好きだ』
朝、海辺を散歩していたシャーロックが言っていた。
『このどこまでも続いている海が、この息苦しさから解放してくれる』
目蓋を閉じた彼の横顔。低い声。
そのどれもが、好き。
側であなたの存在を感じられること。それがなによりも嬉しくて。
『この心地よいさざ波の音。煌く水面。そのどれもが、どこに行っても変わるものではない』
だから好きなんだ、と。
あなたの側にいるために捨てた海を、あなたは好きと言ってくれる。それはまるで、あたしの故郷を、あたしごと好きだと言ってくれているように錯覚してしまいそうになるくらい、嬉しかった。
『貴女を待つ家族も、きっとこの海で繋がっているだろう。……だから、そう海を見て哀しそうな顔をする必要はない』
あたしの心の中でさえ、あなたには筒抜けなのね。
海であたしを心配してくれているお父様やお姉さま。そんな心の中に抱いている想いですら、あなたには筒抜け。
でも、そうやって気遣ってくれることが嬉しかった。
だからあたしは、あなたにとっての海になれるように。
あなたの心の拠り所になれるように。
それが、海を捨てた人魚姫のできることだと思ってたから。
なのに、ねぇ、待ってよ。
「ほら、行くわよ」
「あ、おいこら待てオディール!」
オディールに腕を引っ張られて、廊下を連れて行かれる。
待ってよオディール。あたしは、どうすればいいのか分からないの。分からないのよ。
ジャーロックをロッドバルドが刺したってことも。
ジークとここにいることも。
オディールがここにあらわれたことも。
あたしがどうしてここにいるかも。
それなのに、あたしが子どもたちをどうするか決めなくちゃいけないの?
そんなの……そんなのできない。
「オディール、待って。待って!」
「何で待たなくちゃならないわけ?」
「だって、あたし……。あたしにそんなこと決められないわ……!」
「変なこと言うのね、あんた。人間になる思い切りは良かったのに、その他ではてんでダメ? 一度は泡になって消えてしまおうと思ったのに?」
「だって、それは……」
それは、シャーロックの幸せを願っていたから。あたしは、シャーロックのことじゃないと、動けないから。
人間になったのだってそう。人間に興味を持ったのだって、シャーロックがいたから。
海の上を見に行ったのは、本当に、偶然で。15の誕生日を迎えたから、一度は見に行こうってそう思ってたから。その一回だけで、満足して、あとはずっと海の底で暮らしているはずだったの。
それだけだったのに、あたしはあの日から、シャーロックのことだけを考えて、彼に会うために、彼の声を聞くために、彼の傍にいるために、それだけの感情で行動してきたのに。
それが、ないの。
動くための、あたしを突き動かすような衝動が、どこにもないの。
彼が居ないの。
「あたしは」
「あ、お姫様だ!」
ハッと振り返ると、少し離れた先にこちらを向いた子どもたちの姿。
皆が貧しい身なりをしていて、手足は汚れている。垢汚れた顔に大きな瞳を真っ直ぐに、いくつもいくつもあたしの方へと向けてくる。
そんなキラキラと輝かせた瞳であたしを見上げて、どうしろと言うの。何を望んでいるの?
「お姫様だ!」
「僕らの国のお姫様だ!」
「綺麗なお水の色の髪のお姫様!」
ぱっと満面の笑みを浮かべる子どもたちに、あたしはどうすればいいのか分からなくて、動けなかった。
助けを求めるようにジークを見たけれど、ジークも戸惑っている。
オディールは嫌そうに顔をしかめて、そそくさと後ろへ下がっていった。
あたしは、どうすればいいの?
「ねぇ、お姫様! ここは幸せになれる場所だよね!」
「辛いことなんかない、新しい、僕らが作る国なんだよね!」
「お姫様は、わたしたちを、追い出す?」
向けられる純粋な瞳。真っ直ぐで、その薄汚れたいでたちには不似合いな、そんな輝きを放っている。
その輝きは、海の中から水面を見上げたときに見える、お日様の光と似ていて、なんだか胸が締め付けられた。
「まっ、待て待て待て! それ以上近付くな! 姫は高貴なお方ゆえ、みだりに触れてもいいような相手ではない!」
「……ジーク待って。いいの」
「姫、しかし」
「いいの」
海がどこにもないこのお城の中で、この子達の中に海が見出せたから。この子たちが、不安定な今のあたしの支えになりそうだから。
そっと一番前の男の子の頬に触れた。
「お姫様?」
「あなたは、ここで暮らしたいの?」
「ここは僕らに辛い仕事を押し付けたりしない場所だって、そう聞いたんだ。だから、僕はここに来たんだよ」
「それなら、どうか。ここに居てちょうだい」
ぎゅっと抱きしめたその子からは、潮の香りはしなかったけれど。
海もシャーロックもなくしたあたしの前に、突然現れた、唯一の救いの光のようにも思えた。




