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淡褐色と灰色  作者: 葉山
第五話【白き姫君】
54/100

01 逃走劇

 雪のように白い肌。黒檀のように黒い髪。血のように赤い唇の、美しい容姿をした姫君。

 深い森の奥に、ひっそりと歴史を刻み続けているかの国で、彼女は生を享けた。

 年齢を重ねるごとに美しさを増す彼女は、生母が亡くなった悲しみも乗り越え、新しい母親たる王妃をも心から迎え入れた。


 城下まで聞こえるその噂に違わず、外見もその心も美しい姫君の名はマリア。

 正式名称は途中で舌を噛んでしまいそうなほど長いため、正式な場でも早々呼ばれたためしはない。


「……はぁっ、はぁっ!」


 そんな彼女は今、逃げていた。

 国を囲むように、鬱蒼と生い茂る森の中を。

 何処に向かうかも分からぬまま、ひたすら逃げ出していた。

 姫としてあるまじきことだが、華奢な靴で走っている。


 生まれてこの方、馬車でしか移動したことのない深層の姫君が、何故走っているのか。

 それにはやんごとない理由があった。


「これでもう、追っ手は巻いたかしら……?」


 顔を隠すように深くかぶっていたローブをそっと持ち上げ、振り返る。


「いいえ、お義母様はワインの後味のようにしつこいもの。これだけの距離で安心なんかしちゃいけないわ」


 ふぅ、と深く息をつき、彼女は再び駆け出した。


「氷漬けにされてたまるものですか!」


 彼女は逃げていた。

 現王妃である継母から。

 その美しさを永遠のものにされる前に、城から逃げ出していたのだ。

 そして再び、暗い暗い森の中を走りだすのだ。




第五話【白き姫君】




 美を尊ぶ国・スノーベルク。

 帝国とアウトキリアの中間地点よりも北に位置しているその国は、針葉樹の森を越えた先にある。

 詩人たちが天使に祝福されし美の国と表現する程、煌びやかだ。鬱蒼とした森を越えた先に広がる景色は白銀に輝き、森を越える苦労をも吹き飛ばしてしまう程である。

 繊細な彫刻、レース模様や幾何学模様の刻まれた建物。その一つ一つがどんよりとした灰色の空の下、白く輝いている。雪をモチーフとした繊細で洗練された、町並み。

 城下を過ぎたその先に聳え立つのは、ぼんやりと輝いているかのように錯覚してしまう、白銀の城。

 その城の主である国王は、国務に忙殺されていると言う。


「本当に、愚かな国民ね。この美しい国には不釣合いだわ」


 あくまでも噂でしかないが、城下で国務怠慢によるしわ寄せがきていないが為に、国民はそれを疑いもしない。

 それは彼女にとってとても好都合なのだが、この美しいとされる国の住民が愚民では、美しさを損なってしまう。


「いずれ、この国の美を損なう者はすべて、硝子細工にでも変えてしまおうかしら」


 真っ赤な爪先で、同じくらい赤い唇をとんとんと叩く。

 彼女が悩むときの癖だ。


「まぁ、それは二の次でしょうね」


 そう、まず始めに、この国に嫁いできた目的を果たさなくてはならないのだから。

 そんなに見栄えもしない、彼女の美しさの基準で言えば美しくない国王と婚儀を挙げたのも、全てはこの目的のため。


「さぁ、鏡よ鏡。私の問いに答えなさい」


 美しいものを集める崇高な趣味を持つ后は、真実の鏡に向って、歌うように問いかけた。


「世界で一番美しいのは誰かしら?」


 ぐにゃりと鏡面が歪み、そこに映し出されるものを変える。

 姿を正反対に映す鏡面に映るのは、后ではない。


 雪のように白い肌。黒檀のように黒い髪。血のように赤い唇の、美しい容姿をした姫君。

 随分と前からこの問いに答えるときに映し出される、この美しい少女。


 后は真っ赤な唇に笑みを乗せ、ゆっくりと微笑んだ。


「私の美しく可愛い義娘は何処かしら?」


 ぐにゃりと、鏡面が歪む。

 映し出されるのは、深い緑が光を細くしか地表に届けない針葉樹の森。この国の周りをぐるりと囲うように生い茂るその森で、目当ての少女は懸命に走っていた。

 その美しい容姿を隠すように深くフードを被っていても、その気品までは隠せやしないのに。


「逃げる必要なんてどこにもないのに、愚かな子」


 年を重ねるごとに美しさを増す少女。

 だがそれもいつしか限界が来る。美しさは損なわれ、衰えてゆくのだ。


「永遠に美しいままでいさせてあげると言っているのに、自分の美しさに気がついていないのかしら?」


 まぁいいわ、と彼女はそっと鏡の前から窓辺へと移動した。絨毯の敷かれていない部分で、こつこつと己の足音が響く。


「その美しさも、すぐに私のモノとなるのだから。今はせいぜいお逃げなさい」


 その美しい容姿を損なわない限り、私は優しいのだから。

 后は赤い爪にそっと口付けた。どこかで爽やかな林檎の香りが漂った気がした。

 それを確かめることができるものは、いない。



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