06 運命の短剣
何……? 悪魔の娘の家に、一日に二回も誰かが訪れたってこと?
アタシは一つ手を叩いて、とりあえず見苦しくないような服に着替えた。涙の跡も今だけ魔法で誤魔化して、ベッドから降りる。
それから足を前に踏み出すと、場所が変わる。
ここは、アタシの家の玄関。
“誰か”の腕を捻り上げる、人間の姿のアイツ。
それから……
「女がこんな物騒なもの持ってどうするつもりだ?」
「放してっ!」
昼間の、白鳥女? どうしてここにいるの?
だってアンタは、アタシがイーストヴェリアの街に飛ばしたじゃない。
ギリギリと白鳥女の腕を捻り上げるカエル男。
カツン、カツンと音を立てて何かが落ちた。
小さな玉がアクセントにされた紐飾り。あれは“魔具”ね。
それから、鈍い光を放つ……
短剣。
「それで何をしようとしたか、言ってみろ」
「貴方じゃないっ! 貴方には関係ないっ!」
「その刃先を向けて突撃してきたのに、関係ないはずねぇだろっ!!」
「関係ないわっ! だって私は悪魔の娘に用があるんですもの! 邪魔しないで!」
なんとなく、分かった。
白鳥女はアタシを殺しにきたのね、あのちっぽけな短剣で。
そんなこと、アタシがさせてやるはずないのに、馬鹿じゃないの。
アタシなんかを恨んでいる暇があれば、元婚約者でも惹き留める努力をすればいいじゃない。
なんて、アタシが言えた義理じゃないけど。
「セントラル陸軍軍尉ジーク・アルライド侯爵の名において、オディールに危害を加えるのは許さないからな」
ガンと、鈍器で頭を殴られたかのような衝撃だった。
なんでそんなこと言うの?
アタシはアンタを拒絶したのよ?
アンタにそんなこと言われるようなこと、してないのに!?
なんで?
なんで!
どうして!?
「侯爵、貴方までその女に惑わされてしまったの!? 目を覚まして!」
「安心しろ、目はとっくに覚めてる。俺はいつだってまともだ」
「その女は悪魔の娘なのよ!?」
「だからなんだよ。俺からしてみれば、アレで人を刺そうとするお前な方が、よっぽど“らしい”ぞ」
五百年前とは全く違う状況。
あの時はアタシが敵だった。
白鳥女とジークフリートさまの悲劇を作り出した原因。
でも今は、アタシを白鳥女から庇ってくれている。
アタシが敵じゃなくて、アタシの味方になろうとしてる。
五百年前、そうだったらいいのにと願っていたことが、今、現実になって起こってる。
アンタにそうしてもらえる資格なんか、アタシにはないのに。
「……離しなさいよ、カエル男」
「「!?」」
腕を組んで、あえて冷たい声色で言ってやった。
アンタの言葉に動揺させられたなんて、気付かれたくなんかないし。
ゆっくり近付く。
「アンタには出ていけって言ったはずよ。こんなところで何してんの?」
「……お前、着替えるの早いんだな」
「そんなことどうだっていいでしょっ!?」
話を逸らさせないでちょうだいっ!
なんでこうも空気が読めないのかしら、さっきのは幻覚だったわけ?
ううん、こんなことにいちいち目くじら立ててる場合じゃないわ。
アタシは床に転がっていた短剣を拾い上げた。
「アンタ、用があるのはアタシなんでしょ?」
「そ、そうよっ!」
「ならカエル、邪魔しないで。さっさと離しなさいよ」
ジークフリートさまそっくりの顔に向かって、冷たく聞こえるように言った。
名前、ジークだっけ?
名前はちょっとだけ同じだけど、身分は違うのね。ジークフリートさまは王子さまだったもの。
性格だって違うじゃない? だから別人だって、ジークフリートさまじゃないって思い知らされる。
「でもな……っ!?」
何か言い掛けていたけど、ぽんっと音を立てて煙に包まれた。酸味のある林檎の薫りが鼻をくすぐる。
ぺたりとカエルの姿に戻ったのをみて、白鳥女は小さく声を上げた。
あぁ、丁度いいわ。
離せって言っても離さなさそうだったし、カエルになっちゃえば何も出来ないもの。
「それで、アタシに用があるんでしょ?」
ゆっくりと近付く。
白鳥女の肩が、ビクリと震えた。瞳が揺れて、怯えるような顔をしている。
当然ね。
アンタが憎くて憎くて仕方がない悪魔の娘のアタシが、微笑を浮かべながら近付いているんだもの。
恐がってもらわなくちゃ、アタシが今からやろうとしていることが無意味になるわ。
「おいっ、お前何するつもりだっ!?」
「カエルは黙ってなさいよ」
「っだ!?」
軽く腕を振って、いつもみたいに壁に叩きつけてやる。べしゃっと音が鳴ったけど、そんなこと気になんかしないわ。
どうせまた林檎の香りを放って、ジークフリートさまそっくりの姿に変わるんだから。
余計なことされる前に、アタシは一気に白鳥女の傍に詰め寄った。
「やっ」
「アンタが何をしようとしたか、アタシには分かってんのよ」
「来ないでっ!!」
「何言ってんの? 近付かなきゃ“刺セナイ”じゃない」
失笑を漏らして、白鳥女の手を掴んだ。震える細い手に、短剣を握らせる。
そんなに震えてると落としちゃうわよ?
握る手の上から強く握り締めた。
それから、アタシとアンタの目の前に剣先を掲げてみせる。
鈍い光を放つそれを、互いの顔の間に持ってくるの。
「それで、アンタはこれで何をしたかったの?」
「わっ、……わたっ……」
「アンタはこれで、アタシを“刺シ殺ソウ”としたんでしょ?」
カタカタと震える。目尻に涙がたまる。
鋭い剣先を目前にして、やっと気付いたの?
これが傷付ける道具だって。
切り付けるための道具だって。
それを可能とさせるものだってことを、こうさせることで始めて気付かさせられるんだから……。
こうまでしないと気付けないんだから、本当に人間って愚かよね。
「ここまでお膳立てしてあげたんだから、やればいいじゃない」
「やっ……、いやっ!!」
「簡単なことよ、ちょっと力を入れればいいだけ。それとも、
アタシがアンタにしてあげよっか?」
目一杯に開かれた瞳。
アタシを何だと思ってんの?
偽善者なんかじゃないわ。アタシは悪魔の娘オディールよ?
気付かせるだけの、優しい存在のはずないじゃない。
囁いた言葉に、握られた手に力がこもったのを感じた。
そしてそのまま刃先を傾けて……
アタシの胸を貫いた。




