03 彼女の呪い
「っあ!?」
がばりと身を起こした。
寝汗がひどくて、髪がぺったりとくっついている。
息だって荒くて……、なんなのよもぅ!
五百年前の、夢。
ジークフリートさまは、あのオデットと言う女を追って入水自殺されたって、風の噂で聞いた。
今のアタシからすれば、だから何って話。
ジークフリートさまがあの女と幸せになるなんて許せなかったけど、未来で結ばれようと一緒に死んだってそんな確証なんかないし。
運命なんか、そんなに甘くない。
「……アイツなんか拾ったから、こんな夢見ちゃったのかしら?」
ジークフリートさまによく似たアイツを魔法で運んで、アタシが引き取った。
カエルなんか触りたくもないし、引き取るとか本当はやだったんだけど。
……仕方ないじゃない、似てるんだもの。
ベッドテーブルに置いてあるブラシで、ゆっくりとクセのある髪を梳かして気持ちを落ち着ける。
丹念に梳かしてから、髪のお手入れして肌のお手入れしないとね。
綺麗になるための努力は惜しめないもの。
「カエルが、人間に変わったってことよね?」
人語を話せるカエルって言うのも変よね?
逆かしら? 人間がカエルになって、戻った、とか?
……考えるのとか、面倒ね。
直接聞いたほうが絶対早いわ。
悪魔の魔法を使って喚んじゃおっかな。
【召喚されよ“林檎の魔女”】
ヴン、とベッドサイドの空間が揺れる。
穏やかそうな外見の、美の妄執に取り付かれた魔女がそこに現れた。
「……どうして突然有無を言わさずに喚ばれなくちゃならないのかしら?」
「魔女が悪魔に逆らうつもり?」
「逆らいたくても逆らえないわ。だってそう言う決まりだもの」
魔女が悪魔には逆らえない。
アタシたち魔法を使う力関係の決まりだし、何千年と生きているアタシたちに適うなんか思ってないのよね。懸命な判断だわ。
「単刀直入に聞くけど、カエルの持ち主は貴女でしょ?」
「カエルの呪いを掛けたのは私よ。でもアレは私のコレクションじゃないわ」
「外見だけは完璧よ?」
「外見だけは確かに美しいわ。でも、中身が未熟すぎるのよ」
残念だわ、と綺麗なものに目がない林檎の魔女は肩を落とした。
ジークフリートさまそっくりの顔しているんだから、美しくないなんか言わせるつもりなかったけど!
……それならまぁいいわ。
「そう、それじゃ呪いを解きなさい」
「あら、私が直接手を下す必要はないでしょう?」
「何言ってるの?」
どこが面白いのか分からないけど、林檎の魔女はクスクスと笑った。
馬鹿にされてるようで、ムカつくんだけど。
「魔女よりも魔力がある悪魔には、呪いを解くことなんか簡単でしょう?」
「別に、そんなことどうだっていいでしょ」
「……まぁ、いいわ。解く方法くらいは教えてあげる」
いちいち上から目線で腹立つ女ね。
しかも、解く方法じゃなくて解けって言ってるのに。なんで解く方法とかにするかな。
「私が掛けたのはカエルの呪い。失神するような強い衝撃を与えたら一時的には解けるようだけど」
「一時的じゃなくて」
「分かってるわ、最後まで人の話は聞きなさい?」
キスしてあげればいいのよ。
林檎の魔女はそう言った。
「は?」
「キス。口付け、とにかく唇を付ければ解けるわ」
「ばっ、馬鹿言わないでよ! そんなことできるはずないじゃない!」
あの緑色にそんなことを!?
無理だわ、絶対無理!
乙女の唇をあんなカエルになんて……!?
「だからカエルにしてこんな解呪方法にしたのよ。私は解けなければいいと思ってるんだもの」
そろそろいいかしら? と聞かれて、アタシは唇を噛み締めながら頷いた。
林檎の魔女が消える。後にはアタシだけ。
何百年経ってもジークフリートさまの外見には、呪いがつきまとうのかしら?
あのカエルがなんで呪いなんか掛けられたか、なんてアタシには全然分からないけど。
「元に戻っ……!?」
隣の部屋から、ボンッ! と何かが弾けるような音がした。
あぁ、こんなことしている場合じゃないわ! 余計なことされる前になんとかしないと!
アタシはカエルの手足で部屋のあちこちをペタペタ触られる前に、慌てて隣の部屋に駆け込んだ。
「ちょっと、カエルの手足で動……って何してるのよっ!!」
「知るか! 助けろ!」
何よ何よ偉そうに!
命令に従わされてるみたいでスッゴく気にくわないけど、アタシはすいと腕を一振りしてカエルの体を宙に浮かべた。
あぁ、なんてことしてくれるのよ!
アタシのお気に入りの赤いお洋服……。白いレースがたっぷりで一番気に入ってたのに、カエルの体液がべっとり付いてる。
「あああぁっ、アタシのお気に入りなのに……!! これもう着れない……」
「何勿体ないこと言っているんだ! それ、どこも汚れてないだろうが!」
「たった今! アンタのせいで汚れちゃったのよ!」
ここ見なさいよ! とテカっている部分を突き付けてやっても、キョトンとしてるだけ。
……だけじゃなくて、気付きなさいよ! 謝りなさいよ!
こんな気持ち悪い体液が付いたお洋服を着れるような、図太い神経なんか持ってないの!
「そんなことより、いい加減下ろせっ!」
「そんなことですってえぇ!?」
アタシのお気に入りのお洋服を汚しておいて、そんなことですってえぇ!?
フリルをぎゅっと破れちゃうくらい強い力で握りしめる。わなわなと唇が震えた。
「アタシのお気に入りのお洋服ダメにして、そんなこと……!?」
「そんなことだろうがっ! 洗えば済む!」
「そう言う問題じゃないわよ!!」
そんな単純なはずないじゃない!
緑色の生き物のくせに、ううん。緑色の生き物が何そんな簡単に言ってるのよ!
「あぁもう本っ当に馬鹿みたい! アンタのせいで身仕度ですらまともにできないじゃない!」
「は? そのままで十分だろう?」
「カエルに慰められたって嬉しくないわよ! 乙女の準備はね、そう簡単に済まないのよっ!!」
「そうなのか?」
あぁもう、なんてデリカシーのないカエルなのかしら!
いくらジークフリートさまに似てるからって、拾わなければよかった!
林檎の魔女が言うように、中身が未熟。ただの餓鬼だわ!
こんなカエル、どこかに捨てちゃった方がアタシのため。
バイバイ、カエルさん。窓の外へサヨナラよ!
アタシがすぃと腕を振ろうとしたそんなとき。
「十分可愛いと思うぞ?」
何気なく言われたその言葉に、ピタリと止まってしまった。
振り上げた腕が下ろせない。
だって、今のアタシ髪だって未だぐしゃぐしゃだし、化粧水でさえ付けてない。
お化粧したり着飾ったりもしてないのよ?
本当に櫛で梳かしただけ。何もしてないの。
今のアタシが、可愛いはずなんか……!
「ばっ、馬鹿じゃないの!!」
「馬鹿とはなんだ馬鹿とはっ!」
「うるさいわねっ!」
勢いに任せてぶんと腕を振り下ろす。
生み出される風の塊がカエルに直撃して、街の時と同じように壁に叩きつけられてひっくり返って倒れていた。
「カエルに何言われたって、嬉しくなんかないんだからっ!」
あんまりにも勢いよくやっちゃったから、ジークフリートさまによく似た姿に変わるんだろうけど。
でもアタシが、それこそ“そんなこと”なんか気にしてなんかいられなかった。




