10 平穏
「ねー、グレイ」
「何?」
「何じゃなくてさ、なんでその猫当たり前のようにそこにいるの?」
「何でって……」
グレイは膝の上で丸くなっているアンバーを見下ろして、不機嫌そうにこちらを……主にアンバーを睨んでいるゼルを見て、軽く首を傾げた。
「暖かいから?」
「寒かったらお兄ちゃんが暖めるから! そんな元人間にひ、膝枕なんか止めなさいっ! 姿は猫だって、そいつ元はちゃんと男なんだから、可愛いグレイが」
「ゼル、煩い」
「グレイーッ!」
もはや半泣き状態の情けないゼルを、グレイは無情にも切り捨てた。
暖炉の火が暖かな室内に、前触れもなく魔女の声が響いた。
『ゼルかグレイ、どっちでもいいわ。お湯持ってきて、今すぐによ』
「ケトルにお湯は沸かしてあるわよゼル」
「……行くからっ! 僕が行くからそんな冷ややかな目で見ないでよ! お兄ちゃん泣いちゃうぞ!?」
「既に半泣きではないか、情けない」
「お前に言われたくないし、いい加減グレイの膝から降りろーっ!!」
目尻に涙をためながらもアンバーにくってかかる兄に、グレイは少し声を低くして魔女の言葉を繰り返した。
「今すぐに、よ」
「分かったから、嫌いになるなよグレイー!」
何度もそう念押ししながらリビングを後にするゼルに、グレイは深くため息を吐いた。
器用に首だけ動かして、暖炉の火に揺らめく琥珀色の瞳を柔らかく細めてグレイを見上げる。
「溺愛されているな」
「あなたには負けるわ」
「私の殿下にあてる気持ちは敬愛だ。同じではない」
城での騒動があってから一週間が経った。
あれから、林檎の魔女からの接触はない。
アンバーは変わらず猫の姿で、第二王子だと言うことを忘れそうなほど、猫らしい動作が板についてきている。
ヴァイオレットも王太子と共に大切に思う者に会えたのか、以前よりスッキリとした顔に切り替わっていた。
何事もなかったかのように、平穏な時は流れていた。
「グレイ」
「何?」
「そなた私に対して敬語を使わなくなったな」
「だって、やっぱり猫にしか思えないんだもの」
元の姿を見たとしても、やはり話す猫としか見えない。
額の傷にちょんと触れながらそう言うと、アンバーは困ったように首をすくめた。
「実を言えば、自分でも猫に慣れすぎて困っているのだ」
「……人間になっても四つ足で歩かないでね?」
「善処しよう」
大真面目に頷くものだから、グレイは小さく吹き出してしまった。
クスクスと笑うグレイに、笑い事ではないぞ、と返していたアンバーだったが、ふと真面目な顔になって身体を起こした。
「……大丈夫か?」
何が、とは言わない。
一週間前のことを指しているのは明白なのだから。
「大丈夫よ、そこまで弱くないわ」
再び投げ掛けられた林檎の魔女の言葉に、動揺したのは事実だ。
あの場で自分だけ何一つ変わらなかったのも……変えられなかったのも事実。
それにショックを受けて茫然としてしまったのも、己の無力さを実感したのも全て認める。
林檎の魔女は自分一人でどうこうできる相手ではないし、だからこそ兄妹手を取り合ってなんとかしなくてはならないとも思う。
改めて、それを実感させられた。
「私ができる範囲で足掻くだけ。あんなどうしようもない馬鹿兄だけど、守りたいもの」
「それを本人には言ったのか?」
「一回だけ。何度も言うとすぐ調子にのるから」
王太子とアンバーとの間にあるものとはまた別の形だが、この兄妹の間にも確かにあるのだ。
ただグレイがそう簡単に表に出さないだけであって。
「流石だな、その手綱の握り方」
「ゼル限定だから、騎馬隊には向いてないわよ」
「……む」
「あーっ! お前いい加減グレイの膝から降りろーっ!!」
扉を開けるなりそう叫ぶゼルに、二人は同時に苦笑をもらした。
それがまた気にくわないのか、ゼルが声をあげる。
一気に賑やかになった室内に、仕方ないわね、と肩を落としたグレイは灰色の瞳を細めた。
「いい加減静かにしないと、嫌いになるわよ」
「そんなっ、やだっ、グレイーッ! お兄ちゃんが悪かったから嫌いにならないでー!」
しがみついて泣き付くゼルの頭をポンポンと叩きながら、調子にのりそうでしょ? とアンバーに肩をすくめながら言うと、アンバーは琥珀色の瞳を細めながら、同意するかのようにぱたんとしっぽを動かした。
そう遠くない未来、またあの林檎の魔女が何かを仕掛けてくるのだろうけれど、それまでは、この平穏な一時を過ごしていたいとグレイは琥珀色の瞳見つめながら思っていた。
Fin.
*猫の瞳は琥珀色
メインは長靴履いた猫
サブメインは鉄のハインリヒ
ほのぼのと見せかけた今までのまとめ作品




