04 依頼
「……あんた、一体何者?」
彼の叫びに、魔女がゆっくりと口を開いた。
心なしか鋭くなった紫色の瞳に、彼は真っ直ぐに名乗る。
「私の名はアンバー。アウトキリア国琥珀騎馬隊隊長であり、現国王の第二子でもある」
猫の姿でも関係などなかった。
恥じることなどどこにあるだろうか。
隠すことなどどこにあるだろうか。
臆することなどどこにあるだろうか。
妙に威厳あるその言い方に、外見など関係なくそうなのかと思わせてしまうものがある。
本来ならそのような高い身分の相手には、頭を下げて敬意を払わなければならないのだが、グレイはそうすることですら忘れ、灰色の双眸を大きくして彼を凝視していた。
「第二子……ね。それじゃ、婚約したあんたの兄って言うのは」
「キースと言う。王太子だ、名くらいは知っているであろう?」
「知ってるも何も……」
言葉の続きはため息の中に消えていった。
金色に輝く長い髪をかきあげて、前髪をくしゃりと握る。
魔女が何も言わないため、部屋には沈黙が落ちた。
「あの……」
「なんだ?」
「ど、して……呪いなんか…」
あの人に掛けられたのか。
グレイには言葉を続けることができなかった。
それでも彼は言下の意味をきちんと汲み取ったらしく、寝台から飛び降りてすっかり冷めた紅茶に口をつけながら答える。
「少し前に、侵略戦争が終戦を迎えたことは知っているか?」
「この国に攻め入ろうとした他の国を退けたって言う……」
まだグレイの記憶にも新しい。
六番街に住んでいた頃、父が徴兵により戦場へ連れていかれ、帰ってこなかった。
それはとても悲しいことだったが、グレイには兄がいた。二人でなんとか生きていかなければと、まだ現実を見れただけまともだったのかもしれない。
つい最近、五番街で一人のマッチ売りが亡くなった。
彼女のような戦争遺族の傷は、癒えることなく胸に刻まれている。涙が止まることなんてないとでも言うように、国民の記憶に強く残されているのだ。
「退けたわけではない。正しくは、退けられたのだ」
林檎の薫りを漂わせた魔女に。
その強大な魔法により武器という武器を破壊され、敵味方は各陣営へと引き離された。
強制的に終戦に持ち込まれたのだと言う。
「それだけならばよかったのだが、何せ魔女だ。私と敵陣の首謀者に呪いを掛けた」
「……猫になる、呪いを?」
「私は猫だが、相手は蛙になったと聞く」
「か、カエル……」
ただ終戦させたと言うだけであれば、人々に誉め讃えられるべき存在になったのかもしれない。
だが、魔女は自分の利になることしかしない。
だから呪いと言う置土産を残した。
人のためになることだけはしない。
呪いを掛けた魔女にしても、目の前にいる、紫色の魔女にしても。
「……グレイにも、あたしにも、厄介なもの持ち込んでくれたわよね」
魔女が深くため息を吐いて、ゆっくりと肩を落とした。
「それで、あんたは何がしたいわけ?」
どうしたいか。
それを魔女が問うのは、協力する気があると言うこと。
己の経験から、グレイはそれを知っていた。
「私は城に行き、兄に会う。それが私の成さねばならないことなのだ」
「会うことが何になるって言うのよ」
「会うことに意義がある。私が直接会わねば意味がない」
だからこそ、と彼は魔女を見上げた。
凛と顔を上げ、琥珀色の瞳を真っすぐにぶつける。
「力を貸してくれないか。兄に会う数分だけ、私を元の姿に戻してくれ」
頼む、と口にするが頭は決して下げない。
そこに他の誰にも従うつもりはないと、そう言うような姿勢が映し出されていた。
魔女はそれをじっと見据えていたが、やがて大きく息を吐いた。
「……グレイ、仕事よ」
「え?」
「たかだか猫一匹が、仮にも王太子のところに行けるわけないでしょ」
それもそうだが、何故グレイに声が掛けられたのか。
魔女が雇い主故にその指示に逆らうつもりはないが、ただの小娘が王太子の元に行けるとは思えない。
そのことを魔女に伝えようとしたが、魔女は分かって言っているらしい。
「ゼルよりはあんたの方が機転が回りそうだし、女官の格好しとけば誤魔化せるわ」
「だからって、これ立派な犯罪じゃ」
「案ずるに及ばない。いざとなったら私がなんとかしよう」
力強く言われたとしても、猫の彼に何ができると言うのだろうか。
結局は自分でなんとかしなくちゃならないのよね、とグレイは深く深くため息を吐いた。
ぱちん、と魔女が指を鳴らす。
ふわりと二本の紐飾りがグレイの手元に落とされた。
「この“魔具”は? 一本は帰ってくるためのものよね?」
「そうよ。使い方は分かるでしょ」
「大丈夫」
帰りたい場所を強く思い描いて、握る。
それだけで魔法が働くらしい。そう言うものだと割り切って考えると、なかなか便利なものだと思う。
本当に大丈夫だと判断した魔女は、寝台から身を乗り出して彼の鼻先に指先をあてた。
「いい? あんたのはついでよ」
「……何を企んでいる?」
「私事よ、あんたと同じ」
そして、ぱちん、と彼の目の前で指をならした。
その瞬間、彼の毛という毛が総毛立ったが、それも一瞬のこと。
身体を走り抜けた奇妙な感覚に、彼は軽く瞬いた。
「魔法を掛けたわ」
「……だが、何も変わってない」
「あいつの、あんたの兄と目が合ったらほんの数分だけ呪いが解けるわ」
「それは本当か!?」
「魔女は嘘を吐かないわ。ただ、呪いが解けるのはその時だけよ」
それから、とグレイに視線を向ける。
紫色の瞳は、怖いくらいに真剣だった。
「いい? 呪いを数分とは言え無理矢理解くの。あいつには確実にバレるわ」
「義母さんに……、気付かれたら」
「出来る限りのことはするわよ、ゼルを連れ戻されたくないんでしょ?」
頭にフラッシュバックされる光景。
しなやかな枝に手足を縛られ、捕らえられていた兄。
恍惚とした表情で兄の瞼に口付けていた義母。
歪む鏡、はぜる暖炉、小さな林檎の木。
そして、
『後悔すればいい……!!』
炎に包まれながら吐き捨てられた言葉。
許せないことをした魔女とは言え、義母をあのような目にあわせてしまった己の手を見つめて、グレイは小さく震えた。
「今のあんたたちはあいつのじゃないわ。あたしのよ。自分のものくらい守るわ」
私はものじゃないわ、と返すこともできないグレイはゆるゆると顔を上げた。
魔女の強い双眸とその言葉に、震える手を握り締める。
大丈夫だ。そこまで弱い人間じゃない。
そう自分に言い聞かせて、忘れ去りたい記憶を押し退けた。
「ゼルのこと、お願い」
「当たり前よ。代わりにグレイ、あたしの用事を必ず成功させてきなさい」
「努力はするわ」
そして魔女は、ぱちん、と指をならした。




