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淡褐色と灰色  作者: 葉山
第二話【橙色の灯火を】
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05 虚無


 暗くなった街を歩くのに、怖いなんて思わない。

 飲食店以外のお店のシャッターは下ろされて、暗がりばかりの五番街は昼間とは全然印象は違うけど、それでもわたしが生まれ育った場所だ。

 怖いことなんかない。


 キミを失ったこと以上に、怖いことなんてない。


「……あ」


 頬に冷たい何かが舞い降りた。

 空を見上げれば、白い羽のような雪がゆっくりと降ってきている。

 吐く息だって白いし、指先だってかじかんで……寒くて顔が痛い。


 ねぇ、キミはどこにいるの?


 すれ違う人を目で追いながら、わたしはキミの姿を捜した。

 戦死だなんて嘘なんでしょ。

 きっとキミはなんでもないような顔して五番街にいて、気まずくて帰ってこれないだけなんでしょ。

 なら、わたしが見つけてあげないと。


 そうすれば、キミは帰って来れるでしょ?


「あ……っ!」


 後ろ姿が見えた。

 家路を急ぐ人や、家族で歩く人たちばかりが行き交う通りで、彼だけははっきりと見えた。


 薄手のコートを着て、1人で石畳を歩いているライトブラウンの少し跳ねた短髪の……


「待って……!!」


 見失わないように、消えてしまわないように。

 わたしは必死でその背中を追い掛けた。


 キミは、死んでなんかないんだ。

 だってここに……、


「待っ……」

「え、何?」


 掴んだコートの持ち主は、キミじゃなかった。

 きょとんとした顔まで同じなのに、その人の瞳の色が違っていた。


「あ、昼間ぶつかっちゃった人だよね?」


 キミにそっくりな顔した人だった。

 不思議な色の瞳さえ違ければ、キミだと勘違いしてしまいそうな人。


 あなたと出会ってしまったから、キミも生きているんじゃないかって、そう思ってしまったんだ。

 舞い落ちる雪に、あなたがキミだと錯覚してしまいそうな……。


「え、何で泣くの?」

「……ごめん、なさい」


 寒くて赤くなった頬に、涙が伝った。


 目の前で狼狽えてるこの人は、キミと同じように困っているけど、キミみたいに涙を拭ってはくれない。

 当然だ。だってこの人はキミじゃないんだから。


「知り合いに、似てたから……」

「泣くほどそっくり?」

「瞳の色だけ違いますけど、そっくり過ぎて驚きました」


 目元を擦って、無理矢理笑顔を浮かべてみた。

 だって、この人には関係ない。キミとこの人は似ているだけで、赤の他人なんだから。

 わたしが勝手に迷惑を掛けているだけだ。


「突然、スミマセンでした」

「いーえー、探してる人じゃなくてゴメンね、ミアちゃん」

「え……?」


 どうして、名前を……。

 なんでわたしの名前を知ってるの?

 名乗ってもいないのに、どうして分かったの?


「やっぱり。籠の中身でそうかなーって思ったんだけど、当たりだったね!」

「どうして……」

「有名だよ? 夢を売るマッチ売りのミアちゃん。遺族たちの希望だってね」


 にっこりと頬笑まれながら言われた。

 その顔を直視することなんかできなくて、あなたから視線を外しながら聞く言葉は、少し意外だった。


 わたしの仕事がそんな風に言われているなんて。

 遺族の希望だとか、やめてほしい。


 だって、わたしばかりが希望になっても、わたしの希望はどこにもないんだから……。


「余計なお世話かもしれないけど。やめた方がいいと思うよ、それ」

「……え?」


 キミに気付かされて始めた仕事を、キミに似た顔の人に止められた。


「だって、それ。ミアちゃんには見えないんでしょ? 虚しくならない?」

「……でも!」

「僕だったらゴメンだなぁ。他の人ばっか見えて、肝心の自分が見えないとか」


 そこまでできた人間じゃないからかもね。


 そう言ったあなたは、無邪気な顔でわたしを傷付けた。

 虚しいに決まってるじゃないか。そんなの当然だ。

 帰ってこないキミを待ち続けることですら苦しいのに、信じていることが苦しいのに、わたしが与える救いは、誰もわたしには与えてくれないんだよ。


 そんなこと、言われなくても分かってるから。

 でもキミと同じ顔で言われるのは、裏切られた気持ちになるからやめてほしい。

 ボロボロになった心が痛むから、これ以上は言わないでよ。


「あぁ、本格的に降ってきたね」


 ふわふわとした不安定な白い雪が、静かに舞い落ちてくる。

 わたしの頬に触れたそれは、涙と一緒に溶けて流れ落ちた。


 あなたの肩についたそれは、無造作な手つきで払い落とされた。


 指切りした約束でも、そうやって簡単に破られてしまうんだって思うと、勝手に涙が溢れてくるんだ。


「やだなぁ、泣かないでよ」

「すみません……」


 頭についた雪を軽く払ってくれたあなたは、困った顔をしていた。

 勝手に傷ついたのはわたしなんだから、困るのは当然だけど。


 あなたの無責任な言葉が、冷たく刺さったのは本当のことだし、それで泣くなって言うほうが無理だ。

 だってあなたは、わたしがすがっていたいと思うものを、現実と言う壁で打ち砕いてくるんだから。

 信じていたいキミの姿で、信じることを否定するんだから。


「可愛い妹が心配してるだろうから、僕はそろそろ行くけど」

「……」

「辺りも暗いし、寒くなってきたから気を付けて帰りなよ?」


 それじゃあね、とあなたは背を向けて行ってしまう。

 人込みに紛れて消えてしまう。


 引き止めることなんかできなかった。


 あの時みたいに、引き止められなかった。

 涙ばかりが流れて動けないわたしが情けなくて、同じことを繰り返してしまう自分が嫌で。


 キミと約束したのは、間違いだったの?


 キミを信じて待っていたのは、間違いだったの?


「……ねぇ、わたしは間違ってたの……?」


 雪が舞い落ちる暗い空を見上げて、わたしは返ってこない問いかけを投げ掛けた。


 冷たい空気が、空っぽの心をキリキリと痛めた。


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