05 虚無
暗くなった街を歩くのに、怖いなんて思わない。
飲食店以外のお店のシャッターは下ろされて、暗がりばかりの五番街は昼間とは全然印象は違うけど、それでもわたしが生まれ育った場所だ。
怖いことなんかない。
キミを失ったこと以上に、怖いことなんてない。
「……あ」
頬に冷たい何かが舞い降りた。
空を見上げれば、白い羽のような雪がゆっくりと降ってきている。
吐く息だって白いし、指先だってかじかんで……寒くて顔が痛い。
ねぇ、キミはどこにいるの?
すれ違う人を目で追いながら、わたしはキミの姿を捜した。
戦死だなんて嘘なんでしょ。
きっとキミはなんでもないような顔して五番街にいて、気まずくて帰ってこれないだけなんでしょ。
なら、わたしが見つけてあげないと。
そうすれば、キミは帰って来れるでしょ?
「あ……っ!」
後ろ姿が見えた。
家路を急ぐ人や、家族で歩く人たちばかりが行き交う通りで、彼だけははっきりと見えた。
薄手のコートを着て、1人で石畳を歩いているライトブラウンの少し跳ねた短髪の……
「待って……!!」
見失わないように、消えてしまわないように。
わたしは必死でその背中を追い掛けた。
キミは、死んでなんかないんだ。
だってここに……、
「待っ……」
「え、何?」
掴んだコートの持ち主は、キミじゃなかった。
きょとんとした顔まで同じなのに、その人の瞳の色が違っていた。
「あ、昼間ぶつかっちゃった人だよね?」
キミにそっくりな顔した人だった。
不思議な色の瞳さえ違ければ、キミだと勘違いしてしまいそうな人。
あなたと出会ってしまったから、キミも生きているんじゃないかって、そう思ってしまったんだ。
舞い落ちる雪に、あなたがキミだと錯覚してしまいそうな……。
「え、何で泣くの?」
「……ごめん、なさい」
寒くて赤くなった頬に、涙が伝った。
目の前で狼狽えてるこの人は、キミと同じように困っているけど、キミみたいに涙を拭ってはくれない。
当然だ。だってこの人はキミじゃないんだから。
「知り合いに、似てたから……」
「泣くほどそっくり?」
「瞳の色だけ違いますけど、そっくり過ぎて驚きました」
目元を擦って、無理矢理笑顔を浮かべてみた。
だって、この人には関係ない。キミとこの人は似ているだけで、赤の他人なんだから。
わたしが勝手に迷惑を掛けているだけだ。
「突然、スミマセンでした」
「いーえー、探してる人じゃなくてゴメンね、ミアちゃん」
「え……?」
どうして、名前を……。
なんでわたしの名前を知ってるの?
名乗ってもいないのに、どうして分かったの?
「やっぱり。籠の中身でそうかなーって思ったんだけど、当たりだったね!」
「どうして……」
「有名だよ? 夢を売るマッチ売りのミアちゃん。遺族たちの希望だってね」
にっこりと頬笑まれながら言われた。
その顔を直視することなんかできなくて、あなたから視線を外しながら聞く言葉は、少し意外だった。
わたしの仕事がそんな風に言われているなんて。
遺族の希望だとか、やめてほしい。
だって、わたしばかりが希望になっても、わたしの希望はどこにもないんだから……。
「余計なお世話かもしれないけど。やめた方がいいと思うよ、それ」
「……え?」
キミに気付かされて始めた仕事を、キミに似た顔の人に止められた。
「だって、それ。ミアちゃんには見えないんでしょ? 虚しくならない?」
「……でも!」
「僕だったらゴメンだなぁ。他の人ばっか見えて、肝心の自分が見えないとか」
そこまでできた人間じゃないからかもね。
そう言ったあなたは、無邪気な顔でわたしを傷付けた。
虚しいに決まってるじゃないか。そんなの当然だ。
帰ってこないキミを待ち続けることですら苦しいのに、信じていることが苦しいのに、わたしが与える救いは、誰もわたしには与えてくれないんだよ。
そんなこと、言われなくても分かってるから。
でもキミと同じ顔で言われるのは、裏切られた気持ちになるからやめてほしい。
ボロボロになった心が痛むから、これ以上は言わないでよ。
「あぁ、本格的に降ってきたね」
ふわふわとした不安定な白い雪が、静かに舞い落ちてくる。
わたしの頬に触れたそれは、涙と一緒に溶けて流れ落ちた。
あなたの肩についたそれは、無造作な手つきで払い落とされた。
指切りした約束でも、そうやって簡単に破られてしまうんだって思うと、勝手に涙が溢れてくるんだ。
「やだなぁ、泣かないでよ」
「すみません……」
頭についた雪を軽く払ってくれたあなたは、困った顔をしていた。
勝手に傷ついたのはわたしなんだから、困るのは当然だけど。
あなたの無責任な言葉が、冷たく刺さったのは本当のことだし、それで泣くなって言うほうが無理だ。
だってあなたは、わたしがすがっていたいと思うものを、現実と言う壁で打ち砕いてくるんだから。
信じていたいキミの姿で、信じることを否定するんだから。
「可愛い妹が心配してるだろうから、僕はそろそろ行くけど」
「……」
「辺りも暗いし、寒くなってきたから気を付けて帰りなよ?」
それじゃあね、とあなたは背を向けて行ってしまう。
人込みに紛れて消えてしまう。
引き止めることなんかできなかった。
あの時みたいに、引き止められなかった。
涙ばかりが流れて動けないわたしが情けなくて、同じことを繰り返してしまう自分が嫌で。
キミと約束したのは、間違いだったの?
キミを信じて待っていたのは、間違いだったの?
「……ねぇ、わたしは間違ってたの……?」
雪が舞い落ちる暗い空を見上げて、わたしは返ってこない問いかけを投げ掛けた。
冷たい空気が、空っぽの心をキリキリと痛めた。




