09 兄
グレイが家出を決行したとき、これはチャンスだと思った。
これを逃すと、きっとグレイを守る機会は二度とないだろう。
理由はなんであれ、あの危険で忌まわしい魔女の元から離れるのは大賛成だ。
グレイがどう思っていようと、あれは母親と言えるような者ではない。ただの歪んだ女。美の妄執に捉われた、哀れな魔女なのだ。
「ねぇグレイ。どこに行くの?」
「どこでもいいでしょ。……ちょっと、ついてこないで」
「えー、僕は可愛い妹が心配だからね。一緒に行くよ?」
たとえグレイに嫌われたとしても、どれだけウザいと思われていても、安全な場所にいてもらわないと困るのだ。
この家にいては、何をされるかわからない。
実質、グレイはゼルを留めておくための人質なのだから。
それくらいグレイは大切な存在で、ゼルの唯一の弱点となる人物なのだ。
唯一無二の血縁関係者であり、愛すべき妹。
本当の母親が亡くなるとき、ゼルはお兄ちゃんだからグレイを守ってあげてね、と言われてから……いや、言われなくても守るべき存在だと思っている。
それ故、大胆且つ慎重にゼルは動いた。
魔女にバレる前に行動して、それでもグレイに気付かせては、悟らせてはいけない。
「僕を誰だと思ってるの、可愛い君のお兄ちゃんだからね」
だから多少強引でも、職業斡旋所で見つけた魔女の元にグレイを連れて行った。
見かけや力の衰え具合には驚いたが、それでも同じ魔女と言うだけで手は出しにくいだろう。
グレイだって、仕事と言う大義名分がある。
魔女を上手く言葉に乗せれば、何も心配することはない。そう思ってた。
だが、これは予想外だ。
「私のゼル。私の美しい淡褐色の瞳。その瞼を閉じてはダメ。私を色とりどりに映してちょうだい」
うんざりするような言葉。
見たくもない顔が視界いっぱいに広がって、目を逸らすことも、まばたきでさえも許されない。
逃げられないようにと、手足をクリスマスリースのようなしなやかな枝で縛られて満足に動けやしない。
それでも気付いてしまったのだ。
気付かないはずがなかった。
部屋の前で息を殺そうと必死になっているグレイの存在に。
三番街の魔女の元で、おとなしく守られていてはくれないのだ。
どうしてここになんて愚問過ぎる。
「僕は世界で一番グレイが大切だから」
グレイはゼルを救おうとしてここにいるのだろう。
兄妹揃って考えることは互いのことだなんて、血は争えないと嘆くべきか喜ぶべきか。
グレイの意図に勘づいた今、ゼルができることは一つ。
「グレイが無事なら、僕は死んでもいい」
「バカなこと言わないで!」
魔女が動揺して声を荒げた。
グレイは扉の前を駆け抜けた。
これでいい。
今の自分ができることは、少しでも魔女の気を引いておくことだから。




