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覆水、掬って盆にもどす~托卵未遂されて婚約破棄した俺は、十年前に別れた幼馴染と復縁します~

作者: 間孝史
掲載日:2026/06/24


「――別れようか」


 それは、どちらが告げた言葉だったか。

 どちらにせよ、俺自身の口から出た事には間違いが無かった。


「その方がさ、いいと思うんだ」


 目は合わせない。振り向きもしない。視線は真っすぐ、モニターを向いたままだ。

 ゲーム機のコントローラーを握り、自機を操作しながら俺は淡々と告げる。


「そだね」


 真横から答えが返って来る。その声には驚きもなければ、縋るような感情も籠っていない。

 ()()()は肩を寄せ合い、きっと互いに同じ気持ちを抱いていた。


「あたしさ、ヒコに不満は無いよ。本当だよ」

「ああ、俺もだ」

「たまに作ってくれるご飯は美味しいし、あたしの事をなんでも分かってくれるし、嫌な事は絶対にしないし」

「それは俺だってそうさ。テスト勉強も手伝ってくれるし、モヤっとした事があったら、こうやってストレス発散に付き合ってくれるし」


 良い所も悪い所も知り尽くしている。

 だから、なにがタブーでなにをしたら喜ぶのかも、息を吸うが如くにやってのけられる。


 不満なんて無い。あるわけがない。

 

「ヒメは理想の彼女だよ、間違いない」

「ヒコは理想の彼氏だね、間違いない」


 そこでようやく、俺たちは視線を合わせた。

 彼女の顔に浮かんでいるのは哀しみでも怒りでもなく、単に苦笑いだけ。

 それはきっと、俺もそうなのだろう。


「だからさ、怖くなっちゃった」


 ヒメは笑う。どこか疲れたように笑う。


「近すぎてさ、なんでも理解しててさ。好きだとか愛してるとか、そういう告白したわけでもないのに、いつの間にかこうなってたじゃん? きっとこのまま何事もなく結婚もして、お爺ちゃんお婆ちゃんになっても一緒にいてさ。それって、なんだかさ」


 分かる、彼女がなにを言いたいかが分かってしまう。

 だって、それは――


「――ああ、俺もだ」


 それ以上は、言わなくてもいい事だ。


「そっか、やっぱり気が合うね」

「そうだな、気が合うな」


 そうやって俺たちはまた、笑い合う。どこか、肩の力が抜けたみたいに。

 画面の向こうで爆発音と共に自機が砕け散る音が響く。それがこの関係の終わりを告げているように聞こえた。


「……戻ろうか」


 異口同音。その台詞も、どちらが先に言ったかは分からない。

 

 そう、戻るのだ。俺――藤原文彦(ふじわらふみひこ)本条姫華(ほんじょうひめか)は、正しい形に向き直るのだ。

 彼氏彼女の恋人同士から、生まれた時から共に育った、幼馴染という関係に――







「ふぃ~あっついね!! まだ六月だってのにさ! なにこの暑さ!」


 助手席に乗り込んでくるなり、ヒメはそう言って片手で顔を扇いだ。

 それについては俺も、全くの同意である。もうすぐ日も暮れるというのに、窓の外からの日射が実に眩しい。

 

 エンジンを掛けて、車を発進させる。

 そうして車内のエアコン温度を下げながら、俺は肩を竦めてみせた。


「今年もヤバそうだよな。熱中症には気を付けようぜ」

「だねえ。去年の夏はさ、うちの職場でも倒れちゃった子がいてさあ」

「そうなのか? 室内に居ても油断は出来ないなあ」


 こっちが知らない話をヒメがして、俺はそれを不思議にも思わずに頷く。

 そう、高校生の頃とは違う。俺たちはもう、なんでも知り得る間柄では無いのだ。


「つうかさ、久しぶりだよね。こうやってヒコと二人で会うのはさ」

「ああ、大学を卒業して以来だから……四年ぶりか」


 そんなにかあ、とヒメは笑う。

 けれども元気してた、等とは聞いてこない。

 分かっているのだろう。恐らく、この短い間に交わした会話だけで、俺の変化を悟ってしまったのだ。


「ヒコは誠実だからさあ。付き合ってる彼女さんが居る間は、絶対にあたしと二人きりにならないよね」

「……それはヒメもだろ」


 ああ、そうか。俺もまた理解してしまった。

 顔を合わせる機会もめっきりと減ったのに、こうして会えばすぐに分かり合ってしまう。


 ――なぜ、彼女が俺の呼び出しに応えてしまったのか。その理由も全て。


 本当に、幼馴染ってのは厄介な関係だよなあ。


「ラジオ聞いてもいい? この時間、好きな懐メロの番組をやってんだよね」

「おう、いいぜ」


 昔からそうだ。ヒメはこういう時、絶対に勝手な操作はしない。必ず了解を求めてくれるのだ。

 親しき中にも礼儀あり、を素で実践する。だから俺たちは、居心地の良い幼馴染で在り続けられたんだろうな。


「いいねえ、懐かしいねえ。これ、あたし等が小学生の頃のだよ」

「十六年くらいか。まあ、確かに懐メロだな」

「でしょ」


 流れてくる楽曲には聞き覚えがあった。

 当時、クラスでも流行ったアニソンの一種だったはず。ヒメも良く友達と一緒に口ずさんでいたっけな。


 それをBGMに、俺はハンドルを傾けてゆく。

 

 実の所、目的地は無い。都会の喧騒から離れられる場所なら、何処でも良かった。

 それがヒメも分かっているのだろう。特に尋ねる事も無く、鼻歌なんぞをさえずっている。

 やがて日が落ち始め、周囲から人の気配が薄れてゆく。そうして海岸線に差し掛かった辺りで、俺は口を開いた。


「直美が妊娠した」

「……そっか」


 祝福の言葉は無い。俺の様子から、その言葉に込められた意味を察しているのだろう。ただ、ヒメは目を伏せ、自身の腹へと手を当てた。


その動作が少しだけ引っ掛かる。まさか、彼女も既に――そんな想像が首をもたげ、俺はそっと首を振った。


だとしても、この話を止める事はもう出来ない。


「アイツは、俺の子だって言い張ってるけどな」

「一応、聞いとくけど。思い当たる節は無いの?」

「式を挙げる前だ。避妊はしていたし、それに――」


 俺はそこで、初めて口ごもった。

 その事実だけは、どうしてかヒメに悟られたくないと、そう思ってしまったのだ。


 ――ああ、くそ。情けねえなあ、俺。


「……そう。勝算があるんだね」

「ああ、もちろん。証拠も、たんまりと用意してある。少し高くついたけどな」


 探偵に依頼をする、なんて事が俺の人生に起こるとは思わなかった。

 意外と良くある話ですよ、なんて向こうは苦笑していたっけな。


 人の心は移ろうものだって良く言われるが、まさかこんな形で思い知るなんてなあ。


 俺の脳裏に『証拠』の映像と音声が流れだす。

 二人で過ごしていた寝室に、彼女の艶めいた声と生々しい音が響いていた。


「……本当に、笑っちまうよな。俺が気付いてないと本気で思ってるんだぜ?」


 怒りよりも先に、空しさが胸を突いた。

 彼女と出会ってから五年。付き合い出してからは四年だ。

 少なくない時間を共にしたのに、俺が間抜けなサレ男だと信じているらしい。


「お疲れ様、はまだ言わない方がいいね」

「ああ、そうだな。まだ早いな」


 俺が頷くと、ヒメは片手をこちらに差し出した。


「んじゃ、見せて。あるんでしょ、証拠」

「……ああ、そうだな」


 オウム返しにそう答え、俺は車を停車させた。

 やっぱり幼馴染つうのは厄介だ。けれども今はそれが有難くもある、か。


 海が近いせいか、波の音が微かに聞こえる。

 俺は薄闇を睨みつけながら、鞄の中にあるそれを取り出した。


「へえ、へえ……? ふうん、やっぱりクロかあ。それもめっちゃブラックじゃん。過労死しそう」

「やっぱり、お前も気付いてたんだな」

「そりゃあね、分かりますとも。こっちもそこそこ、長い付き合いだったからね」


 軽口を叩くように見えて、ヒメの声は震えている。

 彼女の手にある『資料』へ皺が寄り、引っ搔くような音が響いた。


「うわ、最低じゃんアイツ。なにしてくれてんの、あたしの幼馴染に」

「……すまん」

「なんでヒコが謝るのさ。『アイツら』が悪いんでしょうに」


 もっと上手い告げ方は無かったか。そればかりが頭をグルグルと巡ってしまう。

 いかんな、俺も結構なショックを受けてるらしい。取り成す言葉さえ浮かばねえ。


「冷静でいられた、つもりだったんだがな」

「無理でしょ。アンタじゃ無理」

「言い切るねえ」


 スッパリと一刀両断され、逆に心地良くなってしまう。


「そりゃね、()()()()()()()よりもずーっと長い付き合いですもの。分からないはずがなくてよ?」

「流石はお姫様。敬服するで御座候」

「うむ、わらわを見くびるでないぞよ」


 和モノなのか洋モノなのか。全く分からんこのやり取り。

 ……ああチクショウ。なんで、こんなに懐かしいかなあ。


「んじゃ、一口噛ませなさいよ。手筈は整ってるんでしょ?」

「ああ。少し遠いけど、それでも良いならお付き合い頂けますかね」

「おうともよ。あの浮気者共を噛み砕いてやらぁ!」


 歯ぎしりをする我が幼馴染は、本当に恐ろしい。

 全く、奴らも馬鹿な事をやったもんだ。


 本当に、全く――



 

◇ ◇




 ――寝室に踏み込んだと同時に、悲鳴が二つ上がった。

 醜い、あまりにも醜い。聞くに堪えない声である。


「ふ、文彦っ!? ウソ、なんで!? 出張に行ったんじゃ」

「おう、コイツの所までな。ガソリン代もそれなりに掛かったぞ」


 県を跨いでまで、会いに行ったんだ。その代償は払ってもらおうか。

 俺が顎をクイっと引くと、ヒメが両腕を組んだまま前に歩み出た。


「ねえねえ、みっくん? 今、どんな気持ちなのかなあ?」 

「ヒッ……!? ひ、姫華……!?」


 素っ裸のまま、慌ててもがく浮気男。なんだこいつ、なっさけねえな。

 こんなのがヒメの――『婚約者』だったのかよ。


「ええと、あなたは中野満さんでしたっけ? 一度、この四人でお会いしましたよね」

「あ、ああ……」

「ああ、じゃねえよこのボケカスが。つうか、妊娠初期だってのに盛るか普通? なに考えてんだテメエら」


 脅しめいた声を上げたのは、ヒメだ。コイツは怒らせるとマジで恐ろしい。

 背は低く童顔であるからか、一見してそうは思えないのだが――野獣の如き獰猛さを合わせ持っているのだ。


「親にも、もう連絡してあるから。もち婚約は破談ね」

「ま、待ってくれ! こ、これは……!」

「うるせえ黙れ。そこのビッチの腹に、アンタの子供が居るんでしょ? 責任を取んなさいよ!」


 ベッドの端を、ヒメが思い切り蹴り飛ばす。

 面白いくらいに弾んで跳ねる二人を見て、俺は思わず拍手を送ってしまった。

 相変わらず、華奢な体に見合わない膂力である。

 

「ま、待って! 浮気をしたのは謝るから! でも、この子は本当に文彦の――」

「違うね」


 やっぱり、ここで言わなきゃならんか。


「俺はさ、無精子症なんだとよ」

「……は?」

「黙ってたわけじゃねえさ。ついこの間、分かったんだ」


 すぐさまに告げるつもりではあった。正式に結婚をしてからでは遅い。

 婚約を破棄する事さえ覚悟していた。心の底から泣きたくなったのを思い出す。

 だが、ほんの少し迷う内に、俺の婚約者は托卵なんぞを目論みやがった。


「なんなら、DNA鑑定をするか? 費用はもちろん、そっち持ちな」

「あ、ああ……? う、うそ……」

「だな。俺もウソだったら良かったよ。なにもかも全部、ウソだったらさ……」


 優しく笑う、その穏やかさに惹かれた。

 自分よりも料理が上手いと、悔しそうに笑うその仕草が好きだった。

 彼女と一生を添い遂げたいと、そう思っていた――のに。


「……なんでだよ」

「あ、あの……」

「なんで、よりにもよってコイツなんだよっ!!」


 沸々と湧き上がる怒り。ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!


 俺だけじゃなく、ヒメの幸せまでこいつ等は壊しやがった!!


「だ、だって……! 文彦はなんでも出来ちゃうから!!」

「ああ?」

「わ、私が居なくても生きていけるでしょ? 私なんて、必要無かったでしょ?」


 なんだ、なにを言ってやがるんだコイツは。


「そ、そうだっ! お前らが悪いんだっ!」


 その勢いに乗るように、浮気男が叫ぶ。


「姫華だって、僕を愛してたわけじゃないんだろ!? 本当に好きだったのはそいつなんだろう!?」

「お前、なにを言って」

「知ってるんだぞ! 懐かしそうにその男との画像を眺めてたのを! お、お前だって浮気をしてたんだろ! そうなんだろ!?」


 なんだコイツ、なにを言ってるんだコイツ。

 狂ったようにせせら笑う声が、癇に障る。暴力を振るうつもりは無いが、聞くに堪えねえ。

 黙らせようと足を踏み出し――



「――子供が作れないやつら同士、お似合いだ!!」


 ……なん、だと?


「……うん、事実だよ。あたしね、少し前に病気をして子宮を取っちゃったんだ」

「な……!?」

「そ、こんな所まで気が合うなんてね。やっぱ怖いね、幼馴染」


 アハハ、と笑う姫華の顔はどこか虚ろに見えた。


「お母さん達には口止めをしたんだよ。なんでだろうね、ヒコだけには知られたくなかったんだ」


 馬鹿みたいだよね、と目を伏せるヒメを見て浮気野郎が激昂する。


「そら見ろ、やっぱりだ! 僕たちは悪くない! そうだ、お前らがぜんぶ――」

「黙れよ」


 今度の蹴りは、俺がベッドへ入れた。

 たちまちに転げ落ちる浮気男を見下ろし、俺は床を踏み鳴らす。


「どんな理由があろうが、テメエらのやった事は消えねえだろ」

「ヒッ!?」

「一番辛かったのも、ヒメだったに決まってるだろ。なのに、俺に甘える事すらしなかった。その意味を考えろや」


 自分の口から、こんなにも冷たい声が出るとは思わなかった。


「ヒコ……」

「……チッ」

 

 舌打ちをして、クズどもへ向けて再び足を踏み鳴らす。

 浮気カップル共は互いに抱き合いながら、惨めに震えていた。


「浮気だけでもアレだっつうのに、托卵までやりやがって」

「ふ、文彦……」

「すぐに出ていけ。荷物は全部、お前の実家に送り返す」

「待って! 話を、話を聞いてよ!!」


 泣いて縋ろうとする直美を、横から伸びた手が引っぺがす。


「なんの話だっつうのよ。慰謝料の直談判?」

「あ、ひ……」

「あたしだけならともかく、よくもヒコまで馬鹿にして……っ!」


 ヒメの目が釣り上がり、口が半月の如く裂けてゆく。

 演技ではない。あれは本気の激怒だ。


「後は、弁護士に任せる」


 そのままではクズどもを文字通りに八つ裂きにしかけない。俺はヒメの肩をそっと抑え、青ざめる二人を睨みつけた。

 単なる恋人同士ならともかく、俺たち四人は婚約者であったのだ。




「――相応の報いを、覚悟しとけ」




◇ ◇ ◇




「……なーんて言ってたのに、やっぱ甘いよね、ヒコはさ」

「ヒメがそれを言うか……っと!」


 コントローラーを握りしめ、俺は自機を操作する。

 十年ぶりに遊ぶゲームは、当時よりも歯応えがあるような気がする。何故だ。


「衰えたね、老化だね、もうろくしたね」

「抜かせ」


 かつてはノーミスクリアだって出来たのだ。勘さえ取り戻せば、きっと!


「あ、落ちた」

「馬鹿な……っ!」

「アハハ、昔もここでヤラレてたじゃんか。変わんないねえ、ヒコも――それに、この部屋も」


 懐かしそうに周囲を見回し、ヒメが笑う。

 俺の自室は、小奇麗に整っていた。うちの父親がマメに掃除をしてくれているらしい。

 どこかズボラな母と違い、父さんはその辺りが妙に細かいのだ。


「やっぱおじさん似だよね、ヒコ」

「そうかあ……?」

「そうだよ。こんなふうに昔の部屋をそのまんま保存してくれてるの、良いよね」


 大学は寮生活だったし、就職先も向こうで見つけた。

 帰省するのは盆と正月、それに――直美を連れて挨拶をした時、だけ。


「暗くなるな、青少年。今に良い事あるよ」

「下手な慰めをあんがとよ」


 肩をぶつけられ、俺は苦笑する。


「ヒメこそ、大丈夫か?」

「うん、まだあたしの機体は無事だし」

「いや、そっちじゃねえし」


 分かってるよ、とヒメは笑う。あの頃と同じ笑顔で笑ってくれる。


「慰謝料も少なく済ませて示談。お人好しだね、ヒコ」

「別に気取ったわけじゃねえさ。だって、アイツの腹には子供が居ただろ?」


 複雑な気持ちはまだ残っている。愛情が冷めても、過ごした思い出までは消えてくれない。

 呪いみたいなものだ。さっさと割り切れればいいんだろうが、そうもいかない。

あれから一年以上が経過して、ようやく前へ進めるようになったのだ。

 

「未練……でもないか。ただ単に、親の因果が子に――ってのが気に入らねえだけだ」

「まあ、それはそう。あたしだってそう思う」


 だから、ヒメも合意したのだろう。俺と同じ結論を出してしまったのだろう。

 そしてこの一年の間、互いの間で半ばタブーとなっていた、この話題を口に出したのだろう。


「……言ってしまえば、寝覚めが悪い。それだけなんだがな」


 結局、子供は無事に生まれたそうだ。

 あんなに雑に扱われて、流れなかったのは奇跡的だとかなんとか。直美のご両親がそう言っていたっけ。


「胸糞悪い一連の事件で、それだけが救い――と言っていいのかねえ」

「だねえ」


 最後に会った時の二人を思い出す。

 周囲から散々に責められ絞られ、見るも無残に憔悴しきっていた。

 浮気の理由としては、互いのパートナーに対する不満が燻ぶり合い、火が点いてしまったそうだが――正直言って、知った事か。

 噂も色々と広がり、肩身の狭い思いどころの話ではなかったらしいが、自業自得である。


憑き物が落ちたみたいに、ただひたすらに謝罪を告げるクズ男に対し、あの日のヒメは哀しく笑った。


『……こんな人でもさ、少し前までは優しかったんだよ。あたしをいつも気遣ってくれた。とても繊細で、抱え込んじゃうタイプでさ、だからあたしの事で色々と気に病んじゃったのかもね』


許せはしないけどね、という彼女に俺も頷いた。

 反省はして、直美とも一応籍は入れたらしいが、信用はしていない。ただ、生まれた子が不幸にならない事を祈るだけだ。

 

「後はまあ、俺らもそこまでは責任取れねえしな」

「んだあね」


 やられたー、と言ってヒメがコントローラーをほっぽり出す。


「子供は生まれて来る親を選べない。理不尽だよね」

「そうだな……」


 しみじみと、そう思う。

 この世に生まれる事が出来るかどうかさえ、親の気持ちひとつなのだ。


「んで、それを踏まえてどうするね?」

「ああ、どうするかな?」


 とはいえ、答えはもう決まっているようなものだ。

 トラウマは大きい。互いに女性不信、男性不信になりそうだった。

 けど、なんで浮気をされた俺たちが不幸になってやらにゃならんのだ!

 

 仮に、そうされる理由か原因が俺らにあったとしても、あの連中のしでかした事は下劣そのものである。


「遠回りをしたって思うか? 十年前に別れなきゃ良かったってさ」

「わかんない」

「即答かよ」

「だって、あたし達は神様じゃないんだし。なにが最良か、なんて分かるわけないじゃん。それこそ、このゲームみたいに最適解のルートがあるわけじゃないでしょうに」


 ごもっとも極まる意見であった。ぐうの音も出ない。


「だなあ。ルートっつうのはきっと、歩ききったその後に分かるんだろうなあ」


 だから、俺とヒメはどちらからともなく、決めたのだ。

 この日を迎えるまでに、気持ちが再び固まったなら、それならば――この場所で。


「あー、なんだ。子供は生まれる親を選べねえって言ったよな」

「うん」

「だから、その。いつか俺たちが家族を迎えようと思った時は……その子に、ちゃんと選んでもらえるようにしないとな」


 声が震える。体が強張るのが自分でも分かった。

 けれど、それが嬉しい。ヒメを相手にちゃんと緊張出来る事が、なによりも嬉しかった。


「う、ん……」


 横目で見ると、ヒメが頬を紅くしていた。波打つ髪を指で巻いて、クルクルと回している。

 初めて見る仕草だ。昔の短い髪の彼女では出来なかったこと。とても愛らしく、可憐な姿であった。


 ――なんだ、まだまだ知らない事があるじゃんか。


 俺はコントローラーを握り直し、モニターの方へと向き直る。十年前の、あの時と同じように。


 もしかしたらこれは、あの幼く未熟だった俺たちへの、意趣返しなのかもしれない。


「なあなあ、ヒメさんや」

「なんだい、ヒコさんや」


 掛け合いが楽しい。返って来る言葉が、愛おしく感じる。


「俺さ、夏のボーナス出たんだよね。去年よりも増えたんだぜ」

「す、すごいじゃん」

「おうよ。だからさ、えっと」


 肩に、重みがのしかかる。あの頃よりも強く、熱く、柔らかい。


「この後さ、指のサイズを測りにいかないか?」

「……っ!」


 息を呑む気配が伝わる。

 

「慰謝料や、アレを売り払った代金で買うのは嫌だしさ」

「……うん」


 ズズッと、鼻を啜るような音が聞こえる。


「俺は、やっぱヒメじゃないと駄目だな」

「あたしも、やっぱヒコじゃないと駄目だね」


 そんな単純な事を理解するのに、十年が掛かってしまった。徒労と疲労が重くのしかかる。

 それが幸か不幸かは、やっぱりこの先へと歩いた後に分かるのだろう。


「なあ」

「ねえ」


 そうして俺たちは、再びやり直す。元に戻る。

 十年前のあの夏と同じ場所、同じ日時、同じ態勢で――異口同音に。



「――結婚しようか」



 やっぱり、どちらが先に言ったのか分からない。

 けれども、込められた意味は、あの時とはまるで正反対で。


「はは……っ」

「あはは……っ」


 感極まったように、ヒメが笑い俺も続く。

 かつて虚ろに空しく響いたそれは今、明るく希望に満ちたものへとすり替わる。


「……愛してる」


 それもまた、どちらが言い出した言葉だったか。

 けれど、かつては決して口に出せなかったもので。

 俺たちは照れ臭そうに笑いながら、そっと唇を重ね合う。



 十年ぶりに交わしたキスは少し塩辛く――そして、とても懐かしい味がした。  


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― 新着の感想 ―
面白かったです。 ただ、ハッピーエンドかどうかは難しいですね。 双方に原因があって子供ができないのは納得できで、周りが色々言ってきそうなので、環境次第かな。
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