第7話:「早見真帆」との出会い。
審査部の朝は静かだった。
無駄な雑談はなく、キーボードの音と紙をめくる音だけが淡々と流れている。
――いい部署だ。
三十年前に欲しかった席が、今は目の前にある。
「相良さんですよね?」
声をかけられて顔を上げると、そこに立っていたのは、同期の女性だった。
背筋がまっすぐで、化粧は控えめ。だが、目が強い。覚えている顔だ。
――来たか。
将来、会社の看板になる女。早見真帆。
営業・企画・調整、どこに出しても結果を出すエース級。
今はまだ、本人もそれを自覚していない。
「はい。相良です」
名乗ると、彼女は一瞬だけ俺を値踏みするように見た。
その視線に、僅かな警戒が混じっている。
「……私は早見。早見真帆。同期です。よろしくお願いします」
簡潔だ。
余計な愛想はない。仕事の場では正解だ。
「よろしく」
それだけで、会話は終わった。
いや、彼女の中では終わっていない。
――この男、危険かどうか。
そう考えている顔だ。
午前中は、審査部向けの基礎研修だった。
案件資料を読み、問題点を洗い出す簡単な演習。
審査部の教育係が説明を終え、質問を募る。
「……一点、よろしいでしょうか」
俺が手を挙げると、空気が少し動いた。
早見が、ちらりとこちらを見る。
「この案件ですが、数値上は問題ありません。ただ、契約書三条の“努力義務”が曖昧です。ここ、後で揉めます」
教育係が一瞬黙る。
「どういう意味ですか?」
「相手が義務を果たさなかった場合、責任の所在が不明確です。実務では、この手の条文が原因で審査差し戻しになります」
教室が静まり返った。
それは、三十年前に実際に揉めた案件だった。
当時は俺も見抜けなかった落とし穴だ。
「……なるほど」
教育係は咳払いをして頷いた。
隣の席で、早見がメモを取る速度が、明らかに上がった。
昼休み。
給湯室で偶然、彼女と居合わせる。
「さっきの指摘、どうして分かったんですか?」
来た。
警戒から、興味へ。
「似た形の案件を、大学で研究してたので」
半分は嘘、半分は本当だ。
深掘りされない、ちょうどいい線。
「……普通、新人でそこまで見ません」
その言葉は、評価だ。
午後の演習でも、俺は淡々と要点を押さえた。
前に出すぎず、だが決定的な所だけ外さない。
気づけば、グループの結論は自然と俺の案を軸に固まっていく。
早見は、それを黙って見ていた。
「相良さんって……」
演習後、彼女がぽつりと言う。
「静かに仕事しますよね」
「そうですか?」
「ええ。目立たないのに、流れを握ってる」
――よく見ている。
同期の中でも、空気が変わり始めていた。
誰が主導権を握るのか。
誰が“使える側”で、誰が“使われる側”か。
まだ明文化されていない序列が、少しずつ、しかし確実に固まりつつある。
早見は、俺を警戒しながらも、無視できなくなっている。
それでいい。
恋愛でも、支配でもない。
まずは――
「仕事ができる男」
そう認識させるだけで十分だ。
三十年遅れの新人――元・万年火消し課長の俺は、静かに、同期という盤面を見渡した。
女エース・早見は、もう盤上にいる。
あとは、どう動かすかだ。
次回予告:
伝統という名の無駄を、Excelファイル一つで破壊する。
新人の「ちょっとした工夫」が、部署全体の空気を変え始めていた。




