第5話:無能講師を静かに論破。
配属面談が終わると、午後の研修は実務ケースのグループディスカッションに移った。会場の空気は先ほどのテスト後と同じく、微妙にざわついている。新人たちはまだ心臓を高鳴らせ、メモを取り合っている。だが、俺の手は静かだ。全ては予測通り、掌の上の駒のように動く。
鷹宮が壇上で説明を始める。いつも通りの鼻持ちならない声だ。
「次は、架空の海外案件について、リスクと対応策をグループでまとめてください。理論的に論じることが重要です。現場の感覚に流されないように」
口先では立派なことを言うが、現場経験を知らない講師の理論は、実務に沿っていない。三十年前、俺が火消し課長として苦しんだ案件の教訓が、頭の中で鮮明に蘇る。契約条項の不備、供給停止時のバックアップ策、為替リスクの評価。講師の理論は数字の計算や想定シナリオに偏り、現場の生々しいリスクを完全に無視している。
「まず、為替スライド条項の欠如が最大の問題です」
俺は淡々とペンを動かしながら発言を準備する。周囲はまだ緊張している。
「……相良さん?」
鷹宮が問いかける。声は冷たい。眉をひそめ、訝しげにこちらを見た。
「資料にある通り、この契約では相手国の通貨変動による損失が全てこちらに転嫁されます。現地市場のボラティリティを考慮すれば、理論値通りには進行しません。現場経験に基づくと、過去の同様案件では三ヵ月以内に赤字化しました」
壇上がざわつく。鷹宮は一瞬、言葉を詰まらせた。手元の資料を確認するが、数字だけでは反論できない。理論だけで「安全」と教える無能講師の限界が、ここで露呈したのだ。
「さらに、供給停止時の代替調達策が設定されていません。現場では一つの遅延が全体の納期に直結します。契約の安全網を理論だけで語るのは、現実を知らない人間の欺瞞です」
教室の空気が変わる。新人たちはざわめき、互いに目を合わせる。鷹宮の顔は微かに紅潮し、唇を硬く噛んでいる。俺は冷静に、論理と経験を武器に、無能講師の理論を静かに覆していく。
「責任上限も無制限です。契約の失敗は会社全体に波及します。過去の案件では、上司の判断ミスで三億の損失が発生しました。理論値と実務は、ここで決定的に乖離します」
壇上の鷹宮は言葉を失った。周囲の新人も目を見開く。俺の冷静な指摘は、数値や理論ではなく“経験則”に裏打ちされていた。誰も反論できない。
「……なるほど」
ようやく鷹宮が小さく唸った。冷徹な顔の奥に、焦燥と苛立ちが滲む。だが、講師としての面子もある。しばらく黙ったまま、資料に目を落とす。俺は微かに笑う。予定通りだ。
周囲の新人たちは口々に小声で囁く。
「なんだ、あの指摘……」
「現場経験者って感じ……」
「どうしてあんなに早く正確に答えられるんだ?」
俺はそのざわめきを背に、次の手を思い描く。ここで序列を握った。配属での初期評価、早期出世ルート、失敗案件の回避。全てが見える。三十年の経験が、目の前の新人たちとの差を決定的にしている。
壇上の鷹宮は、理論だけでは太刀打ちできない現実の重みを、初めて認識したようだ。新人たちは無言でノートに視線を落とすが、緊張で手が震えている者もいる。全員が、俺の存在を意識せざるを得ない。
「……では、このケースの結論をまとめて発表してください」
鷹宮は声を振り絞るように言った。だが、俺はすでに頭の中で結論を整理し、文字に書き起こす準備を整えていた。現場の現実と数字、契約の裏側を知る者として、誰よりも正確に、誰よりも早く答えを導き出せる。
三十年遅れの新人――元・万年火消し課長――の俺は、研修会場で静かに笑った。盤面は、完全に俺の手の中にある。
だが、鷹宮の視線はまだ俺を捉えている。あの男の自己中心主義は、遅かれ早かれ障害になるだろう。
それでも構わない。序列は掴んだ。次の配属は、初手で盤面を変える場所だ。
新人たちのざわめき、鉛筆の音、緊張に震える手――全てはこの手の中の駒にすぎない。
今日、研修で勝ったこと。それは、まだほんの序章に過ぎない。
未来は完全には読めない。だが、知っているだけで、俺は圧倒的に有利だ。
次の波を見据え、初手を打つ準備は整った。
――さて、動き出す時だ。全ては、俺の計算通りだ。
次回予告:
「便利屋」には二度とならない。
最短ルートで権力を握るための配属操作――選んだのは、不人気だが最強の「審査部」だった。




