第16話:取引先トラブルを一撃解決。
トラブルは、ある朝いきなり表に出た。
「相良さん……例の取引先、契約の件で揉めてます」
営業部のフロアに入った瞬間、早見が駆け寄ってくる。
表情は硬い。だが、慌ててはいない。
それだけで、事態の深刻さが分かった。
「どの条文です?」
俺がそう聞くと、周囲が一瞬、静まった。
普通は「何が起きた?」から入る。
だが、原因はほぼ決まっている。
「第十二条……業務範囲の定義です」
「やっぱりですね」
取引先は、追加業務を無償で要求してきていた。
理由は簡単だ。
契約書の文言が、曖昧だった。
「付随する業務一式」
便利な言葉だ。
同時に、地雷でもある。
会議室に集められたのは、営業、法務、経理、そして俺。
画面越しに、取引先の担当者が映る。
「今回の追加業務に関して、契約上、御社は対応義務がありますよね?」
相手は、穏やかな口調だった。
だが、その目は値踏みしている。
押せば折れるか。
どこまで譲るか。
俺は、資料を一枚めくった。
「その認識は、途中まで正しいです」
空気が、変わる。
――否定から入らない。これは、交渉の基本だ。
「第十二条二項。ただし書き、読まれましたか?」
画面の向こうで、相手の視線が泳ぐ。
「“当初想定される業務量を著しく超える場合、別途協議とする”」
俺は淡々と続けた。
「今回の追加要件、初期見積の二~三倍です。これは『当初想定』を超える数字です」
「しかし、それは――」
「さらに」
俺は言葉を被せない。だが、逃げ道も与えない。
「第十五条。契約解除条件」
一拍置く。
「この条文、御社側の不履行にも適用されます」
沈黙。
法務が、息を呑む音が聞こえた。
「……それは、どういう意味ですか?」
取引担当者の声は、幾分か驚きが含まれていた。
「過剰な業務要求は、契約違反になり得る」
俺は淡々と答えた。
「その場合、弊社は是正要求、もしくは再契約を選択できます」
事実しか言っていない。
だが、相手にとっては想定外の「未来予測」を突きつけられた格好だ。
――このまま押せば、揉める。
――揉めれば、時間と信用を失う。
数秒。
画面の向こうで、担当者が小さく息を吐いた。
「……分かりました。条件の再整理をしましょう」
会議は、それで終わった。
一撃だった。
会議室を出た瞬間、空気が一変する。
「……すご」
誰かが呟いた。
「何も言い返せなかったな」
「相手、完全に引いたぞ」
俺は、資料を閉じる。
特別なことはしていない。
条文を読み、未来、「相手が打ってくる手」を想像しただけだ。
三十年前、俺は何度も見てきた。
この手の「曖昧な善意」が、後で必ず刃になることを。
だから、先に切る。
切るべき場所を。
午後。
社長から、直電が入った。
「相良。聞いたぞ」
短いが、声は上機嫌だった。
「よくやった。先を見ているな」
「契約通りに処理しただけです」
「それができない会社が、多いんだ」
一拍置いて、社長は続けた。
「今後、重要取引は君を通す」
権限が、また一つ増えた。
社内の視線も、変わる。
尊敬。
安心。
そして、明確な序列。
女性社員たちが、自然と近づいてくる。
「相良さんが関わってるなら、大丈夫ですよね」
彼女たちのそれは、確信だった。
俺は知っている。
剣も魔法もない世界で、最強の武器は何か。
――知識。
――経験。
――そして、先読み。
盤面は、完全にこちら側だ。
会社はもう、俺抜きでは危険な一手も打てない。
三十年遅れの新人は、今日もまた、静かに無双する。
次回予告:
戦略企画室のエース・御堂漣との接触。
初めて出会った「格上の論理」を持つ男と、改革の主導権を懸けて火花を散らす。




