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1-3 闘技場にて、鳥頭と深紅の液体

「うわぁああああ!」


ロイは深い闇へと吸い込まれた。

気を失いそうになる程の、果てしない落下感。

しかしいつまで待っても、地面に叩きつけられるようなことはなかった。


「目開けても大丈夫だよ、ロイくん」

「え…?」


恐る恐る目を開けてみれば、賢者のにこにことした顔が目前にあり、優しく手を握られている。

気づかぬ間に落ちていた感覚が消えており、それどころかふわりとした浮遊感に変わっていた。

どうやら賢者が、魔法で体を浮かせてくれたらしい。


「ごめんなさい!賢者様、僕また何か踏んじゃいました!」

「うんうん、大丈夫だよ。本当は上に戻りたかったけど、出口が閉じちゃったからね。下に降りてみた。それと謝り癖、出てるよ」

「あっ、ごっ、めん、なさぃぃ…」


賢者は変な感じになってしまった彼の言動に微笑んで見せる。

改めて周囲に目をやれば暗闇は晴れ、眼下には巨大な空間が広がっていた。

それから二人は、ゆっくりと広場の中央に着地する。


足元は踏み固められた砂がサークル状に広がっており、周囲は反り立った壁で囲まれていた。

その上に整然と並ぶ観覧席から、ここが闘技場のようなものであることが分かる。


「…こんな場所あったっけ?」


階下はくまなく探索済だったはずで、このような巨大な空間があったことを、ロイは聞いていない。


「錯視の魔法でも張られていたかな?」

「魔王はこんなこともできるんですか…」

「それよりロイくん、あれ」


賢者が指さした壁面には、巨大な格子状の鉄柵があり、それがゆっくりと上に持ち上がっていくところだった。

そして背後からも鈍い音が響き、振り返ってみればもう一対の鉄柵が同様に開きかけていた。


「なんか来ちゃうかも」

「…ええぇ」


二人は背中合わせに鉄柵の先を見据える。


正面に現れたのは、ロイの倍の身長はある鳥頭の獣人。

頭部と腰から下は鳥のそれで、体だけが屈強な人間を模していた。

右手には、明らかに人用ではないサイズの斧を携えている。


そして背後からは、深紅の液体の塊がにちゃにちゃと形を変えながら現れた。

その液体は意志を持って動いていた。

伸縮を繰り返し、中にある気泡が動く度に上下している。


「獣人の類と、そっちはスライムかな?」

「賢者様、どっ、どうしたら…」

「ロイくんはスライムを引き付けて」

「えっ!は、はい…」


この闘技場は、魔物同士を闘わせて見せ物にしている場所なのかもしれないが、今は目の前に現れた小さな人間ーーロイと賢者が獲物であることに間違いないだろう。


ロイは賢者に拾われてからこれまでにしてきたことと言えば、掃除、洗濯、炊事などの家事がほとんど。

遠征中も、賢者の指示で後方に隠れていただけで、兵士たちのように剣を振るったことは一度も無い。

生まれて初めての戦いに、自信などあるわけが無かった。


(僕に何ができる?賢者様が鳥頭をサクッと片付けて援護してくれないかな……勇者が助けに来てくれないかな……)


怖気付く胸の奥で、舌打ちが聞こえた気がした。


(いや、ここが閉ざされた場所であることは自明なんだから、外からの助けは期待できない。賢者も俺が守る。スライムを倒した後に鳥頭も倒してやる)


胸の奥に生まれるもう一つ思考。

それはいつも冷静で、状況を俯瞰していた。

ロイの中で複雑な気持ちが渦巻く。

しかしどんなに考えたところで、回避できない状況であることは一目瞭然。


(もうやるしかないんだ…)


改めてスライムを観察してみれば、それは大型犬ほどのサイズ。

緩慢な動作で、視覚は無さそうだ。


(あ……いけそうかも…?)


意を決して、腰のナイフにカチャリと手をかけたその矢先、


「ロイくん、避けて!」


背後から賢者に突き飛ばされ、砂に顔面から突っ伏す。

慌てて顔を上げてみると、賢者がスライムに絡めとられていた。

ナイフの音に反応したのか、直前の動きからは想像もできないほどの速度で、急襲されていたのだと理解する。

賢者の手足を拘束するかのように変形したスライムは、その範囲を徐々に四肢へと広げていく。


「賢者様!」

「いいから離れて!後は任せたよ!」


駆け寄ろうとしたところに、割って入る巨大な斧。

激しい砂埃が巻き上がり、風圧に押されてロイは後方へ吹き飛ばされる。


「あだっ!」


後頭部を打ち、視界が明滅するが、早く起き上がらなければいけない。

次の攻撃が来る。


「ひいぃ」


それを転がって紙一重で避けることができたが、轟音と共に再び強烈な風が巻き起こり、更に飛ばされてしまった。

ロイは体のあちこちから溢れる痛みを堪えて立ち上がり、理不尽な攻撃を繰り出しているのが、もう一匹の魔物、《鳥頭》であることをようやく認識した。

思わず見上げた先にその張本人と目が合ってしまい、全身が総毛立つ。


「ゆ、許して…」


咄嗟にすがるように見上げて、震える声で許しを乞う。

魔物の口元が僅かに釣り上がったように見えた。

ーー嘲笑。

その見た目からは感情が感じられず、人の言葉を理解しているとは到底思えなかったが、悔しさが込み上げてくる。

そして目を伏せた先、鳥頭の股の間には、スライムによって既に全身を囚われた賢者の姿があった。


「賢者様…」


遠く離された。

それと呼応するかのように全身の力が抜け、脱力感がロイを襲う。


「なんでこんなことに…」


愉悦の時間を終えた鳥頭から振り下ろされる斧。

三度吹き飛ばされたロイは、再び身体を起こそうとするが、どうも上手くいかない。

支えにしようとした左手が地面に立てても力が入らず、バランスを崩してしまったようだ。

慌ててそれを見れば、手首から先が無くなっていた。


「?」


見慣れたものが無くなるという事実を、人は容易には受け入れられない。

ロイも同じく、消え去った手首から先を眺めて、一瞬何が起こったのか分からず思考を止めてしまう。

左手首の切断面を見て先ほどの一撃を、かわし損ねたことを残念だと思った。

そこから激しく血が噴き出す。

みるみる地面が真っ赤に染まっていく。


「うがぁああああ!」


強制的に提示される現実は痛覚から。

ロイはこれまでに出したこともないような悲鳴を上げる。

鈍く深い形容しがたい痛みが傷口から広がり、涙と鼻水、涎が溢れ出す。


「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いぃぃ」


泣きじゃくりながらも、目の前に転がっていた左手を無意識に拾い上げていた。


(戻さないと、戻さないと、早くこれを元に戻さないと!)


もはや他人の物のように見えるそれを、ねじ込むように手首に押し当てる。

せめて見た目だけでも直したいと考えた。


「いぎぃぃぃ」


意図せず震える手元によって、左手と手首をぴたりと合わせることができない。何度も繋げようとして滑り落とす。


(繋がるはずだ、繋がるはずだ、同じ物なんだから!)


ロイは発狂していた。

視界が極端に狭くなり、周囲の物音も認識できなくなり、目の前の左手と手首しか見えていなかった。


「いだいぃいだ、い…あれ…?」


しかし次に起きた出来事によって、彼は唖然とすることになった。

周囲に広がっていた血が、時間を巻き戻したかのように、手首に戻っていったのだ。

溢れた水が桶に戻っていくような様。

最後には、添えていた左手が蓋となって手首と綺麗に繋がり、ゴンゴンと激しく響いていた痛みも残滓を残して消え失せた。

恐る恐る動かしてみれば、やや痺れはあるが指先まで細やかに動く。


「は、はは、何…?」


白昼夢でも見ていたかのような理解しがたい事態に、拍子抜けして笑ってしまう。


「あ…」


それから少しの間呆けていたが、多少冷静になって周囲に目をやれば、ロイは更に困惑せざる負えない状況を提示されることになった。


未だ変わらず激しく斧を叩きつける鳥頭が、目の前にいた。

その凶悪な武器は、確実に獲物の息の根を止める気概で持ち上げられ、振り下ろされている。


呆然としていたロイに合わせて、都合良く周りの時間が止まってくれた訳ではなかったということ。

しかし、それを理解したところで、不可解な状態ではあった。

彼が左手を失った事実に取り乱していたその最中にも、何度も何度も何度も、その斧は繰り返し振り下ろされていた訳で、ロイの体は既に粉々になっていなければおかしい。

しかし今こうして状況を見上げながら、呼吸を整えているロイ自身が証明するように、鳥頭の攻撃は、ただの一度もロイには届いていなかったことになる。


「っ…!」


意識を整えてみれば、見えてくる。

ロイを取り囲むように壁があった。

だが、その壁は普通ではなかった。

柔らかさを感じさせる表面には、血が通っているのか赤味があり、誰かが身体を張って包み込んでくれているように見える。

それがぐにゃりぐにゃりと、内側にひしゃげながらも、斧の一撃一撃を防いでいたのだ。


「なんだこれ…。誰が助けてくれたんだろう」


助力者の姿を周囲に探すが、囚われた賢者以外には見当たらない。


そして彼が周りを見渡している間に、事態は更に変化していた。

刃が何度も叩きつけられ、最初は肉を断ち切るような音だったものが、やがてバキバキと骨を砕く音に変わる。

頭上から血肉の塊と白い破片が降り注ぐ。


(この白いものは、何?)


何度も同じ個所を叩かれ、ロイを守っていた肉と骨の防壁が限界を迎えつつあった。

しかし度重なる不思議な現象に現実感を喪失していたロイは、ぼんやりとそれを眺めることしかできないでいた。


(さっき手首から見えた僕の骨と同じ色)


明らかに今の状況で注視すべきでないことを漠然とした頭で繋ぎ合わせ、現実を理解したのは、致命的な出来事が起きた後になった。


(それはそうか。仮にたくさんの人が僕の上に重なって庇っていてくれたとしても、こんなに強く叩かれたら守れる訳ないよね)


と、現状に妙な納得感を得るロイ。しかしその先、自身に起こる出来事への理解にはひとつ、及ばなかった。

そして鳥頭が渾身の力を載せた一振りが、ロイの身体を真っ二つにする。


「あづっ」


全身に走る強烈な痛みは、高熱を当てられたかのようだった。

その熱はロイの斬られた断面の双方を燃やし、焦がし、溶かす。


(切られた、これで僕は終わりか)


という他人事のような感想を最後に、ロイの意識は途絶えた。


——


暗闇。


何もない。

目を開けているのか、見渡しているのかすらも分からないほどに黒い世界。

これが、賢者から度々聞かされた死後の世界というものかとロイは思った。


『人の意識は、死んでもちょっとだけの間はそこに残るんだよ。その後綺麗に洗われて、記憶も経験もまっさらになって、誰かの子として生まれ変わる。私たちの魂は、そんな風にリサイクルされているんだよね』


だから死んだ直後に、考えられることは何もおかしくないのかもしれない。

あの賢者が言うのだから、それは真実なのだろう。

しかし一つだけ気になることがあるとすれば。

それは確かに聞こえる、ロイを庇った賢者が捕えられたあのスライムが鳴らすいやらしい音。


(音。音が聞こえるのはおかしいよね?死んだのにまだそこに居るみたいに。耳。耳がまだ僕にはあるのかな?どういうことだろう?)


「ーーはっ!」


ロイはその目を必要以上に開き、光を取り込む。

真っ黒だった世界が、一気に真っ白になる。


「んぐ。…はぁっ、はぁっ、い、生きてる?」


確かに鳥頭の一撃を受けて、体が二つに分かれたはずだった。

あの全身で感じた燃えるような熱は、未だ記憶に残っている。

しかし、生きている。

荒くなる呼吸、どくんどくんと繰り返し脈打つ心臓の鼓動。


(なんで僕は、生きてる?)


身体を見れば、真っ赤に染まり中央から二つに分かれた服、そして地面には夥しい量の鮮血が広がり、砂に染み込んでいくところだった。

これらは、斧を激しく打ち付けられた証明。


「それなのに…」


(それなのに、僕の『身体』には何一つおかしなところがない。二つに分かれているようなこともなければ、切られた場所に傷跡すらない)


自分が、実は霊体や屍人などだったと考えるのが妥当だろうか。

信じがたい光景にロイの考えも飛躍する。


そして目前を見れば、終始斧を振り続けていた鳥頭は、その象徴とも言える武器を手放し、両腕をだらりとぶら下げて膝をついていた。


「ええ…」


もう鳥頭とは呼べないかもしれない。

何故ならその頭部は、ロイの目の前から突き出した骨の槍のような物によって貫かれ、目鼻嘴があったであろうそこに大穴を開けていたのだから。

『骨の槍』と彼が認識したのは、関節を持った腕のような白い骨が、先端に向かって螺旋状に連なっていたからだった。

その先端部は鋭く尖っていて、鳥頭の頭部のえぐれ具合から、相当激しく撃ち出されたことが伺える。


「…僕が、やったの?」


状況を理解できずに暫く唖然としていると、骨の槍はさらさらと白い砂になって崩れ落ちた。

そして、槍に支えられていた鳥頭の巨大な身体が倒れ込んでくる。


「え、ちょ!」


慌てて立ち上がり、それを避ける。

大きく深い音と砂埃を巻き上げて倒れる鳥頭。

ロイは頭を振り、現実から浮遊していた意識を手繰り寄せる。


「…今は分からない。分からないけど、そんなことより」


そして事態を多少は整理できたロイは、未だスライムに囚われたままの賢者の元に駆けつけようと走り出した。

すっかり脱力したロイはその足をもつれさせ、全身にかかる荷重も更に増していたが、歯を食いしばり身体を前に進める。

しかしそこに辿り着く前に、スライムが激しく脈動し始め、中の賢者の身体が上下に跳ねた。


「やめろおおお」


(何か、まずいことになる)


ロイにもそれだけは分かった。

息を切らせながら駆け寄り、彼女に纏わり付いているどろりとしたスライムの表皮を、急いで取り除こうとするが、ぬるぬると掴むことができない。


「うぅぐうう、お、ずォオ…」


やがてずるずるという吸引音が賢者から聞こえ始める。


「まさか、賢者様の中に入ろうとしてる?!」


賢者の口がぽっかりとだらしなく開いており、そこから体内へと侵入を始めるスライム。

それを見たからか、ロイの喉も釣られるように熱を感じていた。

何故そのようなことをするのか、ロイには見当もつかない。そして今はそれを考えているときではないとその手を必死に動かし続ける。


「こいつ、離れろ離れろ離れろ!」

「オォ…」


事態が終わることに、それほど時間は要さなかった。

もう捌ける必要のなくなったそれを見て、立ち尽くすロイ。

先ほどまで醜悪な存在感を放っていたスライムは忽然と姿を消し、気を失った賢者だけが、闘技場の中央に残されていた。

否、その小さな身体の中には確かに居るのだ、あの深紅の液体が。

視界が揺らめく。


「あっ」


次の瞬間、ロイと賢者の周囲にはカイゼルを初め、第2部隊の兵士たちが立っていた。

突然の変化に驚きはしたものの、取り囲む彼らの背後の景色から、ここがロイたちが檻に囚われていた城の大広間だと分かる。


(転移、魔法…?戻されたのか?)


確かに居たはずの闘技場が、ロイの視界には欠片も残っていなかった。

転移魔法、それは人や物を、瞬時に別の場所に転移させる魔法。

それは賢者すらも使えぬほどに高位な魔法であると言われており、童話などでしか見られないもの。

あるいは転生者なら可能なのかもしれない。


しかし目まぐるしく変わる状況に、彼はもう考えることをやめていた。


「え、は?!」


突然戻ってきた二人にカイゼルは間の抜けた声を上げ、慌てて倒れたままの賢者を抱え上げる。


「賢者様!何があったんですか!ロイ!どうなってる!」

「…ス、スライムが…」

「ああ?スライムだぁ!?」


カイゼルはうわごとのように呟くロイの言葉を、聴き終える前に怒声を上げ、続けて周囲に声を掛ける。


「おいお前ら何突っ立ってんだ!勇者様に早く報告しろ!撤退だ!」


そして再びロイを睨みつけて、こう告げた。


「こいつは拘束しろ」

挿絵(By みてみん)

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