1-1 辺境と飛行機と滅び
「眠い…」
抗えない強烈な睡魔が彼を襲う。
いつものことだ。
(こんな天気だからいけないんだ)
ロイは、丘の上にある小さな村に生まれた。
彼の父は辺境伯で、王都領の最南端にあるこの村を統治している。
統治とは言っても、村の南にある小国家群とは、古くから和平条約が結ばれているため、外周には低い石垣があるだけで、兵士すら居ない。
代わりに村の男たちが交代で見張りをする程度のものだった。
優しい風が吹く、平和を描いたような村。
「そろそろ⬜︎⬜︎⬜︎が来る頃だ」
ロイが眠りに落ちかけたところに、幼い、しかしとても落ち着いた声が掛けられる。
彼は村の裏手の森の中にある、小さな穴倉の中に居た。
そこに足繁く通う子どもたちは、誰が最初に言ったか、その穴倉のことを秘密基地と呼んでいた。
中はひんやりとしていて、入り口から入り込む陽光は優しい。
「ん…。…そうかな?じゃあ僕はもう少し遅れる方に賭けるよ」
「おまたせー」
子供しか入れないような小さな入り口。
それを隠すように、おさげを二つ揺らした影が覗いた。
「ほら、やっぱり来た。おれの勝ちだな」
「残念」
「勝ちって何?どういうこと?」
その影は四つん這いになって中に入ってきて、少年の隣りに座る。
ロイのこの村でできた、たった二人の友人。
ひとりはとても頭の良い少年。
「ねぇ⬜︎⬜︎⬜︎、今日は何の話をしてくれるの?」
「そうだな…じゃあ100人以上を乗せて、空を飛ぶ乗り物の話でもしようか」
「えっ!?そんなの聞いたことないよ?」
「ロイは知らないだろうな」
彼は様々なことを知っていた。
それは、村の誰もが知らないような知識で、本当かどうかと考えてみても、およそ現実には考えられないようなことばかり。
人を乗せて空を飛ぶ金属の塊、知らない誰かと繋がることのできる板、世界を一粒で消し去る爆弾…。
絵空事のような話はしかし、妙にリアルな描画で語られ、好奇心が刺激される。
「私もそれ知ってるよ!飛行機でしょ?」
「…あー、そうだった。じゃあこれはどう?」
少年の横で、得意げにしてみせるもう一人の友人。
ひとつ年上の少女で、ロイは彼女のことが好きだった。
「それって本当の話?」
「こっちには無いみたいだけどね、さくっと持って来れないかな?⬜︎⬜︎⬜︎」
「うーん、ちょっと難しいかもね?」
「って、ロイ。聞いといて寝るなよ」
「ん…ごめん。天気良すぎなんだよ〜」
ロイたちにとって、この秘密基地に集まりおしゃべりをすることが、日々の楽しみになっていた。
—-
その日の夕暮れ、秘密基地からの帰り道。
「ここに居たか」
「えっ?」
前触れなく現れた長髪の男。
突然のことで、体を硬直させてしまう。
ロイは目の前の男を、一度も見たことがなかったので、旅人だろうかと思った。
暗がりではっきりとは見えなかったが、中央で分けた髪は腰まで不揃いに伸びており、髭も生えていた。
「あんたは…誰だ?」
少年が少女を庇うように立ち、男に問いかける。
彼が咄嗟に身構えた理由は明白だった。
男の肩越しに黒煙が上がっていたからだ。
(あの煙は、何だろう…?)
ロイはまだ理解できていない様子でそのドス黒い煙を眺める。
煙の元を辿って視線を下げていけば、崩壊した村があった。
ここからでは詳細は分からないが、壁も何もかもが崩れ、方々から火の手が上がっていることは少なからず分かる。
村の中心には、ロイの父がシンボルとして作らせた大きな噴水と、それを取り囲む広場があったはずだった。
しかし今はその場所に、一軒の屋敷が逆さまに突き刺さっており、ぐしゃりと潰れていた。
見覚えのある青い屋根。
ロイはそれが自分の家だとすぐに分かった。
でも、それはおかしいと思った。
自分の家は、村の最も奥ばったところに建てられているのだから、あんな場所にある訳がない。
(…あれは何だろう?)
ふわふわとした気持ちで、さらに視線を泳がせれば、崩壊した家々の周囲や道端には、トマトを落としたような赤い水溜まりがいくつも広がっていた。
しかしロイには、それが何なのか分からなかった。
「い…行かなきゃ…」
ようやく事態を理解したロイは、家族や村の人の安否を確認しようと、本能的に体を動かそうとするが、硬直したままの手足が言うことを聞かない。
「もう誰も生きちゃいないよ」
「え…?」
少年はこちらに顔を向けずに緊張した声音で呟いた。
何故そんなことを言うのかと、問いただそうとしたが、対峙している相手は時間を与えなかった。
「私は転生者だ。…こう言えば分かるのではないか?」
男がロイたちを睨んで言った。
発せられた声色に、見た目よりもかなり若いのではないかと、ロイは彼に対する認識を改める。
「…あなたが…あれをしたんですか?」
ロイが辿々しく尋ねるが答えはない。
そして男が村を滅ぼした理由も、憎々しげに自分達を睨んできた理由も、結局分からず仕舞いになった。
何故なら次の瞬間には、少年が影も残さず消え、次に隣りに立っていた少女が消え、そして男もまた、既にいなくなっていたからだ。
一瞬の出来事だった。
その場にロイだけが取り残された。
—-
ひとり、いつまでも滅びた村を見ていた。
体が鉛のように重い。
呼吸を思い出したように始めて咽せてしまう。
村に行く気はとうに失せていた。
『もう誰も生きちゃいないよ』
少年の言葉を認めてしまったこともあるが、一番の理由は、すくんでしまった足がロイを立ち上がらせてくれなかったからだった。
一瞬にして住んでいた場所、たった二人の友人、自分を構成する要素の全てを奪われた。
「転生者の残り香を辿ってきてみれば…」
「貴方の言った通りだったね。しかし…これはひどい…」
突然、背後から声が聞こえて、思わず身をすくませる。
(そうか…いつも二人と一緒にいたから気づかなかったけど、僕は臆病者だったんだ)
振り返ってみれば、そこには見知らぬ二人が立っていた。
あの男と言い、今日は知らない人に良く会う日だと思った。
鳥の彫刻が入った杖を背中に背負った幼い少女と、白髪を足元まで伸ばした初老の男。
少女がロイをにこにこと見つめてこう言った。
「君は、名前は何と言うの?」
優しく、穏やかな声音。
碧い髪の少女は、ロイの腰までほどの身長だったが、見た目に反して落ち着いた印象だった。
「ぁ…ぁぅ」
しかしロイは、うまく声が出せなかった。
また何かを奪われてしまうのではないかと恐れた。
もう残されたものは多くない。
命、命ならまだ奪われるものとして勘定できるかもしれない。
「ごめんね、怖かったよね。ゆっくりでいいよ」
少女はそんなロイの様子に慌てて駆け寄ると、背中に手を回しそっと撫でた。
避けようとしたが、恐怖から体が動かず、それを受け入れてしまう。
しかし、その小さな手の平から暖かい体温が背中に広がって、感情が少しずつ解けて行くのを感じた。
やがて嗚咽混じりに言葉を発する。
「ぅぅ…ぼ、僕は、ぅロイ、ロイと言いま…すっ…ぅぐっ…」
口を動かして名乗ってみれば、それをきっかけに次々と涙が溢れた。
それはいくら拭っても収まらず「知らない人が見ているのに…」ロイはその場で立っていられなくなり、うずくまってしまった。
「…かわいそうに」
初老の男も駆け寄ってきて、彼の頭を優しく撫でる。
ロイはそれでも涙が止まらず、体はガクガクと震えて、それを止めようとしてもどんどん大きくなってしまう。
まるで幼子に戻ったような感覚だった。
「ぁっ…あぁああっ…」
それ以上はよく分からない言葉ばかりが口から溢れ、しかし声を出さずにはいられなかった。
「ロイ、私たちと一緒に転生者に復讐しよう」
転生者、長髪の男が自分のことをそう名乗っていた。
少女がなぜ、自分がこの先辿り着くであろう目的を、先に言葉にできたのかは分からない。
それでもロイは、大きく何度も頷いた。
『転生者に復讐する。みんなを奪った転生者を、絶対に…絶対に許さない』




