婚約破棄? じゃあその子、もらっていきますね
「ステラ・シルバーレイン! 本日この時をもって貴様との婚約を破棄する!!」
突如として鋭く響いた大声に、ホールでざわめいていた百名を超える学生たちが一斉に静まり返りました。
私――その言葉をぶつけられた当人であるステラも静まり返ったうちの一人です。……内容に驚いたといえば驚いたのですが、正確には、馬鹿さ加減に思考が追い付かなかったのです。
次第に集まる視線に冷静になるよう刺激されフゥと一つ息を吐き、まず一番肝心な部分を尋ねるべく目の前の集団、その先頭で腕を振り上げている金髪の青年――私の婚約者に問いかけます。
「……ディオ王子殿下、この件は国王陛下や私の父も了承しているのですか?」
「はぁ!? 俺自身の結婚だぞ! 俺が決めて何が悪い!」
つまり、了承はしていない……そもそも話を通していない可能性が高いですね。
私とディオ第二王子殿下との婚約は、国王陛下と父であり宰相でもあるシルバーレイン侯爵により国益を考えて成された契約。それを学院の新年パーティという祝いの場で一方的に通達することがどれだけ愚かなのか、この方は本当にわからないのでしょうか。ディオ王子殿下に侍る学友にして将来の部下たちは、何の疑問も持たなかったのでしょうか。……ディオ王子殿下と同じく私を睨みつけている辺り、持たなかったのでしょうね。
政略ゆえ元より愛情など抱いておらず、その点に関しては大きなショックはありません。しかしそれでも国のため、王子妃になるべく様々な教育を受け、出来る限りディオ王子殿下と友好的な関係を築こうと努力をしてきたのは全て無駄だったのかと思うと、徒労感がどっと身に押し寄せてきます。
痛くなってきた頭を押さえるのを何とかこらえ、続きを尋ねます。
「……破棄の理由をお聞きしても?」
「はっ! 貴様の数多の罪状を俺が知らぬと思ったか!」
「罪……? 覚えがありませんが……」
「しらばっくれるな! 貴様が聖女殿に陰湿な嫌がらせ、侮辱、器物損壊、傷害、果ては学院運営費の横領まで行っていたという証言が山のようにあるぞ!」
……どうしましょう、本当に、全くもって、身に覚えがありません。
聖女殿とは……教会より聖女認定され、王都一のこの学院に編入した元準男爵、現ルミナリエ子爵令嬢のことですね。聖魔法に優れ、蒼穹の髪と瞳を持つ大変愛らしい少女。最近ディオ王子殿下が執心していたように見えていましたが……そこまででしたか。私自身は彼女とまともに会話をしたことすらありませんのに。
果たしてこの件は聖女の権力を欲したディオ王子殿下が発端なのか、王子の権力を欲したルミナリエ子爵令嬢が発端なのか……いえ、今考えるべきはそこではありません。このまま反論をしないでいると、ありもしない罪を認めたことになり捕縛されてしまいます。遠巻きに見ている学生たちの声に、私への非難の色が混じり始めてきました。私からすると冤罪であっても、王子という高貴な立場の方が声高にいっていれば何も知らない学生たちが追従するのも不思議ではありません。まずいですね……。
しかし、私が動くよりも先に、救済が。
「婚約破棄? じゃあその子、もらっていきますね」
いっそ場違いなほどに明るい声で、学生たちをかき分け、一人の人物が私たちに向けて歩み寄ってきます。
ドレスではなく男女のデザインの区別のない騎士礼装、スラリとした体型に中性的な顔立ちをしているせいで少年にも見えますが、声からして少女。そして王国ではあまり見かけない黒髪を頭の後ろで結い、黒目の――もしや。でも何故、このようなところに?
私が彼女の正体を察して驚いている一方、邪魔が入ったことに更なる苛立ちを募らせるディオ王子殿下。
「貴様、何者だ!?」
「ディオ王子殿下におかれましてはお初にお目に掛かります。私、アッシュフィールド辺境伯家当主にして領主をしております、クロノアと申します」
「アッシュフィールドぉ…………? …………東の田舎者じゃないか! 貴様の出る幕などない! とっとと去れ!」
田舎者……ですって……?
えぇえぇ、確かに王都に比べればどこであろうと田舎になりましょう。
ですがアッシュフィールド辺境伯領は、魔の領域より無限に湧き出る魔物たちから王国を守る盾であり、質の良い魔物素材を流通させてくださる、王国にとって非常に重要な領地です。
さらに彼女、クロノア様は平民でありながら若干十二歳にして特級ハンターに認定され、その能力を前辺境伯に熱望されて養女となり、昨年前辺境伯の死と共にアッシュフィールド家を継いだ、異例の経歴の持ち主であるものの確かな実力者。決して田舎者などと蔑んでいい相手ではないというのに……!
私の内心の焦りなど知る由もなく、アッシュフィールド辺境伯は田舎者と呼ばれても気を悪くすることもなく、逆に何故かニコニコと笑みを浮かべ。
「婚約破棄したんですよね? つまり彼女はフリーですよね? だからもらっていこうかと思いまして」
……それ、聞き間違いじゃなかったのですね。ディオ王子殿下の発言とはまた方向の違う驚きに声も出ません。
その間にも、どんどんと話は進んでいきます。
「は、はぁ!? そんなこと許されるわけがないだろう!」
「おや、何故です?」
「その女には山ほど罪状がある! 牢屋行きだ!」
「では逮捕令状をお見せいただけますか? 現行犯以外は令状なしの逮捕は出来ませんよ?」
「お、俺が許可するといっているんだ!」
「王族といえど法には則っていただきませんと。ちなみに私は国王陛下と宰相閣下に、彼女が頷けばもらっていいと許可をいただいております。証文ありますけど、見ます?」
お父様!? 私、何も聞いておりませんよ!??
あくまで飄々とした態度を崩さないアッシュフィールド辺境伯に対し、ついにディオ王子殿下は怒り心頭に達したようで。真っ赤な顔をして、周囲の学友たちに命令を下します。
「ふざけるのもいい加減にしろ! えぇいおまえたち、こいつごと引っ捕らえろ!!」
ディオ王子殿下の声に呼応して、取り巻きの騎士科の学生三名が剣を抜き放ちます。
もちろん模擬剣などではない、真剣。
これには私に悪態をついていた学生たちすらも悲鳴を上げ、しかし誰も私を助けようなどと思うこともなく。
その中で一人、アッシュフィールド辺境伯は私を背に庇うように位置取りを変え……よく通る声で一言。
「武装禁止区域における帯剣と抜剣を確認。現行犯で鎮圧する」
私に見えたのは、マントをなびかせる彼女の後ろ姿だけ。その手には何も持たず、徒手空拳。
危ない――そう思う間もなく。
バキッ! ドゴッ! ゴバッ! 「ぐえっ!?」
瞬きの間に三人の騎士からは剣が取り落とされ、その身は床に転がされていました。おまけにその騎士たちはディオ王子殿下を下敷きにする始末。
このパーティホールには魔法禁止結界が展開されています。つまり彼女は身体強化魔法なしにその身一つで一瞬で三名を無力化したことになります。……特級ハンターの肩書は伊達ではないということでしょう。
パンパンと手を払ってからアッシュフィールド辺境伯は私へと向き直ります。その表情は先ほどの戦闘が嘘かのように見る者を安心させる穏やかな笑顔で。
私の前へと歩み寄り、跪きます。
それは騎士が王に向ける最上位の敬意。芯が通っている、あまりにも美しい所作。彼女は元平民のはずなのに、一体どこでそのような完璧を作法を身に着けたのでしょうか。
「シルバーレイン侯爵令嬢、ステラ様。クロノア・アッシュフィールドが謹んでお願い奉ります」
私に請うように手を差し出して、切実な声で語り掛けてきます。
「私には貴女が必要です。どうか共に来ていただけないでしょうか?」
まるで物語の一幕のような光景。
再び静まるホールと、わずかにあがる黄色い悲鳴。それがなければ私も貴族令嬢らしからぬ声を出してしまったかもしれません。
真っ直ぐな言葉、真っ直ぐな瞳。
王国内では忌避されがちな闇色を身に纏っておきながら、不安感を抱かせない柔らかな気配。
じっとその深い夜のような黒瞳を見つめ返し……私にこれまで叩き込まれた教育と、経験と、勘が、彼女に悪意は一欠片もないと判断を下します。
「――わかりました」
彼女の差し出した手に私の手を載せます。
すると彼女は大仰に両手で私の手を包み、額へと軽く押し付けました。これも最上位の感謝を表す所作。
触れられた手が熱い。わずかながら自分の体温も上がったかのような錯覚。
それに浸る間もなく……幕を引き裂く怒声が。
「きっ……さまぁ……王子である俺にこんなことをして、許されると思うなよ……!」
どうやらディオ王子殿下が我に返ったようです。……実態はどうあれ、王子殿下に危害を加えたと見なされてしまえば、アッシュフィールド辺境伯にどのような罰が下ることか。
この場をどう切り抜けるか考えようとする私を遮るように、アッシュフィールド辺境伯と繋いだままだった手がぐいっと引かれます。
「とりあえず、話が出来る場所に移動しましょう」
「ですが――」
「問題ありません。私はあのアホボン――もといディオ王子殿下とは違って根回し済みですので」
……そういえば妙な証文を持っているのでしたっけ。
私は何か引っ掛かりを覚えながらも、アッシュフィールド辺境伯に手を引かれるまま学生たちの間をすり抜け、ホールの外へ。衛兵が数名来ましたが、私たちには視線をくれるだけで入れ違いにホールの中へと入っていきます。……どうやら本当に問題はないようですね。
ホッと息を吐く私に、アッシュフィールド辺境伯は小さく囁いてきます。
「すみません、飛びますね」
「――えっ?」
『飛ぶ』とは一体?と疑問を口にする前に、足元から地面が消えて、ふわりと内臓が浮くような感覚。
唐突な出来事にギュッと瞼を閉じ、数秒。
もちろん実際に落ちていたわけではなく、気付けばまた地を踏みしめる感触が戻ってきて、恐る恐る瞼を開くと。
「……学生、寮?」
先ほどまで私たちの滞在していたパーティホールのある建物ではなく、そこから徒歩で二十分はかかる学生寮が視界に入りました。
不可解な事態に混乱している私に、アッシュフィールド辺境伯は驚くべき事実を告げてきます。
「まぁ、転移魔法ってやつですねぇ」
「――転移」
転移魔法。実在の噂は聞いていましたが、誰一人として見たことのない魔法。
それはなんて――――危険な。
「おっと。便利さより先に危険を感じるあたり、為政者側の視点って感じがしますね」
実際に口に出してはいなかったのですが、懸念を抱いた私に気付いたようです。アッシュフィールド辺境伯は悪びれるでもなく、苦笑しながらどこか面白そうにいいます。
そして、またしても重要なことを、何てことのないもののように。
「そこも問題ないと思います。この魔法を暗殺や誘拐、危険物の密輸など悪事に使用しない、と国王陛下の前で創世神の神紋契約していますから。まぁ転移魔法が使えるといいふらす気もないですし、逆にそういった用途に使われる気もないという宣言でもありますが」
「創世神の神紋契約ですって……!?」
神紋契約とは、神々に誓う契約です。その神々の中でも最も格が高いのが創世神。
破ると確実に神罰――死よりも辛く重い罰が下されるという。
『神紋契約を結んでいる』という虚偽も許されないので、彼女のいっていることは間違いなく事実。
いくら国王陛下の警戒を解くためとはいえ、王国内どころか世界で一番重い契約を用いるのは大胆と評するべきか、誠実さの表れと評するべきか……。
「えぇと……その、学生寮でお話を?」
「いえ、お手数ですががもう一回移動……アッシュフィールド辺境伯領へとお招きしたいと考えております。ですので、着替えてきてください。パーティ用のドレスでは息苦しいでしょう?」
……なるほど?と思いながら、「ここで待機してますから」と手を振るアッシュフィールド辺境伯に背を向け、私の部屋へと向かいます。
ノックをし、在室しているはずの侍女の名前を呼びながら扉を開けると、彼女は慌てて私へと走り寄ってきました。
「お嬢様? 新年パーティが終わるには早いのではありませんか?」
「急用が入りました。外部での会談用の衣装に着替えますので手伝ってください」
アンナは私が幼い頃からの専任の侍女で信用が置ける相手ではあるものの、正直に婚約破棄騒動のことを話して拗れてアッシュフィールド辺境伯を長くお待たせするのも悪いので、端的に事実だけを告げたのですが。
「外出ですか? ではお供いたします」
学院内ならともかく、学院外への私一人での行動は許可されておらず、当たり前のようについてくる気のようで。
どう説明をしたものか迷いながら着替えを終え、アンナをアッシュフィールド辺境伯に紹介をすると。
「この人は信用出来る人ですか?」
「えぇ、それは私が保証します」
「それなら一緒でも大丈夫ですよ」
あっさりと受け入れられました。これは……私が信用されていると捉えてもよいのでしょうか。彼女と話したことはないのですが……。
アンナに「何が起こっても決して騒がないように」と注意をしてから、再度アッシュフィールド辺境伯の手を取ります。
一呼吸の間に、見慣れた学生寮から見慣れぬ館の門の前へと。二度目の転移は、初回の時ほど不安定感はありませんでしたが、やはりどうにも落ち着きません。
私とは違い初回で、驚きながらも必死に自分の口を押さえて声を出さないようにしているアンナを横目に、半ば答えに予想をつけつつアンナへの説明も兼ねてアッシュフィールド辺境伯へと尋ねます。
「ここは?」
「アッシュフィールド辺境伯領の領主館です。大したおもてなしも出来ませんが、ようこそ我が領へ」
アッシュフィールド辺境伯領は王都から馬車で七日はかかる距離なのですが……たしかに転移魔法は使い方次第で危険であっても、便利すぎて使いたくもなるでしょう。
領主とその連れなので若い門番から顔パスで見送られ、意外と綺麗に整備された石畳の上を歩いて行きます。
「あちらには訓練場が」、「その隣に厩舎が――」と軽い雑談を聞きながら歩くこと数分、広場の方からたくさんの子どもたちが走り寄ってきました。……領主館の敷地内に、何故こんなに子どもが……?
「ねーちゃんおかえり!」
「りょうしゅさま、あのねあのね――」
「オレ、やっとあれができるように――」
どの子も楽しそうに、嬉しそうにアッシュフィールド辺境伯へと我先に話しかけます。その態度はおよそ貴族、それも自領の領主にするものではないのですが、彼女は気にする様子もありません。元平民だからでしょうか。
その中でも年かさ……といいましてても私より一つ二つ下なだけに見える少女が、一番幼い三歳くらいの幼な子を抱きかかえながら、私たちに視線を向けてきます。
「クロ様、そちらの方々は?」
リンと呼ばれた少女の言葉に他の子どもたちもやっと私たちに気付いたようで、物珍しいのか更に興奮の度合いが増しました。
「うっわ、すっげー美人!」
「きれいな銀色の髪! お星さまみたいにキラキラ!」
……これまで容姿は何度も褒められてきているので慣れてはいる、と思っていたのですが……子どものお世辞ではない純粋な褒め言葉には少々背がむずむずしてきました。貴族への気安い態度にアンナが前へと出ようとしましたが、目で抑えます。
「この方はシルバーレイン侯爵家のステラ様といって、とっても偉い……あっ――」
「子どものしていることです、お気になさらずに」
礼を失した行動だったと今になって気付いたのでしょう。アッシュフィールド辺境伯が焦り顔で私たちを窺いますが、罰を与える気など毛頭なかったので先に宣言しておきます。王都ならともかくここは彼女の領地ですし、辺境伯家『当主』の前で侯爵家『の娘』が偉ぶることなど出来ません。国王陛下が彼女をアッシュフィールド辺境伯家の当主と認め、領主として任せているので、元平民であるのは些細なことです。
などと色々考えてはいたのですが、次の言葉で全部スポンと抜けてしまいました。
「まま、まま」
――ママ……??
「ん、シーちゃん、ただいま」
少女が抱き上げていた幼な子がアッシュフィールド辺境伯へと懸命に手を伸ばし、彼女もそれに応えて優しく抱き上げました。その動作に固い部分はなく、手慣れていることがよくわかります。まさか本当に母親……いえ、彼女は私と同じ十五歳のはずです。いくらなんでも早すぎるでしょう。
戸惑う私に気付いているのかいないのか、アッシュフィールド辺境伯は幼な子を軽く抱きしめてから少女へと返しました。
「ごめんね。お仕事が残ってるから、また後でね」
「……うぅ」
「リンも引き続き皆をよろしく。あ、これ王都のお土産。皆で仲良く食べてね」
そういいつつ、アッシュフィールド辺境伯はどこからともなく大きな袋を取り出していました。……本当にどこから……まさか空間収納魔法……?
無言ながらも驚く私とアンナに対し、子どもたちは不思議でも何でもないのか歓声をあげて受け取っています。
「かしこまりました、クロ様。お邪魔をしてしまったようで、申し訳ございません」
リンと呼ばれた少女はぎこちないながらも私たちに向けて礼をしてから、まだ騒ぎ続ける子どもたちを引き連れて広場の方へと戻っていきました。
アッシュフィールド辺境伯は子どもたちに手を振り、私たちを館の方へと促してから付け足してきます。
「子どもたちが失礼をしました。……一応いっておきますが、私の実子じゃないですよ?」
「……でしょうね」
「あの子たちは魔災で両親を失った孤児です。領主館に併設している孤児院で面倒を見ています。なので、私がというよりは領主館の皆が親代わりですね」
――魔災。
正確には魔物災害と呼ばれ、魔物から被る被害全般のことを指します。直接的には魔物から怪我を負った者、間接的には魔物の持つ悪気で病になる者まで様々です。
ここアッシュフィールド辺境伯領は魔の領域と接しており、魔災発生率が王国内で飛び抜けて高い過酷な地です。この領に住む人々が魔物を倒してくれるからこそ、王都は平和と言えるのでしょう。
「これでも三年前から被害は大きく減っているのですが、それでも毎年被害者は出るのでままならないものです」
「三年前、といいますと……」
「ンフフ。権力は使ってなんぼですからね。色々とやらさせていただきました」
やはり、アッシュフィールド辺境伯が養女になったタイミング。確かに権力は正しく使えば人を救いますが、一体どのようにして……?
「何をなさったのかお聞きしても?」
「んーっと……魔の領域との間に壁を増やしたり、兵士たちの武器防具を強化したり、早期警戒網を構築したり」
挙げられる施策は内容としてはどれも頷けるものでした。
しかし、どれもいうは易し、行うは難し。当時十二歳の少女が権力を得たからといって、早々に行えるものではありません。出来るなら、とっくに行っていたことでしょう。
でありながら、彼女は成し遂げている。被害者の大幅削減という実績を出している。これは私も書類をお父様に見せていただいたことがあるので間違いありません。何より転移魔法を体感したことで、ありえないことがありえそうなことへと変化しているのです。
生まれてからこれまで、王族に連なっても恥ずかしくないよう努力を重ねて、学院でトップの成績を取り、お父様から出される課題もそつなくこなしてきたことで、私はそれなりに出来るのだと自負してきましたが……彼女に比べればどれも霞んでしまいます。
「クロノア様、お帰りなさいませ」
領主館の目の前に辿り着くと、女性――というより少女が私たちを出迎えてくださいました。……どこか見覚えがある気がします。
「ただいま。ステラ様、この者は私の幼馴染で補佐官のランです。ちなみに先ほど会ったリンの実姉ですね。ラン、こちらの方がシルバーレイン伯爵令嬢のステラ様とその侍女アンナさん」
姉妹でしたか。見覚えがあるはずですね。
しかし……幼馴染、ですか。先ほどから何かが少しずつ引っ掛かっているのものの、どうにも言語化できません。こう、喉元まで出てきているのですが……。
もどかしく思っている私の耳にビーッと大きな音がどこからか入り、不意打ちに思わず肩を跳ねさせてしまいます。
どこから? 何の音? と辺りに視線をやる私に、アッシュフィールド辺境伯が「すみません」と断ってから耳元――身に着けていたイヤーカフに指を当てて話し始めます。
「こちらクロノア。索敵班、今の警報音の説明!」
『領主様!? よかった、戻っていたんですね! 南の五の方角より大きな飛行型の魔物、推定ワイバーンが来ているそうです。数は……二、三……五……八体!!』
姿は見えないものの、いずこかから――おそらくイヤーカフから聞こえる叫び声。あれは声を伝える魔道具なのでしょうか。あそこまで小さい形の物は見たことがありません。
それよりもワイバーンが八体……事実でしたらただならぬ出来事です。王都であれば騎士や随伴魔法使いが何十人と出撃し、場合によっては何人か帰らぬ人となることでしょう。
迫りくる惨劇を想像し顔色を青くさせる私とアンナ。しかしアッシュフィールド辺境伯は軽く眉をしかめた程度でした。
「わかった。本当なら経験を積ませたいところだけど、今回は時間がないから私が一人で全部やる。他からも来てないか警戒は続けて、何かあったらすぐ報告を」
『りょ、了解でありマス!』
「解体場、大きいの八体持ってくから空けといて!」
『っわわ、領主様? 了解っすよ!』
「ラン、ステラ様たちを執務室にお通しして、一番いいお菓子とお茶でもてなしておいて」
「執務室、ですか? あそこは今――」
「そこが一番現状がわかりやすいからね」
「……承知いたしました」
焦りも何もなく自然体で、イヤーカフをいじりながらアッシュフィールド辺境伯は指示を出していき。
「ステラ様、空気を読まない魔物がすみません。すぐに片付けてくるので、しばらくお待ちいただけますでしょうか」
「え、は、はい」
ぎこちなく返事をするしか出来なかった私に一礼をしてから、足元から光を発生させ、フッと姿を消します。すでに二度経験していたのに、それが転移魔法だと気付くのに少し時間がかかってしまいました。
「それでは、ご案内させていただきます」
呆けていた私を引き戻したのはランさんの静かな声でした。アッシュフィールド辺境伯同様、焦りはありません。
「あ、あの……大丈夫なのでしょうか?」
「クロノア様のことでしたら問題はありません」
逡巡する間もなくはっきりと返ってくる答え。……そこには確かな信頼が刻み込まれていました。
アッシュフィールド辺境伯とやりとりしていた誰かも、彼女の存在に驚きはしても発言内容に疑問を挟むことはありませんでした。
つまりそれだけ彼女が信頼されており、信頼される程度には繰り返されているということ。私がごくりと唾を飲み込んだのは、畏敬なのか……恐怖なのか。
そうして、領主館にしては人気の少ない廊下を歩き、階段を上り。どっしりと大きな扉の前へと辿り着きます。
「こちらが執務室です。……その、非常に散らかっておりますが、ご容赦くださいますようお願い申し上げます。レン、入りますよ!」
魔物の一報にも平然としていたランさんが、少々気まずげにしたことに内心で首を傾げつつ、開けられた扉の向こうへと目を向けてみれば。
――書類の山、小山、大山、雪崩。
机上はもちろん床にまで書類は積み上げられ、辛うじて人の通る場所だけ絨毯が見えています。
別の意味での惨状に呆気に取られていると、奥に並んだ大きな机に置いてある書類の山がしゃべり――いえ、普通に人ですよね。
「お帰りクロ――って違ぇじゃん。ラン、迎えに行ったんじゃねぇの? あとその人らはひょっとして新しいお手伝いさんか?」
「クロノア様は魔物討伐に出ています。そしてこの方々はクロノア様のお客様です。礼を正しなさい」
立ち上がったのか、書類の山の上から目元を隈で彩った少年の顔が見えました。これもまた、見覚えのある顔で。
ランさんは、同じくアッシュフィールド辺境伯の補佐官にして双子の兄のレンさんと紹介してくださいました。想像通りですね。
「あー……すんません、今どかすんでちょっと待っててください」
ランさんはお茶の用意をするといって部屋の外に出て行き、レンさんはふらふらと頭を重そうにしながら部屋中央にあるテーブルとソファから書類を移動させていきます。
その態度にまたもアンナが何かをいいたそうにしていましたが、書類ですべって転ぶレンさんを見て頭を押さえつつ大きな溜息を吐き、移動を手伝います。本来なら他領の者が見てはいけない書類も混じっているのでしょうけれども……アッシュフィールド辺境伯はそこもわかった上で私たちをここに通したのでしょうし、一先ず気にしないことにしました。
黙々と二人が書類を片しているのをぼんやりと眺めていたところ(私が手伝うのはアンナに止められました)、カッと窓の外から強い光が差し込みました。続いてドォンと響く低音。……雷でしょうか?
「おーおー、今日も派手にやってんなぁ」
「派手にやってる……とは?」
「ん? クロ……サマが魔物を討伐に行ってるって聞いたんすよね? あれ、クロサマの魔法ですよ」
「――」
「見ます?」とレンさんに促され、私は執務室の窓から外を眺めます。
領主館は小高い位置に建てられているようで、視界が広いです。視線を先に移すと、高さ十メルはありそうな比較的新しい壁が見えてきます。あれがアッシュフィールド辺境伯が建てたと仰っていた壁でしょうか。
壁の向こうには、見る者を不安にさせる形状をした巨木で構成された鬱蒼とした森。更に奥の方には切り立った崖のような峻厳な山。纏わりつく雲は黒く、まるで冥界から瘴気が溢れてきたかのような不気味さ。
あまりの魔物の多さに開拓も出来ず防衛で精一杯で、誰一人として踏破したことのない、王国で最も危険で、最も未知である魔の領域。
何度も話には聞いておりましたが、こうして実際に目にすると手がわずかに震えてしまいます。
その森の中から――空へと迸る一条の閃光。
それは、うっすらと見える黒い何か――報告通りであればワイバーンを貫き、雲すら散らし。
ここからは小さく見えても、実際には巨大であろうワイバーンが、呆気なく落ちて。
そしてまた一つ、二つと、落ちていって。
『すぐに片付けてくるので』
嘘偽りも、誇張もなかった言葉。
まさにただの片付け――一方的な蹂躙。
――あまりにも強大な力を、一個人が所持している。
ふらりと、一歩退きそうになり――小さな声に、押し留められます。
「俺は細かく話を聞いてないからアン、アナタのことはよくわかりませんが、クロサマが連れて来たからには何かしら意味があるんでしょう」
「……えっ?」
「クロサマは見ての通り、領内一、いや、王国一の剣だ」
声の主、レンさんは窓の外に向けていた顔をゆるゆると私へと向け、温度感の読めない視線で見つめ。
「でも、アイツの本質は盾です。だから……どうか、怯えんでやってください」
「――」
剣ではなく盾。怯えないで。
その言葉の意味を知るのは、この少し後のことでした。
「お待たせいたしました。お茶をお持ちしました」
ランさんがワゴンを押して戻ってきました。
窓の外もすっかり静かになったことですし、私はソファに大人しく座ります。
そしてテーブルの上に置かれたのは、紅茶と……お皿に盛られた見慣れない、茶色くてやや歪な丸い物体。……これはお菓子、なのでしょうか?
黙る私に何を思ったのか、アンナが小さく耳元で「毒見をいたします」と囁きます。
アッシュフィールド辺境伯が私を毒殺などするはずもない――領地に連れてきて毒殺など疑ってくださいというようなもの――ですが、アンナの行動を止められる立場でもありません。が。
「おっ、チョコじゃん! 俺にも分けてくれ!!」
「はいはい、用意しているので静かになさい。お客様の前ですよ」
レンさんの明るい声に、茶色いそれを一つつまみ、口にしようとするアンナの手がピタリと止まりました。
「くぅ~っ……うめぇ! 頭使った後のあめぇもんは最高だな!」
「だから静かになさいと……!」
ちょこと呼ばれる謎の物体を、それはそれは幸せそうにレンさんが食べています。叱りつけるランさんの言葉すら耳に入っているのかいないのか。
私はそっとアンナと顔を見合わせます。あの様を見せつけられて毒見の意味もないでしょうが……何ともいい難いような顔をしつつ、アンナも手にしていたそれを口へと。
「――ッ!?」
「……アンナ?」
途端、アンナはカッと目を見開き、両手で口元を押さえ。
……吐き出さずに咀嚼しているから毒物ではないと思われますが……この反応は一体何なのでしょうか……?
こくりと飲み込み、ほぅと名残惜しむような溜息を吐き……そこでやっと自分の役目を思い出したのか、アンナは慌てて私へと頭を下げてきます。
「お嬢様、失礼いたしました。こちらは食べても問題ありません。むしろぜひ召し上がっていただきたく存じます」
「え、えぇ」
心なしか興奮しているアンナに促され、私も、一口。
「……っ」
甘い――!
王都の煌びやかな砂糖菓子とは異なり質素な見た目であるのに、暴力的なまでの甘さが私の口内に溢れます。
けれどもただ甘いだけではなく、舌触りも良く、滑らかで、上品な甘さ。砂糖とミルクを使用しているのは確実でしょうが……他に何が混ぜられているのか見当も付きません。
ゆっくりいつまでも味わっていたい、そう思えるような味でしたが、残念ながら口の中で蕩けてなくなってしまいました。
「あいにくではございますが、紅茶は王都でも売られている銘柄です。お好みにもよりますが、ストレートでお召し上がりいただくとよろしいかと」
「え、えぇ、いただきますわ」
全部ランさんにも見られてしまい(彼女は何も見てなかったかのような涼しい顔でしたが)、恥ずかしい気持ちを抱きながら紅茶を口に含みます。……確かに以前味わったことのある味でしたが、ちょことやらの甘さに合う良い選択です。
しばらく静かに楽しんでいるとノック音が響き、傷どころか汚れ一つないアッシュフィールド辺境伯が姿を現しました。
「ただいま戻りました……って、ちょっとラン! なんでチョコ出してるの!?」
「クロノア様が一番良いお菓子と仰いましたので」
「試作品だよ!?」
「私はこれ以上に美味しいお菓子を存じ上げません」
「えぇ……全国のパティシエさん泣いちゃうよ……」
何やら口論をしているようですが……年相応の表情をするアッシュフィールド辺境伯を見たのはこれが初めてかもしれませんね。こうして見ると、同じ歳の少女なのだな、と思えてきます。
しかし、一つ気になる言葉がありましたね。私の対面に座り、出された紅茶を飲む彼女に問うてみます。
「試作品、とは?」
「えっと……その、すみません、この茶色いお菓子……チョコレートというのですが、これはまだ開発途中なんです」
「もしや貴女自身で、ですか?」
「そうです。故郷――じゃない。えーっと……甘い物がどうしても食べたくなりまして、衝動的に」
おや……? 今、何かを誤魔化しましたね……?
けれどもそれは、横からアンナがおずおずと問いかけたことで流れていきます。
「口を挟んで申し訳ございません。辺境伯閣下、こちらのお菓子をどこかの商店に卸す予定はおありですか……?」
……気に入ったんですね、アンナ。私も気に入ったので、仕方のないことですが。
私も気になる質問に、アッシュフィールド辺境伯は首を小さく横に振ります。
「私としても皆が気軽に食べられるようにしたいところですが、いかんせん材料となる果実が魔の領域の奥地にありまして。供給源が実質私一人で、市場に流通させるには量が全然足りないんですよねぇ」
「えっ……魔の領域の……?」
魔の領域は非常に危険な場所なのですが……いえ、先ほど見た彼女の力があれば侵入も出来るのでしょう。
それよりも驚きなのが、材料となる果実が魔の領域産であること。主に武器防具用の魔物素材や鉱物なら流通していますが、場所が場所なだけに口に入れる物となると抵抗があります。数種類の魔物肉がやっと食べられ始めたという話は聞いていますが……その状態でどうして彼女はお菓子を作れると思ったのでしょうか……?
私の疑問を察したのか、アッシュフィールド辺境伯はスッと姿勢を正し、真っ直ぐに私を見つめます。……わずかに鼓動が跳ねたのは、何故でしょうか。
「改めて名乗りますね。私はアッシュフィールド辺境伯家の当主にして領主を務める、クロノア・ノクス・アッシュフィールドです。とはいえ家名はあまり慣れていないので、どうぞクロノアとか、クロとか、ご自由にお呼びください」
「――その名、は」
告げられた名前に、私とアンナがそろって息を呑みます。
それほどに重要なことであるのに、アッシュフィールド辺境伯――クロノア様自身は口元に指を立てるだけの軽い様相で。
「教会には内緒でお願いしますね。私はこの領地で手一杯ですので」
ノクス。創世神の次に格が高いとされる夜の女神の名前。
夜の女神に限らないことですが、神の名を添えて名乗ることが許されるのは、神の加護の持ち主のみ。僭称も神罰の対象となるので、彼女が名乗っている時点でやはりこれも事実。
人によって加護の大きさに差はあれど、どれも重要なことには変わらず。大小問わず加護を持っているだけで教会で聖人として高い地位を得られます。……代わりに義務も発生するので、内緒にしてほしいのはこのせいでしょう。
そういえば、代々の聖女も神の加護持ちだとか。今代の方はどの神の加護をいただいているのか聞き及んではいませんが。
「細かいことは追々お話するでしょうけれど、私の能力については大体これで説明が付くと思ってください」
……だとすれば、彼女の持つ加護は非常に大きなものとなります。私が知っただけでも転移魔法、空間収納魔法に強力な攻撃魔法、迅速な領地の改革、そして未知であるはずの魔の領域に対する知識まで持ち合わせていることになります。
世に知られたら教会だけでなく、王国中から引っ張りだこになることでしょう。
しかし特に危険なのが西の帝国。彼の国は夜の女神を認めておらず、魔物の主として邪神扱いをしています。その加護を持っているとなると……最悪、命を狙われるかもしれません。
他の神ならまだしも、夜の女神の加護を持っているなどと、どうして私に打ち明けたのでしょうか……?
「……何故、その話を私に? 私が不用意に誰かに漏らすとは考えなかったのですか?」
「ん? まぁこのことは国王陛下も宰相閣下もご存じですし……下手に隠しておかしな疑念を持たれて広まるよりは、さっさとバラして黙っててもらう方が得策かな、と」
それに、と続ける彼女の顔は……自嘲で満ちて。
そわりと何かが背中を走り、落ち着かなくなります。
「私が持っているのは、暴力とお金だけです。貴女を力で無理矢理従わせても意味がない。お金になびくとも思えない。私には他に差し出せるものが、誠意くらいしかないんですよ」
「私に……差し出す、もの……?」
「あ、あー……すみません、まだ説明していませんでしたよね」
頬をかく彼女の目から、先ほどの気配が消えていきました。自分がホッとしているのにも気付かぬまま、話に耳を傾けます。
「詳細を説明せぬままお連れして申し訳ございませんでした。そして重ねてもう一件、ステラ様に謝罪しなければならないことがございます」
何のことでしょう? と首を傾げる私に、思ってもみなかった事実が告げられます。
「本日の茶番――もとい、婚約破棄騒動ですが、事前に知っておきながら止めることが許されませんでした。ステラ様の名誉が傷付けられるのを黙って見ていたことを、お詫び申し上げます」
「えっ……」
「――」
呆気に取られる私ですが――私以上に動揺を見せたのがもう一人。
そうアンナです。顔を蒼白にし、『どういうことですか!?』と今にも叫び出しそうな視線を私に向けてきます。私が「ひとまずお話を聞きましょう」というと渋々ですが引いてくれたので助かりました。
「えぇと……知っていた、というのは?」
「言葉通りの意味です。私は国王陛下のご厚意で特別生として学院にたまに通っていたのですが……一月程前くらいからこそこそ計画していたのを偶然知りました」
「……そう、でしたか……。私は、浅はかながら当日突きつけられるまで知りませんでした……」
「んんー……あんのアホボン、上層部への対応がゴミなくせにステラ様に悟られない辺り、優秀なんだか愚鈍なんだか……!」
クロノア様は何とも返答に困ることを呟きながら顔を覆いました。
そう、ですね……ディオ王子殿下のあの場でのあの行動は愚かでしたが、決して頭が悪いというわけでは……いえ、それを悪いというのでしょうか……確かに判断に迷いますね……。
「止めることが許されなかった、というのはどういうことでしょうか?」
「私は『変な計画が立てられてますよー』と宰相閣下に手紙で相談したわけですよ。そうしたら『その件には触れないように。これは国王陛下の判断でもある』と返ってきましてね」
「……お父様、が……?」
お父様は大変厳しい方ですが、亡きお母様の分も含めて私に確かな愛情を注いでくださっていました。
そのお父様が、婚約破棄などという大事を知っていながら放置をしただけでなく、当人である私にも黙っていたのですか?
……ディオ王子殿下に婚約破棄を告げられた時よりも、裏切られたというような思いが強く感じられ……指先が震えてきてしまいました。
「……ラン。紅茶が冷えたから新しく淹れ直してくれる?」
「承知いたしました」
震えて俯く私を慮ってくださったのか、クロノア様はそのようなことを仰ってくださって。
淹れ直していただいた温かい紅茶を口に含むことで、やっと血の気が戻ってきたような感覚がしました。
何とか持ち直した私にクロノア様は小さく微笑んでから一つ息を吐き、続けてくださいます。
「えっとですね、どうやらそれは国王陛下からディオ王子殿下に対する課題であったみたいでして」
「……国王陛下が、ディオ王子殿下に……?」
「『思い直してステラ嬢との婚約破棄を中断すればまぁ良し』、『ステラ嬢と結婚することのメリットよりデメリットの方が大きいと周囲を納得させられればそれはそれで良し』、みたいな感じで」
……なる、ほど?
ディオ王子殿下の判断力を問う課題……といったところ、なのでしょうか?
私が納得の色を覗かせる反面、今度はクロノア様が、わなわなと震えだして。
「それをあろうことかあのアホボン、上層部への根回し一切なし! ステラ様にないことないこと冤罪を積み上げて! よりにもよって公衆の面前で! 王国内において最も理性で動くべき王族が感情だけを振り回して法を犯し! 赤点落第どころか退学まっしぐらコース!!」
怒りを見せるクロノア様のおかげか、私は一周回って頭が冷えてまいりました。
おそらくこれは……お父様から私への課題でもあったのでしょう。
いかにして私が計画に気付き、立ち回るか。
結果は、暢気にも全く気付かずただ流されるだけの大失敗に終わりましたが……。
「アホボンには何の沙汰が下されても自業自得として、盛大に巻き込まれたステラ様があまりにも不名誉! なので、事が起こるまで静観しているのと引き換えに証文をもぎとっておいて、可能な限り貴女の名誉回復が出来るよう大げさに行動させていただきましたが……私程度の無名貴族がやったところでどれだけの効果があったことやら……」
……あぁ、あの行動にはそのような意図もあったのですね。
女子学生には結構な効果があったと思いますよ、とは口の中で転がすだけに留めて。別のことを言葉にします。
「どうして、そこまでしてくださるのですか? 私とクロノア様の間に縁はなかったはずですが……」
「ん? それは前々からステラ様のことが欲しいと思ってたからですよ。王子殿下と婚約済みと聞いて諦めてましたが」
――――えっ。
それは……やっぱり。
そういうこと……なのでしょう、か?
柄にもなく頬に血が上り――
「色んな学生に声を掛けてみたんですけどねぇ。結構お高いお給料を提示しても私のことを胡散臭い目で見るか、辺境伯領は田舎だと嫌がるか、魔災を怖がるかで、だーれも乗ってくれなかったんですよねぇ」
――ん?
「途方に暮れて宰相閣下に誰か良い人材知りませんかー?って尋ねたら、ステラ様が推薦されたのはビックリしましたね。……ひょっとしたら、あの頃にはもう王子殿下に見切りを付けてたんですかねぇ……ありそうだなぁ……」
「……あの、申し訳ありません……何のお話でしょうか?」
「あ、こちらがステラ様への主目的です。領地への勧誘」
かんゆう。
すすめて、さそうこと。
りょうちへの。
…………。
――恥ずかしい!
わ、わた、私は一体、何て勘違いを……!
……いえ、私だけが悪いわけではない、はずです。紛らわしい言動をするクロノア様にも責任はあるはずです! 心なしか、ランさんとレンさんが呆れているような顔をしていますし!
思考が羞恥で乱れに乱れていましたが、また真面目に戻ったクロノア様に合わせ、私も必死に平静さを取り戻します。
「さて、ステラ様。この領主館に来て何かお気付きになられた点はございますか?」
「……大変部屋が散らかっておりますね」
「んー、もう一声お願いします」
他に、ですか……。私はここに着いてからのことを順繰りに思い出していきます。
若い門番さんたち、孤児院の子どもたち、そしてランさんとレンさん。
……あ。
「人が……いえ、大人が、異様に少ない……?」
領主館ともなればもっと多くの人が詰めているはず。それなのにここに通されるまで一人として大人を見かけませんでした。門番の方がたも精々が成人したての年頃でしょう。
私の回答に、クロノア様は眉尻を下げ、困ったように笑います。
「正解です。この領地は今、致命的に人材が不足しています。幼馴染ってだけで、専門知識を勉強してもいないのにランとレンにヘルプを頼むくらいには」
「……どうしてここまでの事態に陥ってしまったのですか?」
「んー……元々魔災の影響で慢性的に人手不足だったというのもあるのですが……決定的な引き金になったのは去年じーさま――前辺境伯家当主である養父様が亡くなったことでしょうか」
……そういえば、彼女は私のようなただの貴族令嬢とは異なり当主でした。
「常に魔災の危険に晒される辺境伯領の絶対的支柱であった養父様が亡くなって、養父様の実の息子も亡くなっており、家督を引き継いだのが私みたいな元平民の小娘。……絶望したんでしょうねぇ。多くの人が逃げてしまいました」
クロノア様は微かな笑みと諦念を浮かべながら、淡々と続けていきます。
「残った人も残った人で、大半は私のことを小娘と舐めてかかって。好き勝手やるだけならまだしも不正までする始末。防衛費に手を付けて懐に入れるとかマジで洒落にならんことをやったバカどもなんて首にせざるをえなく、最終的には十分の一くらいの人員まで減ってます」
よりにもよってそこに手を出す方が居たのですか……酷い話もあったものです。
「私と一緒に魔物討伐に行ったことのある軍部の人は結構残ってくれてるんですけどもねぇ。でも畑違いの仕事をやれるはずもなく、領地運営の方はガッタガタ……というかすでに破綻しています」
「えっ……」
「半年前なんて、『上半期の納税が出来てないぞ!』と王城の財務の人からガン詰めされてしまいました。あんまりないいようにイラっと来たりもしたのですが、未納なのは事実。私が稼いでいるのでお金がないわけじゃないんですが……領地内の税収が計算出来ない状態だったので納税額も算出出来ませんでした」
「それで……どうなったのでしょうか?」
私の疑問に、クロノア様は何故か良い笑顔になって。
「延滞料金込みで、前年の倍以上に相当する品物を物納したら黙って受け取ってくれましたよ」
「……具体的には」
「子爵級ドラゴンをまるっと十頭ほど。腹いせに――コホン。いやぁ、ドラゴン素材は貴重品ですからねぇ」
……今、何と?
さらりと語られた内容に私が反応出来ずにいると、横からレンさんの呆れた声がします。
「おまえ……あの時結構長い期間居ないと思ったらそんなことしてたのかよ……」
「倒すのは簡単だったんだけど、数が揃えられなくてねぇ。あいつらあんまり群れないんだよねぇ」
準男爵級ドラゴン一頭ですら先ほどのワイバーンの比にならないほどに強敵だというのに、その二階級上の子爵級が群れで行動してたら王国は滅びてます!
心の中で叫び声をあげる私に、クロノア様は更なる爆弾を投下してきます。
「あ、国王陛下には公爵級ドラゴンを献上しておきました。快く受け取ってくれましたよ」
「は――」
公爵級、ドラゴン……?
百年ほど前、たった一頭で王都を壊滅一歩手前に陥れたという災厄。
それを倒したと、こともなげに――
……国王陛下がこうもクロノア様に便宜を図り、宰相が私を推薦するわけです!!
彼女はたった一人で王国を潰せると宣言したようなものなのですから……!
いかに敵対せず、ご機嫌を取り、王国に益をもたらしてくれるよう誘導するか、国王陛下は気が気でないことでしょう……。
「まぁそれで乗り切ったとはいえ、どう考えてもよろしくないですよねぇ」
「……え、えぇ、そうですね」
ドラゴンを持ち込む、つまりそれだけの力があると脅すような行為はよろしくないという認識を持っていてくださって良かったです。
神紋契約を結ぶほどには国王陛下に配慮をしてくださっていますし、基本的には善良寄りなのでしょう。……彼女に不利益を齎した者が居たのにへそを曲げないでくださって本当に助かりました。
「なのでステラ様には家宰になっていただいて、ランとレンに教育をしつつ運営の立て直しと、落ち着いたら子どもたちの教育の方もしていただけないかと」
「子どもたちの教育……ですか?」
「はい。次代が育たないとどっちにしろ詰みますから。いずれは全領民に基礎教育と武術を修めてほしいと思っています」
全領民に――。
王都ですら平民の識字率は七割に留まっているのに、本気なのでしょうか?
……いえ、これは本気の目ですね。元平民でありながら教育を重視し、先のことまで見据えているのは珍しいことです。教育の重要性を知る貴族ですら『平民に教育など不要』などと嘯いている方すら居ますのに。
「自慢じゃないですが、私がいれば防衛は事足ります。付随してお金もどうとでも稼げます。けれど防衛に手一杯でなかなか運営にテコ入れが出来ず、その上教育にまで手を回すなんて土台無理です。だからといってこの不健全な状態で放置するわけにもいかず、私が居る間にどうしても整える必要があります」
「……そうしないと、クロノア様が居なくなっただけで辺境伯領は終わってしまうから……」
「ンフフ。同じ意見を持ってくださっているようで何よりです」
魔の領域に公爵級ドラゴンが棲息していたことを考えると、これまでアッシュフィールド辺境伯領が存続していたこと自体が偶然の賜物だったのでしょう。
しかしそこに現れたクロノア様という特級戦力。
彼女が存在していて比較的平和である間に領地の底上げをすることは理に適っていますし、王国全体の平和にも繋がります。
けれども……何故。
「何故……私だったのでしょう?」
「ん?」
「私は侯爵家に生まれただけ、学院の成績が良いだけの小娘です。国王陛下に奏上すれば、もっとよい、ベテランの人材を派遣してもらえたのではないですか?」
クロノア様のことを知れば知るほど彼女が重要人物だとわかります。
彼女の願いであれば、国王陛下も叶えると思うのですが……。
「私は他の貴族との伝手がありません。いくら国王陛下とはいえ、魔災の多いアッシュフィールド辺境伯領への派遣は早々に決められないでしょう。私を元平民の小娘だと侮らないでくれて、好きにやらせてくれるという条件も付けるとなおさらですね。ちょっと止められるだけで手遅れになることとかザラにありますんで、養父様みたいな大雑把――もとい豪放磊落な人じゃないと相性悪いんですよねぇ」
どうやらクロノア様の実績には、前辺境伯が彼女にしっかりと権限を渡したことにも要因があるようです。元平民の少女にそれを行うのは賭けでもあったでしょうに。結果的には英断でしたが、一体どれだけの貴族がそれを真似出来るのでしょうか……難しいですね。
「その点、貴女は宰相閣下により能力と性格が保証されています。現に私を辺境伯家当主として認めているような対応をしてくださっていますし、子どもたちの言動にも寛大でしたし」
「私は、お父様よりクロノア様の功績を知らされておりましたし……能力については……精々学院の物差しでしか……」
「知っているのと、そういうものと受け止められるのは別だと思いますよ。……プライドって厄介ですよねぇ」
貴族としての矜持と傲慢を履き違えている方が居るのは、私も存じ上げております。……ディオ王子殿下がその筆頭かもしれませんね。
「ところでステラ様。ここ最近、宰相閣下より何か課題とか出されていませんでしたか?」
「え? えぇ。それもお父様から聞いたのでしょうか? 領地の運営について色々と……――まさか」
「ンフフ。ステラ様のご意見は大いに活用させていただいております。すでに我が領は貴女のお世話になっているのですよ。ありがとうございます。とまぁ、実務でも全く問題ないと既に証明されています」
ディオ王子殿下が公爵位に降下した場合のシミュレーションかと思っていましたのに……お父様、本当に私に何も伝えてくださらなかったのですね……。
いえ、本日ディオ王子殿下に婚約破棄をいい渡されるまでは保留扱いだったのでしょうけれども、それにしたってもう少しやりようがあったのではないでしょうか……?
でも……クロノア様に能力が認められるというのは……嬉しいものですね。ふわりと、胸が温かくなります。
「そしてもう一つ、これが決め手なのですが、私の目には……何て説明しましょうかねぇ……人の悪意とか、そういうのが色で見えます」
「それもご加護のお力でしょうか?」
「そうですね。それでまぁ、学院で勉強する傍ら勧誘のため色んな学生を見て回ったのですが……貴女が、一番美しく見えました。貴族たちの悪意という暗闇の中で光る星、そんなものを幻想するくらいには」
――。
それ……は……なんて、過分な評価。
過分であるのですが……嬉しく思ってしまいます。今までかけられた、どんな誉め言葉よりも。
……だというのに、クロノア様は、ただの勧誘のつもりでこれをいっているのですよね……? 残念……そう、残念に思う、私が居るのです。
「こんな優秀なご令嬢を手放すなんて、ディオ王子殿下は本当に見る目がない。私が男だったらぜひお嫁さんに欲しかったですよ」
ソファの背もたれにぐたりと背を預け、大きく天井を仰ぐクロノア様。
そんな彼女の言葉で今度はチクリと胸が痛くなり……ほんの少しだけ、仕返しをしてやりたい気持ちが湧きあがってきます。逆恨みと言えばそうなのかもしれませんが。
「クロノア様。本日の件は、私にこの辺境伯領で働いてほしい、という要望なのですよね?」
「平たくいえばそうです。……どうでしょうか?」
息を詰め、身を乗り出すクロノア様に対し、私は頬に手を添えてわざとらしく大きな溜息を吐き。
「そうですか。……婚約破棄された直後に私をもらっていくだの必要だのと仰られるものですから、てっきり妻に望むものとばかり」
「ぶっふぉっ!?」
大きく吹き出し、明らかに動揺の表情を見せるクロノア様を見て、内心でほくそ笑みます。……私はこんなに意地が悪かったでしょうか。
クロノア様以外の三人もそれぞれ反応をしているようですが、ひとまず意識から締め出します。
「あ、あのっ、私こんな格好をしてますけど、女ですよっ?」
「もちろん存じております」
「え、えぇー……」
容姿端麗で騎士の恰好をしているので、好みによってはディオ王子殿下よりも王子だと思う方も居るかもしれませんね。別に私は彼女を男性のように思っているわけではありませんが。
あー、うー、と言葉にならないうめき声をあげ、両手で顔を覆うクロノア様。指の隙間からチラリとこちらを覗いてくるのが何だか可愛らしいですね。
「……ちなみに、王国法で同性婚の規制などは……?」
「されておりませんが、ここ十数年では聞きませんね」
「……ま、まぁそうですよね。貴族は血筋を大事にすると聞きますし――」
「代わりに、愛人という話なら山ほど聞きますが」
「あ、あいじ――」
ガチリと、クロノア様の動きが止まりました。
確かにからかう目的もありましたが……そんなに衝撃的な話だったでしょうか? あぁ、彼女は元平民だから馴染みがないのですね。平民で愛人を囲うのは大店の商店主くらいでしょうし。
彼女がいいかけていたように、貴族は血筋を重んじます。元平民でありながら養女になって当主になった彼女の出自が稀なのです。
子を成すために妻を持ち、側室も持つのは当たり前。それとは別に愛人を囲うのもよくあること。同性なら継承権問題も起きなくて楽という方も居るとかなんとか。
いずれはクロノア様も婿を迎え……とまで考えたら、何だか胸がざわめいてきました。
「えーっと……その、ステラ様は、私と……け、結婚するかも、と思って、あの場で私に応えてくださったのですか?」
「…………そうなりますね」
「ろ、ろくに話したこともない、相手なのに?」
「貴族の婚姻なんてそのようなものですよ」
「……あ、あいじん、にされる、かもしれなくても?」
「……王子殿下に婚約破棄を告げられるような女であれば、それも致し方ないかと――」
「申し訳ありませんでしたああああっ!!」
クロノア様は一瞬の間にソファから立ち、流れるように私の足元で土下座をしてきました。……こんなところも素早いですね。
「誤解を招くような紛らわしい言動をして、本当に、申し訳ありませんでした! その……私は結婚する気はないのです。もちろんステラ様に不満があるという話ではなく、誰が相手であっても、です」
「……え?」
結婚をする気がない?
戸惑う私を余所に、顔を上げたクロノア様の言葉は続けられ。
「貴女に迷惑を掛けておきながらいうことではないかもしれませんが、それでも……貴女の力が必要なのです」
熱を帯び。
「貴女の立場は保証します。貴女に不便がないよういくらでも便宜を図ります」
その黒瞳で真っ直ぐに、私を射抜いて。
「魔物が相手であっても、人が相手であっても、全力で貴女をお護りすると、私の受けし加護、夜の女神ノクスの名に懸けて誓います。だからどうか、力を、お貸しください……!」
「――」
…………。
……これは、私の感性がおかしいのでしょうか。
お断りされた直後なのに、求婚をされた気分です。
……まぁ、おかしくなっているのでしょうね。
「……一つ質問をよろしいでしょうか?」
「一つといわず、いくらでもお答えします」
「貴女は本来であれば責任を負う立場ではありませんでした。何故そこまで領地のために必死になれるのですか?」
権力は使用してもそれは領地のために必要だからであって、地位にしがみつきたいわけではないでしょう。特級ハンターでもありますし、辺境伯家のお金が欲しいというわけでもないでしょう。名誉もあまり欲しそうに見えません。
クロノア様の意志の源泉は何なのか。
ただそれを知りたかっただけなのですが――
ストンと。
クロノア様の目から色が失われ、別人のようにすら感じ。
ぞくりと、脳内で警報が鳴り出しました。
彼女は乾ききった笑みを浮かべ、打って変わって寒さすら覚える声で。
それは……あたかも呪うかのような。
「私は……両親を失いました」
呪う?
誰が、何を?
「姉のように慕っていた人を、弟のように可愛がっていた子を、失いました。養父様を、失いました」
彼女が、彼女自身を。
「私は、領民を守りたいとか、そんな前向きで崇高な目的じゃなくて……ただこれ以上、見知った誰かを失いたくないだけです」
剣ではなく盾。好むと好まざると、彼女は、その道を選んだ。
それは次第にひび割れて、傷を負い、体中から血を流し。
静かに、壊れていく――
――……そのようなこと、許せるはずがありません。
クロノア様は、私を掬いあげてくださいました。
たとえ冤罪であろうと、貴族令嬢が婚約破棄された挙句に投獄などされたら、未来はほぼ潰えたようなものです。
ですから私も……借りを、お返ししましょう。
「わかりました。未熟な身ではございますが、私、ステラ・シルバーレインは、貴女のために尽くしましょう」
「――……っ」
クロノア様は、ゆっくりと目を見開き。
「ありがとうございます!」と大げさなまでに喜び、私の手を握ってきます。
私は逃がさないようガシリと手を握り返して。
「ところで、先ほどいくらでも便宜を図ると仰ってくださいましたよね」
「はい! なんなりと!」
わざとらしいまでの笑顔で。
「では、貴女と私で婚約をしましょうか」
「…………………………えっ」
私の提案にクロノア様がピシリと石化したかのように固まりました。
……私に不満はないと仰っていましたのにそこまで嫌がらなくても、と拗ねたくもなりましたが、こちらが無理をいっている自覚はあるのでしまい込みます。
「メリットとして第一に、お父様――シルバーレイン侯爵家からの支援が受けやすくなります。人材はすぐには無理でも、知恵をお借りすることは出来るでしょう」
「……た、たしかに」
小さくですが頷いてはくださいました。
どことなく間抜けな顔なのに、可愛らしいと思ってしまった私はもう手遅れなのでしょう。
「第二に、貴女の隣に立ち、支えるのに、その立場が必要だからです」
「……で、ですから、領主の次に権限が強い家宰として――」
「いいえ、それでは足りません」
ぐいっと顔を近付け、彼女の瞳をのぞき込みます。
先ほどの濁りは抜けて、戸惑いに揺れる黒。
パーティホールで初めて視線を合わせたあの時……私は、そこに夜空を見たのです。
闇であって闇ではない、深く美しい、澄んだ夜空を。
それを損なうようなことは、絶対に避けたいのです。
「貴女が暴走しそうになった時、引っ叩いてでも止められるように。貴女が失意に崩れ落ちそうな時、慰め甘やかして差し上げられるように」
「…………前者はともかく、後者は何……?」
「あら、それが一番重要な点でございますわよ?」
「……えぇー……?」
心底わからなさそうな声。
……本当にこの人は、自分がどのような状態なのかわかっていないのでしょうか。
本日話したばかりの私がどうにかして差し上げたいと思うのは烏滸がましいのでしょうけれども、それでも、手を伸ばしたいと思ってしまったのです。
私が彼女の力に怯えている場合なんかではありません。誰かの死に深く怯える彼女の気持ちを、少しでも和らげたいのです。
「私が嫁に欲しかったのでしょう? 何か問題がございますか?」
「そ、それはたとえであって……その、こ、子どもとか出来ませんよ……?」
「結婚する気がないと仰っていた貴女がそこを気にするのですか?」
「うぐ。え、えっとお……宰相閣下が何というか……」
「お父様であれば、貴女との縁を深くすることを最重要視するので喜ぶでしょうね」
むしろお父様はここまで狙って私を推薦した可能性すらあります。
私への愛情はあっても、それと同じかそれ以上に王国を大事にしているものですから。
夜の女神の加護持ちであり、災厄を下せるほどの戦力を持つクロノア様を、辺境伯領に、王国に紐づかせるためなら、それくらいはするでしょう。
「そ、それに、婚約破棄された直後に婚約とか……外聞が悪かったり、しませんか?」
「お守りしてくださるのでしょう?」
「……いいましたね……」
しばらく口元をもにゅもにゅと動かし眉間にしわを寄せていたクロノア様ですが、大きく肩を落とし。
やんわりと、私の手を振りほどきます。
「……少し席を外します。ラン、レン、お相手をよろしく」
そう呟いてまた転移魔法でどこかへ行ってしまわれました。
これはどういった反応なのか、判断に迷い落ち着かない私に、横からげらげらと笑い声が届きます。
「うひゃひゃひゃひゃ! クロがあんな風に慌てるとこ、めっちゃ久々に見た!!」
「……そう、ねっ……」
何かをこらえているように口元を覆うランさんと、おなかを抱えて盛大に笑うレンさんです。
そして今更になって頭から締め出していたことを思い出すのです。この場にはこのお二人とアンナが居たことに。恐る恐るアンナに視線をやってみれば、彼女は眉間を押さえていましたが……私の行動を諫めることはしませんでした。小言の一つや二ついってやりたいけど、クロノア様の重要性を察し我慢しているような顔ですが。
居たたまれなさにしばらく肩をすくめていましたが、落ち着いた頃合いにお声がけします。
「あの……ランさんとレンさんは反対されないのですか……? 私、余計なこととかしませんでしたか……?」
行動に後悔はしていませんが、クロノア様は結婚する気はないと仰っていましたし、もしこれが彼女を傷付けるようなことであれば話は別です。
彼女のことをよく知っているであろうお二人につい尋ねてみれば、そろってきょとんとしてきます。似てないようで似ているのですね、この双子。
「いや、婚約には驚きましたけど、いいんじゃないっすかねー。……俺たちじゃ無理なことなんで」
「……無理、とは?」
「シルバーレイン様。現在この辺境伯領には三種類の人が居ます」
脈絡のなさそうに聞こえるランさんの話に、私は首を傾げることしか出来ませんでした。
「一つ目は、クロノア様を侮るタイプ。これは前領主様に心酔していたご年配と、根拠のない自信に溢れている新人ハンターに多いです」
「年寄りたちはともかく、新人ハンターが早々に死なねぇように手厚い支援もしてるのに報われないったらありゃしねぇ」
「二つ目は、クロノア様の力に心酔するタイプ。三つ目は……逆に力の強さのあまりに恐れるタイプです」
「俺たち、っていうか現在この領主館で働いてるやつらはほぼ二つ目っすねー」
ランさんとレンさんは、苦悩に満ちた顔へと変化させて。
「私たちが今生きているのは、全部クロノア様の努力の賜物です。私たちを守るために率先して魔物討伐に向かい、お金を稼ぎ、また生きるのに必要な知識も教授してくださいました」
「だからこそ……俺たちはアイツを神様みたいなもんだと崇めているし、対等には立てないんすわ。ガキの頃から一緒に育って、俺たち三兄妹のことを家族みたいなもんと思ってくれてるアイツにそれいったら泣きそうな顔されるけど。意外と繊細なんで」
なるほど……。クロノア様はお二人に気安く接していましたが、お二人は内心ではそうもいかない、と。
その意識のズレは……少し、寂しいお話ですね。
「アイツに頼られる能力の持ち主ってだけでも十分なんですが……下につくんじゃなくて横に立とうといってくれたのはお嬢さんが初めてなんすわ。だから……どうかクロのことをお願いします」
「でも……私はポッと出の大して親しくもない間柄ですよ……?」
「クロノア様が貴女様を評価しているという点もありますが……ポッと出で大して親しくもない間柄でありながら、身を挺してクロノア様を支えようとする姿勢を見せられれば、信用もいたします」
「そ、そう、ですか……」
どうやら私はお二人の信用もいくらか得られたようです。
そうしてポツポツとお話をしている間にクロノア様がお戻りになりました。表情は困っているわけではなさそうですが、どこか緊張しているようにも見えます。
握っていた――取ってきたのでしょう――物を私に差し出してきます。イヤーカフ、ですね。彼女の耳に装着されている物と同じデザインです。
「これは支給品です。魔力を込めて呼びかけてくだされば私に通じますので、何かあったらお呼びください。慣れれば他の所にも繋げられますが、それは追々で」
手に取ってみれば、何の変哲もないアクセサリのように見えます。私はそこまで魔道具には詳しくないこともあり、どうすればここまで小型サイズになるのかサッパリです。
「そしてもう一つ。……まぁこれも支給品の一つで、他の人には腕輪型のを渡しているのですが……ステラ様にはこの形でお渡しするべきかな、と」
やや固い声と共に見せられたそれは……指輪、でした。
シルバーに、ところどころ黒いラインがあしらわれただけのシンプルなデザイン。これはもしや、私の髪色と彼女の髪色を使用している……ということでしょうか。
「……宰相閣下にお話しを通すまでは仮ですが、婚約指輪、的な。大きな衝撃から十回ほど身を守ってくれる防御機能が付いています。これが作動するようなことがあれば、イヤーカフですぐに呼んでください」
「――」
婚約、指輪。
……であるならば、つまり。
了承していただけた……ということ、なのですよね?
しかし何故この場でこのような物が……あらかじめ準備していたわけでもないでしょうに。
「あぁ、これなら今作ってきました。素材なら色々倉庫にありますので」
――今!?
魔道具ってそのように簡単に作れるものではないですよね!?
……本当に、クロノア様には驚かされてばかりです。
「ステラ様」
クロノア様が恭しく私に向かって跪いてきます。
私はこくりと息を飲んで、震えを抑えながら右手を差し出すと、壊れ物を扱うかのように丁寧に握ってくださいました。
「貴女を愛……せるかどうかは、現時点では断言出来ず申し訳ないのですが」
貴族間の婚姻においては愛のないものだっていくらでもありますのに、律儀なことです。余計な一言に聞こえるかもしれませんが、彼女なりの誠意なのでしょう。
そっと薬指に指輪を通し。
「これだけはお約束しましょう。貴女を不幸にしないと。ここに来てよかったと心の底から思っていただけるよう、貴女を幸せにするための努力は惜しみません」
手の甲に口づけを。
「私の、希望の星となってくださることに、心よりの感謝と親愛を捧げます」
――これは、私と彼女が『家族』になる物語。
※ノクスは前作と関係ありません。
ステラ視点で書いておりますが、この作品は元はクロノアが主人公です。
最強系異世界転生主人公。だけど欠落あり。
欠落少女が懸命な少女に癒される、そんなゆるい百合なお話。多分。
この短編の評価がある程度得られるようなら長編版を書こうと思っています。
ですので、「気になる!」「読んでみたい!」という方はぜひブクマと星を入れていただければと。
よろしくお願いいたします。




