第7話「はじめての依頼、そして一歩」
クエストウィンドウは、静かに沈黙していた。
(……昨日の掃除ミッションみたいなのが、毎日発生してくれれば助かるんだけどな)
街のどこかにランダムで発生するサブイベント――
それはこの世界での“自然発生型クエスト”だった。
けれど、それはあまりにも自然すぎて、ときどき本当に混乱する。
NPCが声をかけてきて、頼みごとをして、ちゃんと報酬が出る――
(あれが「クエスト」だって気づかずに断ったら、普通にただの雑談だと思っちゃいそうだよな……)
便利だけど、ちょっと怖い。
この世界は、ゲームのようでいて、あまりに“現実”すぎる。
(やっぱり、ちゃんと依頼を受けて、生きていかなきゃ……)
ユウは、すでに手元にある【ギルドカード】を見つめた。
ランクはF。装備は薄手の灰青色ローブ――袖口には羽ペンと本を模した刺繍がある。
【装備情報:写本士のローブ】
・筆記動作補正+3%
・インク汚れ耐性あり
・目立たない/地味属性判定+10
(……なんなんだよ、この“地味属性+10”って。
役に立つのか? ていうか、そんな判定いる? どういう計算式で反映されてんの……)
思わず、画面に向かって心の中でツッコんでしまう。
(目立ちたくないやつにとっては便利……とか? ……いや、便利なのか?)
インベントリには古布とパンのかけら、そして、昨日までに得た掃除報酬などで、どうにか銅貨7枚。
(いよいよ、初依頼に挑まなきゃいけない)
***
ギルドに入ると、朝の活気に包まれていた。
依頼掲示板には、所狭しと紙が貼られている。
近づいて内容を確認してみると――
《護衛:商隊街道往復》【推奨:戦士/前衛】
報酬:銀貨8枚(往復2日)
ランク:D以上、装備必須、2名以上で可
《回復補助:療養所手伝い》【推奨:回復術士】
報酬:銀貨4枚+食事支給
ランク:E~D、癒し系魔法スキル所持者限定
(……やっぱり、俺には無理そうなやつばっかりだな)
その中で、ようやく見つけた“Fランク・一般職向け”の一角。
《文書の仕分け手伝い》《魔術道具の運搬補助》《古書店への代筆使い》
(……このへんか。写本士らしいといえば、らしい)
内容を確認し、最も地味な「古書店への代筆使い」にチェックを入れる。
【UI:依頼受注】
【目的:マルベルト古書店にて、商品台帳の手書き写し】
【拘束時間:約3時間/報酬:銅貨10枚】
(……地味だけど、生活できるだけありがたい)
***
「古書店? ああ、こっちの路地を抜けた先だよ」
街の子どもが教えてくれたその先には、古びた木造の店があった。
「おや、新入りさんかい。字、ちゃんと書けるのか?」
出迎えたのは、ひげ面の老人・マルベルト店主。
「はい、一応“写本士”なので……」
「ほぉ……最近見ない職だな。じゃあ、この台帳をこのまま新しい紙に写してくれ」
黄ばんだ帳簿とインク瓶が置かれる。
(……これ、手が震えるくらい、ボロいな……)
***
【スキル使用:写本 Lv1】
【判定成功:読解90%/筆運び安定補正+】
【進行状況:64%……72%……90%……完了】
「おお、丁寧な字だ。老眼でも読めるのはありがたい」
「ありがとうございます……!」
【報酬:銅貨+10】
【信用度:古書店+1】
(……銅貨10枚。たぶん、現代日本で言えば千円くらい。3時間働いて、それか……)
(やっぱり地味職はキツいな……けど、何もないよりずっとマシだ)
***
ギルドに戻ると、受付のアリシアが声をかけてくれた。
「おかえりなさい。初依頼、どうでしたか?」
「無事に終わりました。思ったより手が震えましたけど……」
「ふふ。けれど、その手があなたの武器ですから。よくがんばりましたね」
そう言って笑ったアリシアの顔が、ほんの少し柔らかく見えた。
【称号:はじめての依頼達成】
【報酬記録:+10銅貨】
【現在所持金:銅貨17】
財布に確かな重みが戻る。
(少しだけ、前に進めた気がする)
***
帰り道、ギルドの前で、紫髪の少女に声をかけられた。
「写本士……だよね? 簡単な整理だけでいいから、少しだけ手伝ってもらえない?」
「え、あ……はい。大丈夫です」
少女はそっけなかったが、どこか急いでいた。
ユウは、簡単な文書整理とラベル張りを手伝い、数枚の手紙を“読める形”に戻しただけだった。
報酬は銅貨2枚。ほんの30分ほどの作業。
だが、別れ際、少女がふっと口元を緩めたのが妙に印象に残った。
(あの人、魔導学院の人……だったっけ?)
その小さな出来事が、明日へとつながる“きっかけ”になるとは、まだこの時は知らなかった。