第2話「焼きたてパンと、街の香り」
第2話「焼きたてパンと、街の香り」
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――昨日、突然この世界に転移してきた。
目が覚めたら、ゲームそっくりの街並みに放り出されていて。
浮かぶUI、消せないウィンドウ、見慣れた通り、でも“何かが違う”。
(……現実? 夢? それとも、バグ?)
宿にたどり着いたあとも、どうしても落ち着かず、
昨夜は毛布にくるまりながら、ずっと答えを探していた。
ログアウトはできない。GMコールもない。
スマホもないし、電源もWi-Fiもない。
結局、考えるだけ考えて――疲れ果てて、気づけば眠っていた。
* * *
雑居宿の薄暗い天井を見上げながら、
俺はようやく「朝が来た」ことを受け入れる。
(……眠ったのか。ちゃんと、ここで)
妙にリアルな朝の光と、遠くから聞こえる鐘の音。
春らしい空気が、窓のすき間からふわりと入ってきた。
お腹が、ぐぅと鳴る。
(……そうだ、パン屋)
ゲーム内でもよく行っていた、焼きたてパンの屋台――
店の名前は確か《リトルホープ》。
何度も“アイテム”を買った場所。あそこなら、きっと……
石畳の通りを歩きながら、思い出だけを頼りに店を探す。
そして角を曲がると、見覚えのある木枠の建物が目に入った。
――キィン。
ドアベルが、懐かしい音で鳴った。
「いらっしゃ――あれ、見ない顔!」
店内に入った瞬間、焼きたてパンの香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
奥の石窯からは湯気が立ち上っていて、小麦の香りに包まれていた。
「あ、えっと……」
言葉に詰まる俺をじっと見つめていたのは、
栗色ツインテールの少女。元気で明るそうな笑顔を向けてくる。
(ミーナ……! ゲームで何度も話しかけたNPCだ)
でも、今の彼女は“NPC”なんかじゃなかった。
声に温かみがあって、瞳がちゃんと動いて、息遣いまで聞こえる。
「旅の人? お腹、空いてる顔だね! ほらっ」
ミーナは、トングでふわっとした丸パンをひとつつかみ、俺に差し出してきた。
「焼きたてだよ! 味見してみなよ。うちのパンは、王都でも五本の指に入るから!」
「え……いいの?」
「初めてのお客さんには、一個サービスなの!」
(……そんな設定あったか?)
でも、そんなのどうでもよかった。
俺はおそるおそるパンを受け取って、ひとくち――
――カリッ、もちっ。
(……う、うまっ!?)
中はほんのり甘くて、外はサクッと香ばしい。
思わず目を見開く。
【アイテム:焼きたてパン ×1 を獲得しました】
【インベントリ:1/∞】
「……あれ? パン、どこ行ったの?」
「え? あ……いや、その、俺、袋あるから!」
あわててごまかす。
ミーナは小首をかしげたが、すぐににっこり笑った。
「ふーん、変わってるね。でもいいや。三個で銅貨六枚だけど、買ってく?」
(……やっぱりこのセリフ、聞いたことある。でも、表情が全然違う)
「じゃあ、三個ください」
【所持金:銅貨10 → 銅貨4】
【インベントリ:焼きたてパン ×3】
「はいっ! 三個ね。これで今日の朝はバッチリだね!」
紙袋を差し出しながら、ミーナが小声で言った。
「ねえ、お兄さん。……あんまり無理しないでね」
「……え?」
「うちのお父さんもね、昔、急に町に来たの。すっごく不安そうな顔しててさ。
でもパン食べたら、ちょっと元気になって……」
「……そうなんだ」
「だから、パンって――ちょっとだけ、人を救うんだよ!」
そう言って、彼女は笑った。
その笑顔に、俺は思わず目を細めてしまう。
(……本当に、NPCじゃないみたいだ)
パンをひとつ、袋から取り出してかじりながら、
俺は静かに店を後にした。
石畳の通りには朝の光が差し、街の喧騒が始まっていた。
そして、視界の隅には変わらず青白いウィンドウが浮かぶ。
【インベントリ:焼きたてパン ×3】
【所持金:銅貨4枚】
【クエストログ:なし】
(……こんなに普通なのに、どこか違う)
でも――
今は少しだけ、この“普通”に救われた気がした。
パンのあたたかさと、少女の優しさが、
昨日までの不安を、ほんの少しだけ和らげてくれる。
――異世界二日目。
俺はようやく、この世界で「朝」を迎えた。