家の短編 悪縁の片付け
会社の喫煙室の前を通り掛かる。
磨りガラスの向こうに、ヒョロガリとでっぷり太ったシルエットが見えた。
「──ちょうど良いか。」
俺は、ドアに手を掛ける。
──────────
ガチャッ…
「ん…?」
「お? 日高…?」
俺を見た2人が目を丸くする。
「よう、月島、星野。今いいか?」
立ったまま壁に寄りかかって電子タバコを握りしめているのは、ヒョロガリの月島。見た目通りに神経質な奴だ。
どっかりと座って紙タバコを咥えているのが、巨漢の星野。ある意味、体型通りに大雑把な奴。
「何か用か…?」
「お前がここに来るなんて珍しいな。」
2人とは同期なんだが、部署も違うし最近はバタバタしていたから顔を合わせる機会が無かった。
「いやな? 2人に頼み事って言うか、相談が有るんだけどよ。
──幽霊屋敷に興味は無いか?」
──────────
「ほ~ん? 案外立派じゃねぇか。」
星野が目の前の「家」を見上げて呟く。
ガレージ付き、2階建ての一軒家だ。
「だろ? 築年数は50年を超えてるが、何度かリフォームしてるからな。中も外も割りとマシだ。」
「本当に出るのか…? 非科学存在が…。」
家の塀や壁面を執拗に観察しながら、疑いの声色でこちらを睨む月島。
「だから、それを確かめてほしいんだって。」
この「家」は、俺の母の実家にあたる。
祖父母が共に病気やらで死に、1年ほど前からは無人だ。
そのはずなのだが、何故かこの建物内に「人影を見た。」と言う噂が怪奇現象として近隣地域に流されまくっているのだ。中には「周囲の空気が淀んで、気分が悪い。」なんて陰口も言われている。
その上、「知らない男が自宅の庭に居た。」「見知らぬ老婆が怒鳴り込んできた。」「夜中に不気味な声が聞こえて警察を呼んだが、怪しい人物は発見できなかった。」等など、近所で奇怪な出来事が多発しているらしく、そんな因果関係が不明な話までこの家のせいにされている始末。
「警察にも相談したけど、この近所から被害届けなんかは実際出てないらしいんだよ。だから、多分ただの噂話なんだ。」
「質悪い話だな~。」
「どうだかな?」
「大方、爺さんか婆さんかが近所の誰かと揉めたことでもあるんじゃないか?
まあ両方とももう居ないんだし、この家をとっとと人手に渡して終わりにしたいんだ。
こっちで調査して、何もおかしなところは無いって分かれば、不動産屋に売却手続きをしてもらえるから。」
星野がだるだるの顎を撫でながら、にんまりとこっちを見る。
「で。本当に、欲しい物が有ったらくれんだよな?」
「ああ。調査の礼代わりに、な。
とは言え、大した物が残ってるか怪しいけど。」
「炊飯器とか有れば良いよ~。」
「婆さんが晩年に1人用のやつを買ったとかって聞いたから、小さいのは多分有ったはずだ。」
「6合炊きくらいのが良いな~。」小腹が空いた時用に…
「それは1人用じゃない。」
「ま、メインは異常の確認。問題無さそうなら、簡単な掃除とかゴミ出しを頼む。そこの戸棚に道具が入ってる。今は車も置いてないから、まとめたゴミはガレージに。
欲しい物は後で直接伝えてくれ。まとめて郵送させるから。」
俺はそう言いながら預かっていた鍵を取り出し、玄関のドアを解錠する。
──────────
ガチャッ…
「おい、星野…。いきなり菓子を食ってんじゃねぇよ…。」
「いい、じゃんか。ポ○チに、罪は…、ねぇ。」パリパリもぐもぐ…
玄関脇の部屋の中、様子を見に来てみれば星野が棚から見つけらしきスナック菓子を貪り食っていた。
よくこんな埃っぽい空間で、ものが食えるな…。
「爺さん婆さんがいつ買い置いたのかも分かんねぇんだぞ…。腹壊すぞ…。」
「賞味、期限、大丈、ぶ、だた。」もぐもぐパリパリ…
「そうかよ…。」
消費期限じゃないから平気~、とか普通に言いそうだな。
まあ、いい。本人の意思だ。放置しとこう。
「異常は無さそうだな。
食い終わったら、適当に頼むぞ。」
「へ~い。」ジジッ! すぱ~…
タバコは外で吸えよ…。いやまあ、爺さんも喫煙者だったから、既にヤニ臭い部屋だしいいか。
──────────
スゥゥー…
「月島、調子はどうだ?」
「…、特に…。」スッ…
2階の一室、襖を開けた向こうに月島が立っていた。
衣装棚の前で、窓の方を見ている。
「こんな所で何してたんだ?」
「鍵だ。窓の施錠を確かめてた。
玄関はもちろん、裏の勝手口も、1階の窓も、2階のベランダも全て内側から鍵が掛かってた。つまり誰かが空き家に住みついた訳じゃない。やっぱりお前が下見に来た時の姿を見間違えたんじゃないか?」
なかなか真面目に考えてくれていた様だ。
「中に入ったのも数えるほどだし、冷蔵庫とかトイレを確認して、窓を開けて換気したくらいだ。近所の人を見掛けたら挨拶はしてたし、それを『見知らぬ人影』なんて言う訳なくねぇ?」
「知るか。
それより廊下の奥、鍵が掛かった部屋が有ったぞ。」
「ああ、あそこ? 物置にしてた部屋らしいんだけど、開かないんだよな。でも鍵は持ってないんだよ。母さんも知らないって言うし、婆さん達も普段は鍵なんか掛けてなかったみたいなんだよな。」
「は? なら、確実にそこに何か有るだろ。」
「大方、地震とかで中の物がドアの内側に倒れたとかじゃねぇか? 新聞とか古着とかを詰め込みまくってたらしいし。」
「…、誰かが潜んでる訳も無い、か。」静かだしな…
「星野に体当たりでもさせてブチ破るか?」にんまり…
「…、時間の無駄だな。」無表情計算…
そうそう。金目の物も無いしな。
さて、と。目的も達したことだし…。
「星野と合流して引き上げようぜ。
話してた通り、この後は『我が家』に案内するよ。」
──────────
ガチャッ… ギイィィ…
「──ただいま、母さん。
約束通り、2人、連れてきたよ。」
「…、」ぺこ…
リビングに入ると、それはそれは豪勢な見た目の料理が、テーブルの上に並んでいた。
キッチンに静かに佇む母さんが、無言で小さく頭を下げる。随分と張り切ったのか、内装も小綺麗で整って見えた。
「お…、お? おおぉ!? すげぇ料理だな、日高! カレーに、唐揚げ! ラーメンまで有るじゃん!?」
「…、は? ラーメン? どこにそんな物が──」
「おばさん、いただきまーす!!」ドッカリ! ガツガツばくばく!!
「あ…? おい、星野…?」
「まあまあ、座れよ月島。星野も疲れてテンションがおかしいだけだろ。俺らも食おうぜ。」
「…、そうだな。」
「うめ…、うめ…! うめ…。」
「がっつき過ぎだろ…。」
星野の勢いに月島がドン引きしている。昼間に菓子を1袋食ったってのに、とんでもないな。
「まあ、母さんは料理の腕だけは良いからな。婆さんに厳しく仕込まれたらしいぜ?」
「…、ああ、確かにこの刺し身は旨い。包丁も良い物を使ってる。俺の実家の味を思い出──おい。お前の母親、どこ行った?」
「ん?」
キッチンの方を振り返ると、母さんはどこにも居なかった。
「部屋に戻ったんじゃね?」
「は? 自分の飯は?」
「母さん、無口で静かなのが好きだからな~。部屋で食うんじゃないか?」
「いや、それは流石に…。」
「あ~、気にしなくていいよ。久々に手料理を振る舞えるって張り切ってたからさ、2人の様子を見て満足したんだろ。
母さん、爺さん婆さんが死んでから引きこもりに拍車が掛かってて。ご近所付き合いも全部、息子の俺任せなんだぜ?」
「…、アレだな、それは。」
「ああ。変人だな。」
──────────
──………ぁぁ…、がぁ、ぁぁぁ………、どぷん…。
よし、これで1人完了っと。あとは…、
「ん…?」びくっ…
「なんだ、月島。起きちまったのか?」
「日高…? ここは…、」
「ああ、『我が家』のリビングだよ。」
「俺は、何を…?」
「飯を食ったら意識を失ってたんだよ。大方、『ここ』の調査で疲労したんだろ。」
「な、なにを言って──
ほ、星野っ、星野はどこだ!?」
弾かれた様に立ち上がって、俺から距離を取る月島。
頼れる仲間を探して、周囲に素早く目を向ける。テーブルの上に、奴のタバコの箱が置いてあるだけだ。
「もうここには居ない。安心しろ、直に会えるから。」
「あい、つに何を、した…?」
「『俺』は何も。ただあいつ、飯を食う前に、菓子を食ってたからな。『取り込まれる』のが早かったんだろ。『ヨモツヘグイ』ってやつだ。」
「よも…? いや、取り込まれるって何だ!? 何の話だ…!?」
「月島。ダメだろ、お前。オカルトを調べに『ここ』に来ておいて、予習を怠るなんて。入社当時だったら参考書を片っ端から読み漁る、熱心な奴だったのになぁ。悲しいよ、俺は。」
「だから何の話だって!!」
今にも掴み掛かってきそうな月島を見つめながら、俺は淡々と解説をしてやる。
「ヨモツヘグイ、ってのは、あの世の食べ物を食べたら、あの世に囚われて帰れなくなる日本の昔話だよ。
よーするに、星野は食い意地が張ってたから、豚を通り越して死人になったんだ。」
「お、お前、おまえは、何を…、」
顔面蒼白になった月島が、怯えた様に後退る。
「た、頼む…、み、見逃して、くれ…!!」
「おいおい。状況を理解できねぇまま謝るのかよ。情けねぇなぁ。それでも『とことん追及メガネ』月島か?」
「ゆる、許してくれ…、俺は何もしてない──!」
「──デジタルフォトフレーム。」
「」ビクッ!?
「お前、2階に置いてあったあれを盗んどいて、よくもまあ『何もしてない』なんて言えるよな?」
「悪かった!! 返す!!」
欲しい物は譲るって言ってんのに、わざわざ盗むんだもんな。色々と終わっている。
月島が、隠し持っていた写真立てを懐から出しテーブルの上に放った。
カシャッ… バギンッ!!
天板に触れた瞬間、デジタルフォトフレームはバラバラに砕け散る。
「はあ…!? なんで…!?」
「あ~あ。割れちまった~。」
「わるっ、悪かった! 弁償! 必ず弁償する…!!」
「あぁ、気にすんな。それな? 母さんが食っちまって『存在』がボロボロだったんだよ。」
「…っ、訳分かんねぇよぉ…!」
俺を見てぐしゃぐしゃに顔を歪ませる月島。子供の泣きべそギリ手前、って感じだな。
「ん~…? まあ、お前との仲だし解説してやってもいいけど、『刻限』みたいだな~。」
ズズズズズ………
天井から、黒く長い髪の毛の束が垂れ下がり、真下に居る月島に絡みついていく。
「や、やめっ、なんっ、これ、ぎぃ…っ!?」
「まあ~、あれだ月島。最期に言っとくとな?」
「があ…!? ぁ…っ!?」
「──半年前。『俺』が、絶望して精神をヤッてたことをお前が察した時、無視したのが、この結末の根本原因だ。」
「………ぁ…………。」
脱力した月島の身体は、黒い髪に巻き取られ天井の向こうの闇へと、ゆっくり呑み込まれていった。
「あばよ、ヒョロガリ。
さて…。
まずは片付けるか~。」
俺は、テーブルの上に並べられた料理の残骸──蛆虫が湧いている、赤黒く変色した肉片ども──を、埃まみれの皿ごと、電源の入っていない冷蔵庫の中へと仕舞っていった。
──────────
ガチャ… キイイィィィィィ………
「母さん、『食事』終わった~?」
2階の廊下の一番奥。
ドア開けると、天井からぶら下がった「母さん」がお出迎えしてくれる。長い黒髪が、天井や壁やらを這い広がりなんとも不潔な空間だ。
母さんは、腕をだらりと下ろしたまま、ゆっくりと左右に揺れている。
ギィ… ギィ…
「あ、そう。んなこと言われても知らねぇよ。母さんが『弱い』から、こんなクズどもしか呼び込めねぇんだろ? 月島はともかく、星野は食いでは有っただろうに。」
ギィ…! ギィ…!
「あ~うっせうっせ。あんたの怨念のひねくれ具合を、息子のせいにすんなよ。
俺が居なくなったことに気づきもしない会社の連中を、半年掛けてようやく引きずり込んだんだ。母親ならむしろ褒めろよ。」
ギィ!! ギィ!ギィ!!
「知るか。あの親父の血筋だからって、俺を呪い殺したあげく。地縛霊の息子だからって、好き勝手に使役しやがって。
近所の噂ババアとか裏手の暴走族のガキを食ったんだから、そこで満足してろっての。」
ギイィィッ… ギィイィイィ~…
「めんどくせ~…。その首吊りロープの軋み音、聞きとるの疲れんだよ。いい加減、喋れよ。」
ギイィイィイィ~~~!!
「今度は癇癪泣きかよ…。
もういいや、俺はしばらく『休む』からな。」
暴れまわる髪と影を躱し、部屋を出て扉を閉める。
階段を下りながら、盛大に溜め息を吐いた。
「なんで、ブラック企業から解放されたのに、もっとブラックなことをさせられてるんだかな…。」
ボク、イイコ。ママ ノ イイツケ、マモル ヨ…。