[最終話] 殺しが静かにやってくる _Il Grande Silenzio_
ザッ ザギュッ ザュッ ザッ...
俺らは駅の改札口を出てひたすら北東を歩いた。
首都の端の北東方面は人気がなくただひたすらに雪原が広がっているだけだ。
遠くには人の痕跡が残っていない綺麗に並ぶ雪を被った山々が隆起している。
そして空は妙にすっきりした垢抜けた快晴。
その光景はまさに圧巻であり、俺はこれが最期に見る景色だと悟った。
と同時に、この巡り合わせも運命によるものかと思うとその胸糞悪い存在を殴り飛ばしたい気分になる。
俺は運命の言いなりにはならない。
「止まれ」
俺はローズにそう言った。
するとローズは足を止め、俺の方へ体を向ける。
ちょうどその時太陽の光が雲から顔を出し、鮮明に彼女の顔をゆっくりと照らした。
ローズは笑っていた。
いや、それは微笑みというべき優しい笑いだった。
俺は最初、その笑顔の意味が全く分からなかった。
「どうした。なにかいい事でもあったのか」
俺はそう聞くと、ローズは表情も変えずにこう言葉を返した。
「ずっとお前のことを待ってた」
それは明るく優しい声だった。
底知れなく自己中心的で、底知れなく美しく、底知れない元気が溢れ出る全く魅力的な10年前の兄貴そのものだった。
俺もそれを見て、自分の口角がつい緩み自分でも発したことの無いような声で言った。
「あぁ、俺もだよ」
俺はローズにスペアのシングルアクションアーミーを放った。
弾はきっちり6発装填されている。
ローズはそれを右手で受け取り、シリンダーを開いて弾丸の有無を確認した。
確認し終えるとその銃口を私に向けるわけでもなく、ただ右手に銃を握り楽な姿勢で俺と向かい合った。
「それじゃあ始めよう」
「兄貴」
俺はスタールアーミーリボルバーを握りそう告げた。
数十秒の静寂。
それは俺の人生の中で一番長い十秒間だった。
雪を纏ったざらつき煌めいている風が頬を撫でたとしても、互いに向かい合った俺らを動かすことはできない。
これは既に俺とあんたの世界だ。
大自然の主だろうとそれを止めることは出来ない。
風がローズの耳を通り抜けた時、俺は左斜め前へ走り出し一発胸部目掛けて撃ち込んだ。
左足で踏み込み右足を移動させている瞬間にだ。
これは右利きの相手に対して照準の狙いにくい左側にわざと走って弾を回避するという手法。
なかなか普段では使うことは無いが俺の体は自然とそう動いていた。
ローズはそこらの雑魚とは腕っ節が違うと今までの立ち振る舞いで分かっていたからだろう。
だが俺の撃った弾丸はローズの胸部には当たらず遠くの白い彼方へと消えていった。
俺が走り出すと同時にローズは俺の右手前に向かって走ってきたからだ。
深さ10cmの重い雪を蹴散らしながら走ってくる。
かなり動きが速い。
出だしは俺が早かったはずが今じゃローズの加速に俺が合わせている。
俺らは逆ベクトルのまま反対方向に2、3歩雪を踏んだ。
お互い殺しあってるはずなのに、まるで息のあった譚詩を歌っている状況が俺の中枢神経を刺激し興奮させた。
俺とローズが点と点を繋ぐようにすれ違う。
バヒュンッ
ローズによる最初の発砲。
銀と灰が混ざった色の鉛玉が俺の目の前を通過していく。
磨きあげられた鉛に自分の顔が反射して見える程に近い。
俺は思わず足を止めた。
もし顔を狙っての発砲だとしたらかなり精度がいい。
この雪原での不安定な足場でこれを撃てるなら今まで戦った相手の誰よりも強いと断言できる。
相手にとって全く不足がない。
ローズは未だ走りをやめない。
__________ガギュンッ
2発目の弾丸が俺の右耳を撃ち抜いた。
どういうことだ?
ローズはすれ違って2歩先を行く(自分を利き腕の右腕では狙いにくい角度のはず)のに俺の耳たぶに風穴を空けた。
気になってすぐに後ろを振り返った。
驚いた。
奴は180度方向転換し、俺の方を向いて煙を出すその銃口を向けていた。
たぶん左足で思い切り踏み込んで俺に銃口を向けるために飛んだんだ。
飛んだその0.X秒間に訪れる俺のがら空きの背後という的を狙う為だけに。
あぁ、最高だ。
なんて素晴らしいんだろう。
これまでして俺に勝とうという相手には会ったことがない。
本当さ。嘘じゃない。
パァンッ パァンッ パァンッ
俺は雪に寝転ぶ小さなローズに3発撃ち込んだ。
奴はキラキラと輝く雪を楽しそうに右、右、左と華麗に避けた。
だが転がった際に舞い上がった雪に赤いものが付着しているのを見る限り3発のうちどれかがローズの体のどこかに当たったようだった。
ローズも負けじと3発撃ち込んでくる。
でもその弾はほぼやけくそに撃ったようなもので、俺の体のどこも掠めなかった。
すこしがっかりだ。
最初は俺の裏をかいて攻撃してきたのに最後はやけくそに弾を発射して終わるのか。
弾が急所に当たったのかローズは銃を撃っても位置を変えず寝たきりだ。
突進することも、起き上がって位置を変えることすらも。
やはり冷たい風は静かに俺の頬を撫でた。
数秒間両手を脱力しローズを待ってみても、動く気配は無い。
俺は冷たい空気を胸いっぱいに取り込んで"ふぅ"と白い息を吐いた。
「しまいだ」
銃口をローズに向け照準を合わせる。
終わりだ。
これで本当に全てが終わる。
所詮ただの悪人を殺すという今まで通り行ってきたことだ。
そこに情が入るのは俺とローズの因縁が関係しているだけ。
でも
でもさ
ずっと殺したかった人間をやっと殺せても、心には何も残らないんだな。
なぁ、コーウェル。
バガンッ ダシュッ
最後の銃声は2発だった。
ローズからは撃った箇所から細かい雪が舞い上がる。
それはどこからか来た名無しの風に吹かれて消えた。
本当に呆気ない。
カチョッ
俺はスタールアーミーリボルバーの照準を外しホルダーに収め、一呼吸置いてぼんやりとローズを眺めた。
中に着ている白シャツの胸ポケットに入れておいたアークローヤルを一本取り出し金色のフィルターを噛んだ。
パンッ
「...」
タバコを噛んだその時、缶の破裂したような音を俺は聞いた。
そして感じた。
ピッチャーが投げるような速度のベースボールが腹に当たる感覚を。
俺は思わず呆気にとられてタバコを落としてしまった。
自分の腹を確認して見てみたのは、鈍い感覚がしたのはその箇所だったからだ。
腹には何も無い。しかし右胸は赤く染ってる。
撃たれた?
でも誰が?
まさか。
俺はとにかく答えを確認したかった。
多分合ってると思うけど、やっぱりローズを見て確認した。
やっぱりだ。ローズは生きてる。
俺がローズだと思っていたもの、あれはただのコートだ。
雪に浮かないよう少しだけ埋めて上手く膨らみを見せている。
そしてそのすぐ横では白い煙を揺らす黒い銃口が俺を覗いている。
ローズはそのコートのすぐ横でずっと俺を狙える隙を見つけるまで雪に埋まっていたんだ。
そして俺が隙を作ったその時、雪からリボルバーの先端を出し俺の胸を撃った。
ビュオッ ビュピュゥ
胸の穴から濃い蘇芳色の血がとろとろ流れ出る。
ローズは被っていた雪を蹴散らすように立ち上がって右手に握ったSAAを横の雪の上に投げ捨てた。
あぁ、これだよ。
これこそが最期には相応しい。
あんな終わり方誰が認めるか。
これが俺への"運命"が仕向けた所業なら手を合わせて感謝したい。
この運命を乗り越えるために、この強者をぶち殺すために俺は生まれてきたんだと。
ザッ ザスッ ガスッ ザギュッ
俺はローズに向かって全力で走った。
底抜けに明るい太陽が照らす雪原を数メートル全力で。
足をふむ度に白い粉末状の雪が頬に当たって冷たかった。
でも爽やかな気分だった。
その時初めて銃を持たないで走ったのかもしれない。
何も警戒する必要は無い。これが"自由"だったんだ。
恐れも心配も憂鬱も、何も無い。
これこそが、"自由"だったんだ!
あぁ、ありがとう。本当にありがとう兄貴。
あんたがたった今銃を捨ててそれを俺に教えてくれたんだ。
ありがとう、本当にありがとう。
▅▅▅だから真心を込めて、あんたを殺すよ▅▅▅
バギゥッ
俺はそのままローズの腹目掛けて突進した。
奴はそれを手で受け止めようとしたが出血で力が抜けていたのか重みのないサンドバッグのように吹き飛んだ。
俺も突進した時の力が吸収されなかったため覆い被さる形でローズの上に勢いよく倒れた。
ローズの腹に空いた小さい風穴から水鉄砲みたいに血が顔に飛び出してきたがそのまま右腕で迎香 (鼻と頬骨の間)を殴る。
全力で。
ブギゥッ
水が沸騰するように鼻から血液が湧いた。
少し濃い。
手を再び上げてもう一発同じところを殴る。
ヴヅッ
ローズの肌に触れる時鼻血で拳が滑って唇を通り越し前歯に当たって根元から折れた。
その拍子に歯茎から流れた血と折れた歯が喉に絡んだからかローズは眉に皺を寄せ身体をビクンと跳ねさせた。
「ごぱ...ぁッ...!」
ローズの小さい身体が上に跳ねた。
それを見て更に拳に力が入る。
もう一発。
バグッ
もう一発。
ゴギッ
前頭骨が割れる。
またローズの胸部から中心に体が跳ねた。
今まで皺を寄せていた眉も力が抜けたように穏やかになっていく。
ガュッ
ヅギュッ
ヌヂッ
グヂュッ
「はぁ...ふぁ...っ!」
俺は一度拳を止めてまたローズを見た。
既に"それ"は体を跳ねもしないで完全に停止している。
白い雪の皿に盛られた紅く潰れたザクロのように。
「っ...は...はぁ...っ」
自身の白くて熱い息が見える。
「勝った...」
「▅▅▅俺は運命に勝ったぞぉぉあああッッ!▅▅▅」
空に吠える。
誰も聞いてやしない。
聞かせるつもりは無い。
ただ、この宇宙を生きている全てに言いたい。
俺のような野良犬が、運命に勝利したんだと!
ビブシュアッッ
胸の穴から粘度の高い血が1メートルぐらい飛び出た。
俺はあえてその傷口を見なかった。
今はそれどころじゃない、この興奮に塗れたいんだ。
...いや、それは嘘か。
正直言うと撃たれたのが右胸か左胸かもう分からない。
左胸だったその時は...考えたくないんだ。
考えたくないんだよ、俺は。
「ぶぁ...づ...」
膝に力を入れて地面に立つ際、血が床に撒き散らされたのに気がついた。
その上息がしずらい。
口に手のひらを当ててみる。
あぁこれは...口からか。
潰れた肺から逆流して...いや、やめだ。それも考えたくない。
俺は自分とは逆の足跡がついた方向へ歩き出した。
乱雑じゃない、俺とローズが並んで歩いてきた方向へだ。
ギュッ ザクッ ギュッ ザクッ
「...」
カンカンの太陽が雪を溶かしている。
それに呼応するように雪達はこの空に向けて光を返している。
それが何千何万の山々を覆っているんだから、この光景はやはり凄まじかった。
俺はもう一度口に金色のフィルターを咥えてアークロイヤルに火をつけた。
口内にバニラ風味の甘い香りが立ち込めてくる。
こりゃ最高だ。
上等な景観に上等なタバコか。
悪くない...これこそ俺の有終の美さ。
ただ、まぁ...
「あ"りすの飯の方が...タバゴには"よぐ...合うな"...ぁ...」
ベヂャベヂャブヂ...ァ...ッ
バサッ...
_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
▅▅▅▅▅薔薇と拳銃▅▅▅▅▅
_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _[完]
[ending theme : Il Grande Silenzio]