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†...3...硝子の血、錆びた心

 フィルガレーデの懐妊の知らせにザイワンは大いに喜び、女王を抱き締めた。白々しくも上擦った声で「素晴らしい」と繰り返しながら。

 女王は十八歳、夫は三十五歳になっていた。


 喜びそのものは本心だろう。これで彼は次の為政者の父になる。

 ザイワンにとって子は野心の駒だ――そう思うとやりきれない。けれどフィルガレーデも女王として、跡継ぎを産むことが己の最大の責務であると、充分すぎるほど承知していた。


 不安の中で息子が生まれた。髪は母譲りの白金の輝き、肌は父に似て薄黒く、大きな瞳の愛らしい子だった。


 妊娠中は政務の大半をザイワンに任せていたから、彼が王子と初対面したのは翌日の昼。多忙ゆえか、ろくに寝ていない風情で現れた彼は、赤子を抱き上げるなり――泣き出した。

 声もなく、大粒の涙をぼろぼろ溢して。驚く侍従たちの問いにも黙って首を振るだけ。

 フィルガレーデは呆然として、黙ってそれを眺めていた。



「見て、フィー。俺たちのペレスはなんて可愛いんだ」

「……正しく発音して。ペルシュルツよ」

「この国の名前はいちいち長すぎる。……ふふ、ほらペレス、女王陛下(おかあさま)にご挨拶しようね」


 ザイワンは王子を勝手にタナック風の愛称で呼ぶが、それ以外は理想的な父親を演じていた。

 乳母曰く、政務の間もなるべく傍に置き、ようすを逐一報告させている。食事も必ず同席しているという。


 騙されそうだわ、とフィルガレーデは褥の上で毒づいた。

 産後の肥立ちが悪くてずっと伏せっている。思うように我が子にも会えず、王配の仕事ぶりを人伝てに聞く日々が続いていた。


 いや――本当のところは、当然そう長くは隠しておけない。


典医(いしゃ)に聞いた。フィー、君は先王と同じ病だそうだね」

「……ええ。父の戦死が方便だということも、もう知っているのかしら?」

「当然だ。俺は君の夫で、ペレスの父だぞ」


 ザイワンは珍しく憮然と答えた。


 先のヴェーレン王が戦場で(たお)れたのは事実だが、死因は矢でも弾でもない。長期の行軍による持病の悪化――剣や冠と同じく、王家の血に代々伝わる病だ。

 当然それは国防上の機密にあたるため、表向きは戦死としたのだ。


 ここは大陸でも指折りのの魔導大国。宮殿こそ最大の研究施設、王の膝元で最先端の開発が行われ、その恩恵を一番に受けられるのもまた王族である。

 恵まれた環境下にありながら、フィルガレーデの容態は一向に良くならない。

 先王の死は未だ重い影を落としている。有効な治療法があるなら、彼は娘を用意もなく玉座へ放らずに済んだ。


「ペルシュルツは大丈夫なの……?」

「典医の話だと、ヴェーレン人固有の因子が関わっているから……タナックの血を引くこの子には、発症のおそれはないらしい」

「そう……、良かった」

「君も諦めるなよ。科学は進歩し続けてるんだ」

「……ふふ。心にもないことを。私が死ねば、あなたはペルシュルツの後見人として、総ての権力を手にできる……」


 フィルガレーデは痺れるような痛みを堪えて夫に手を伸ばした。浅黒い肌の上、鱗に似た刺青を指先でなぞりながら、苦しい息をゆっくりと吐く。


「あなたより先に死ぬのは癪ね……私のほうが若いのに」

「……その心意気ですよ、女王陛下。俺も君より長生きしたくない」

「嘘ばっかり」



 こんな噂が流れ始めた。――ザイワンは女王を暗殺しようとしている。

 遺伝病のことは伏せられていたから、まだ若いフィルガレーデの疾病を不審がる声は絶えなかった。ましてその夫が敵国の出身者では陰謀説が生じるのも無理はない。

 年嵩の王配には疑念と冷蔑の、そして女王と幼い王子には憐憫の視線が向けられた。


 ザイワンが見舞いに来る頻度は日毎に減っていった。あれは女好きのようだし、愛人でも作ったのだろうと思うたび、女王の胸が静かに軋む。

 かぶりを振るのもつらい身体で、そっと唇を噛んだ。


 ――寂しくなんてない。私たちの間には、息子の他には何もないもの。


「こんな薬に何の意味があるの?」


 苛立ちを思わず医者に向けてしまう。人の好い典医は傾いた眼鏡を直しながら、痛み止めですよ、と申し訳なさそうに答えた。

 根本的な治療法がないので、できるのは苦痛を紛らわせることだけ。


「……、あのう。陛下にご提案が……」

「言いづらそうね」

「その。これは私共ではなく、ザイワン殿下のお考えでして……。

 軍で開発中の魔導機巧兵の技術を応用して、体内魔素の活動を抑制し、魔術的な封印を施すのです」

「それで治るの?」

「いいえ。……治療法が見つかるまで眠っていただくだけです。封印状態では病も進行しませんから……ですが当然、意識は保てませんので、ペルシュルツ殿下に譲位なさる必要が」

「……ふッ。あははは……、そう、なるほどね」


 病の進行は緩やかで、フィルガレーデが死ぬまでまだ何年もかかる。そろそろ四十の大台が見えてきたザイワンだって、いつまで健康でいられるかはわからない。

 しかも息子が大きくなれば後見を必要としなくなる。彼には時間がないのだ!


 咳込み混じりに(わら)う女王を、医者は悲しそうに見つめていた。


 その夜、珍しくフィルガレーデは夫を呼びつけた。どんなに忙しくても、夜中でもいいから必ず顔を出せと侍従に言付けて、実に数週ぶりの来訪を待った。

 逢いたいなどと思ったのはこれが初めて。きっと最後でもあるだろう。

 けれど彼はなかなか現れず、待ちくたびれて眠ってしまった。



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