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☼...2...熱帯魚

 侍女は青い顔をして、不機嫌な主人と対照的に微笑する王配とを、交互に窺った。その姿があまりに哀れで、フィルガレーデは不承不承に頷く――行って。

 俯くように頷き、衣類を回収して、彼女は足早に出ていった。


 扉が閉じられると、女王は観念して寝台に腰かける。すぐに自身の倍近くの重みが隣へ加わって底板が軋んだ。

 傍らの夫が不気味でならない。

 彼が上着を脱ぐと内着(ブラウス)の襟が(はだ)けた。タナックの習俗か、太く浅黒い首筋は、奇妙な刺青で彩られている。


 ちょうど下着姿のフィルガレーデを(シーツ)の上に押し倒しながら、彼は静かな声で言った。


「夜伽の経験はない?」

「当然でしょう。……ああ、あなたは再婚だった?」

「いや、結婚はこれが初めて。でも君くらいの歳には女官で遊んでたから。その頃は()()第一王子だったから、誘いも多かったし」

「……、だった?」

「一人娘だと考える機会も少ないか。数字は継承権の順位であって、年功序列とは違う」


 やがて衣類がすべて取り払われて、この男の肌色は単なる日焼けではないのだということを、フィルガレーデは理解した。

 身体の側面を縁取る紋様は、彼の動きに合わせて皮膚の上を躍る。鱗のように。

 海で生まれた男だから、本性までも冷たい魚なのかもしれない。


「……つまり負け犬じゃない」


 耐えきれずに悪態を吐いた。無様に涙を流すよりはましだと思った。


「そうだよ」

「蹴落とされた挙句に国からも捨てられたのね。じゃあ、これはその八つ当たりってところかしら?」

「……はは、口の減らない女王様だ。……力を抜いて」

「ッ……、……~!」


 意地でも彼にはすがるまいと枕を掴み、悲鳴を綿の中に隠す。

 痛みは最初のうちだけだった。息ができずに白んだ頭の片隅で、汚らわしい遊び人、とひそかに詰る。

 年の功もあるのだろう、彼は確かに女の身体の扱いをよく心得ているようだった。今はそれがいっそう腹立たしい。


 次期女王の自覚を持った時から、愛など望めないことは承知していた。


 ヴェーレン王家には代々、硝子の剣と鉄の冠が継承される。美しく鋭いけれど、扱いを過てば簡単に砕けてしまう不便な武器と、装飾の用を為さない重い鉄塊。

 王権とはそういうもの、王とはそうあるべきだという皮肉だ。


 これは義務にすぎない、だから悦びも要らない。思いとは裏腹に、甘ったるい(さえず)りが自身の口から漏れるのを、フィルガレーデは必死で堪えた。

 少なくともザイワンに聞かせてなるものか。彼を楽しませるくらいなら、枕で窒息したほうがいい。


 尤も、女遊びに慣れた南国の優男には、小娘の意固地くらいお見通しだったろうか。




 聞くところザイワンの母親は貴族の出で、その当主――つまり祖父は、彼が成人する前に暗殺された。後ろ盾を失った側妃は権力争いに負け、準じて王子の継承権も繰り下げられた。

 第四王子の称号は最下位の烙印。敵国へ人質として差し出されたのも頷ける。

 もはや故郷に戻る望みもないザイワンは、代わりにこの国で力を求めるのだろう。


 彼は年長者なりの知見でヴェーレンの宰相らと上手く付き合った。母国で政務に携わっていたので、幼く無知な女王より為政に慣れている。

 最初こそ年嵩の王配に戸惑った臣下たちも、その温厚な為人と安定した政治手腕に、すっかり信を置くようになった。


 穏やかならぬのはフィルガレーデただ一人。

 ザイワンは陽の下では完璧な伴侶を演じ、月が昇れば冷酷な支配者に変わる。最高権力者であるはずの女王が、夫に夜ごと屈伏させられているなど、どうして認められよう。

 それも身体を痛めつけて虐げるのではなく、抗いがたい快楽を叩き込んで矜持を踏み躙られるのだ。これ以上の屈辱がこの世にあるとは思えなかった。


 ――私は女王。拒んだっていい。

 この国に側妃の慣例はないが、歴代の王も愛人くらい持ったのだから、自分も若い恋人を作ればいい――そう考えたこともある。


 けれどフィルガレーデの心の傷は誰にも埋められなかったし、他の男に触れられたところで愛も充足も得られない。

 むしろ募る虚しさをザイワンに指摘され、記憶を書き換えるように念入りに抱かれることに、安堵すら感じてしまう。そんな己を嫌悪した。

 忘れるなと言うように、耳元で囁かれる。


「フィー、君の夫は、俺だけだろ……?」


 いつの間にか慣れていた。彼にしがみつき、はしたない声を上げて喘ぐことに。


「……俺のものだ。この国ごと、総て」



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