七話
ラングレー皇国皇帝・セオドア・レオナール・ラングレーは、今日も重たい頭を抱えていた。
昼下がりの執務室。机に向かうセオドアの傍らで書類を整理するアーノルドがふと顔を上げた。
「そういえば陛下。いつまでルビー王女を放置なさるおつもりですか? ベルハイム側が引き取りを拒否している以上、いちおうあなた様の妻なのです。夫としてそれ相応の接遇をしないと面倒なことになりますよ」
およそ二週間前に嫁入りしてきたその少女は、ラングレーが望んだ『聖女アクアマリン姫』ではなかった。自分はアクアマリンの姉でルビーだと名乗ったことから牢に入れるわけにもいかず、ひとまず城から一番遠い離宮に隔離した。
セオドアとアーノルドが様々なルートから確認調査を行ったところ、ルビーの主張はどうやら事実だということが判明した。
当初ベルハイム王国は入れ替わりを否定していたものの、最後にはしぶしぶ事実だと認めた。
けれどもすでに入籍は済んでいるし、結納金も使い果たしたあとだから、引き取りは拒否すると主張した。「ルビーはすでに嫁入りした身。不要であれば貴国から追い出せばよいだけだ。我が国はもはや関係ない」「入籍前に直接花嫁を確認に来なかったラングレーにも非がある」と、ベルハイム王はラングレーの使者を突き離したのである。
納得いかないラングレー側は粘り強く抗議したものの、結局『年に一日だけ聖女アクアマリンを派遣する。ただし稼働時間は一時間内に留めるように』というすっぱい折衷案しか得られなかった。
いくら聖女といえど、年に一度の一時間では大した働きは見込めない。せいぜい病人を数人救うのがいいところだろう。
「ここまでひどい国だとはな。舐められたものだ。今すぐ攻め入って滅ぼしてやろうか?」
「いいですね。最近運動不足でしたから、ペンではなく剣を持つのもやぶさかではありません」
不穏な軽口を叩き合う二人。
対ラングレー王国の事案はひとまず結論が出たのだが、ルビー王女の処遇が宙に浮いている。
「話を戻しますが、ルビー王女はどうしましょう。なんでも使用人の話では、ベルハイムから連れて来た鼠と一緒に住んでいるのだとか。あてがったメイドの一人は初日に逃げ出したそうですよ」
「……ふん。鼠は知らんが、離縁一択に決まっているだろう。聖女でもなかったわけだし、俺の妻になる理由がない。あんな古い離宮に押し込められて、宝石や衣類も与えられず、食事もベルハイムと違って粗末なのだから、すぐに音をあげて離縁を申し出てくるだろう」
「ご自分から言わずに王女から申し出るのを待っているのですか? とんだチキン野郎ですね」
「うるさい。俺は面倒なことは嫌いなんだ。あのベルハイムの王女だぞ? こちらから離縁を持ちかけてみろ。莫大な慰謝料を請求されるかもしれない。我が国にそんな金はもうない」
「無理して結納金を捻出しましたからねぇ。……はあ。皇帝の食事に肉が出せないなんて世も末ですよ……」
国の命運をかけた聖女娶り作戦は、最悪の形で終わってしまった。
先行投資した結納金の補填として、セオドアは自身の生活予算を削り、国民にしわ寄せがいかないように苦心しているところだった。
「ベルハイムしかり中央諸国しかり、もっと我が国を大切にしてほしいですね。誰のおかげで瘴気や魔物から守られていると思っているのだか」
憤るアーノルドに対してセオドアは悟りを開いた表情である。
「父上も苦労していたからな。我が国が身を削れば削るほどやつらの幸せな生活が続くのだ。こちらの苦労は伝わらなかろう」
「まったくもって理不尽ですよ。陛下にも幸せになっていただきたいのに」
「別に期待していないからいい。それより民の生活をもっと楽にしてやりたかったんだがな……」
ラングレーの皇子として生まれた時からセオドアの運命は決まっていた。『我が国は世界の均衡を保つ名誉ある国だ。その誇りを忘れずに励むのだぞ』と父王からは教わってきたが、いざ政務に携わるようになると実態はまったく違った。
ラングレー皇国が役割を果たせば果たすほど世界は平和になり、諸国は感謝を忘れるようになった。支援金を減額するだの、小さいゴブリンが一匹侵入してきて驚いた住民が転んで怪我をした、どうしてくれるんだ! だの、傍若無人な振る舞いをするようになった。
「こっちは毎日湧き出る魔物の討伐で死者が出てるんだ。ゴブリンの幼体に驚いて転倒するなんて可愛いものだろう……」
はあ、とセオドアは大きなため息をつく。
冥府から湧き続ける魔物すべてを狩ることは不可能だから、近隣国へ流れ出た魔物は各々の国で対処することになっている。法的にそういう決まりになっているのだから、いちいち筋違いなクレームを入れてこないでほしい。
「陛下、顔色が悪いですね。疲れが溜まっているのでは? ルビー王女の件はひとまず保留にして、少しは身体を休めてください」
「平気だ。聖女が確保できなかった以上、俺がそのぶん働いて取り返すしかない」
「……あなたが皇帝でよかったです。わたしもお付き合いしますよ」
「……好きにしろ」
口ではつれない返事をしたものの。
聖女は来なかったが、自分のそばには有能な臣下がいる。それがセオドアの唯一の救いだった。