セオドアのとある一日
本作の書籍が本日3月5日に発売です!
レーベル:KADOKAWAドラゴンノベルス様
あいにくの天候ですが、気持ちだけでも楽しくなりますように。
公式サイト(販売店へのリンクあり)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322411000134/
「……おや?」
昼下がりの静かなラングレー王城。
ふと書類から窓の外に目を向けたアーノルドは、周囲を気にしながら足早に城門へ走る男の姿を捉える。
その男はどう見ても『皇帝』だったものだから、彼は顎の下に手を当ててニヤリとし、部下を呼びつけた。
「見てください、陛下がコソコソとどこかへ出かけようとしています。あのお方を襲おうなどとする者はもういないと思いますが、やはり護衛が一人もいないというのはいただけません。後を追ってください」
「はっ。気配を悟られないようにお守りすればよろしいでしょうか?」
「陛下の勘は野生並みです。存在には気づかれるでしょうが、あの様子だと何も言ってこないでしょう。巻かれぬようにだけ気をつけて護衛すれば充分です」
セオドアが一人でこそこそと城を出ていくなんて初めてのことだ。
これはきっと面白いことが起こるはずだ、とアーノルドは笑みを深める。
「そしてこれが一番重要なことですが、陛下が帰城して任務が終わったら、街で何をしていたのか必ずわたくしに報告してください」
「えっ? あっ、承知しました……」
顔に戸惑いを浮かべる部下とは対照的に、アーノルドは今日の楽しみができたとばかりに上機嫌になるのだった。
◇
一人皇都に出たセオドアは、きょりきょろと周囲を見回して人の目を忍ぶ。あらかじめ調べていた皇都一と謳われる菓子店の扉を押し開け、身体を滑り込ませた。
「いらっしゃいませ! ……えっ、もしかして皇帝陛下……!?」
女性店員は目を真ん丸にして、口元を手で覆う。
即位前のセオドアは騎士団長を務め、皇都の治安維持にも当たっていたから、皇都民にとっては知った顔である。
それ自体はセオドアも認識していたが、一瞬でバレてしまうのは想定外だった。
「ひ、人違いだ」
「えっ? でも……」
「よく言われるが、別人だ」
「あっ……ハイ……」
不都合があるわけではないのに、どこか気恥ずかしいセオドアは別人を装った。
着替えてくればよかったと後悔するが、あとの祭りだ。
ざわつく店内に居心地の悪さを感じ、さっさと用を済ませて退店しようと心に決め、ぎこちなくショーウインドーに目を移す。
(甘いものは嫌いではなさそうだよな……。生クリームを使ったものにするか……? いや、この見事な飴飾りがついたチョコレートも捨てがたい……)
貧しいラングレーではあるが、他国の一流店にあたるような店が無いわけではない。
ここにはカカオが香る宝石のようなチョコレートもあるし、果物がぎっしり詰まったタルトだってある。
結局セオドアは三十分近く悩んた末に商品を買い求め、店を出た。
いかめしい顔に似合わない可愛らしい包みを持って次に向かったのは、本屋だ。
本屋でもすぐに店員の度肝を抜かし、小一時間にわたって棚の間をウロウロと歩き回った。
店を出るころには日が傾いていたのだった。
◇
城に帰ったセオドアは、その足で医務室に向かった。
ノックをして中に入ると、編み物の手を止めたルビーに向かって、無造作に二つの包みを差し出す。
「やる」
「えっ!?」
突然の出来事に、ルビーは目を瞬かせる。
「えっと……とても素敵なお品に見受けられますが、わたしが頂いてしまって良いんでしょうか?」
「……仕事で出かけたついでに買っただけだ」
「なるほど、皆様にお配りしているということですね。では、ありがたく頂戴します!」
ニコニコしながら包み紙を開くルビー。化粧箱に入ったチョコレートの詰め合わせと、美しい装丁の本を目にすると、喜びの声を上げた。
「わあっ、こんなの見たことありません! 眩しいです! 宝石のように光って見えます!」
「評判の菓子と、いま女性に人気だという本だ。……気に入ったか?」
「はい、とても! わたしには勿体ないくらいです」
「……よかった」
ルビーはさっそく一粒チョコレートを頬張ると「ほっぺたが落ちそう!」と頬を抑える。待ちきれないというように本のページをめくっては「まあ、なんて美しい挿絵なの!」と目を輝かせる。
セオドアは心の奥が温かくなるのを感じながら、眩しそうに目を細めた。
◇
セオドアが医務室から出ると、ニヤニヤしたアーノルドが廊下の壁にもたれかかっていた。
その瞬間、彼の機嫌は急降下する。
「うわっ、あからさまに嫌な顔をしないでくださいよ。傷つくじゃないですか」
「こんなところまで何の用だ」
すたすたと歩き始めるセオドアの後を、軽やかにアーノルドがついていく。
「迎えに来たんですよ。会議の時間なのに、陛下が来ないものですから」
「会議ではなく、いつもおまえが勝手に押しかけて喋っていくだけの時間だろう。……それより、昼間騎士に俺を尾行させたのもおまえだな?」
「尾行ではなく護衛と言ってほしいですね。皇帝が一人きりで街をうろつくなんて、さすがに問題があります」
セオドアは鼻を鳴らす。
「報告を聞いて笑い転げたんだろう」
「堅物の陛下も想像力がついてきたじゃないですか。それで、皇都の様子はどうでしたか? 私用で出かけるのは初めてですよね。ちなみにこれは宰相として真面目にお訊ねしてますよ」
執務室に戻ると、セオドアは皇都の様子について語り始める。
その様子がいつになく楽しそうなものだったから、アーノルドは微笑ましく見守った。
話が終わり、深々とため息をつきながら書類の山に手をかけようとするセオドアを、彼は引き止める。
「――王女殿下に差し上げる前に、味見で買ったものもあるとおっしゃいましたね。部屋から酒を持ってきますから、つまみながら久しぶりに飲みませんか?」
「やるべきことが山積みだ。そんな暇はない」
「そんな事を言っていたらいつまでも休めませんよ。それに、仕事をする気分じゃないって顔に書いてあります。そういうときは一思いに休んだほうが明日からの効率も上がるものですよ」
渋い顔をするセオドアだが、確かに心の中は仕事をする気分ではなかった。
久しぶりに執務室を飛び出して、皇都を巡り、ルビーの喜ぶ顔を見ることができた。充実した一日だった。
(……そういえば最後にアーノルドと酒を飲んだのはいつだ? 少なくとも即位してからは、そんな余裕もなく過ごしていたな……)
皇太子時代、騎士団長だったころは、なぜかアーノルドも夜な夜な酒瓶片手に騎士団の寮にやってきて、皆で飲み明かしたものだ。つかみどころのない男だが、意外と人懐っこいところがあり大酒を飲む。騎士達からも慕われていた。
(……懐かしいな。あの場でだけは身分も階級も関係なく、皆が友人のように語り合えた)
即位後は自分も、そして最側近であり宰相のアーノルドも、仕事に忙殺されていた。
自分はともかく、アーノルドの息抜きというものを考えたことがなかったことに気がつく。
(この男のことだから、うまくやってはいるのだろうが……)
セオドアは逡巡したのち、手に取っていた書類を山に戻す。
「……酒と菓子を持って、久方ぶりに騎士団の寮にでも行くか。お前の言う通り息抜きも必要だ」
「――! いいですね!」
アーノルドはぱっと目を輝かせると、酒を取りに自室へ戻っていった。
セオドアは、アーノルドの嬉しそうな顔を見るのも久しぶりになってしまったなと、心の中で小さく反省する。
皇帝として自分はまだまだ至らないと思いつつ、明日からまた励んでいこうと決意を新たにするのだった。