マイケルとの出会い
格子窓の外に雪が舞う、ひときわ寒い夜のことだった。
ぼろぼろの毛布を身体に巻き付けてベッドに丸くなり、厳しい寒さに震えていたルビーは、聞こえてきた弱々しい鳴き声でまぶたを持ち上げた。
「チュウ…チュウ……」
一瞬、空腹と寒さによってまた幻聴が聞こえているのだと思った。
この塔で暮らすことになってから十日ほどになるが、食事も水分もろくに与えられない日が続いていたからだ。
しかし、実際に壁の隙間から入ってきた小さな動物を見て目を見張る。
「ネズミさん……?」
白い毛に紫色のぶち模様の、見たことがない種類のネズミだった。
入ってきたネズミは見るからに弱っていたが、口になにかを咥えている。
「外は寒いのにどうしたの? かわいそうに、身体に雪が積もっているわ。こっちにおいで」
ネズミはよたよたとルビーのほうへ歩き出したが、途中でころりと倒れて動かなくなった。
「!!」
ルビーは毛布から飛び出して、慌ててネズミのもとに駆け寄る。
そしてネズミが咥えていたものを見て、口元を手で覆った。
「まあ、赤ちゃんだわ! どうしましょう、二匹ともすごく弱っているみたい」
「チィ……」
母ネズミは弱々しく鳴くと、大事に咥えていた小ネズミを離し、鼻先でルビーの方へ押し出した。
「チチィ…チュゥ……」
「凍えてしまったの? 一緒に毛布で温まりましょう!」
こんな寒い時期にネズミが外を歩いているなんて。
冬眠に失敗したんだろうか。それとも十分な餌を蓄えることが出来なくて、早く冬眠から覚めてしまったのだろうか。
あげられる食べ物があればよかったけど、何一つ持ち合わせていないことにルビーは唇を噛む。毎日朝だけわずかな食事が運ばれてくるが、すべて食べてしまうので、蓄えはないのだ。
自分の毛布をネズミ親子に与え、何重にも巻いて暖が取れるようにして、震えながら一晩を過ごした。
翌朝、目を覚ましてすぐにネズミの様子を確認すると、毛布の中で母ネズミは冷たくなっていた。
「ああ……ごめんなさい……逃げてきた場所がここじゃなかったら、こんなことには……」
ルビーは涙を溢れさせる。
しかし、母ネズミに守られるようにして身体を丸くしている子ネズミのほうは生きていることがわかると、ごしっと目元を拭った。
「生きててくれて、ありがとう。あなたは強い子だわ」
運ばれてきた朝食を差し出すと、小ネズミは勢いよくかじりついた。やっぱりお腹をすかせていたのだわ、とルビーは胸を痛めた。
小ネズミと一緒に母ネズミに祈りを捧げると、食事の容器を下げに来た騎士に母ネズミの亡骸を託す。
「昨晩寒さで逃げ込んできたネズミさんなのだけど、助けることができなくて……。お手間をかけて悪いのだけど、この塔の近くに埋葬してもらえるかしら」
騎士は眉をしかめ、汚らわしいものでも触るような手つきで母ネズミを持っていった。
「あなたのお母さんが、最後にわたしを信じてくれたのだもの。ひとまず冬が終わるまではここで一緒に暮らしましょう? 毎日朝だけで申し訳ないけど、いちおうご飯にはありつけるから」
「チチィッ!」
そうして子ネズミとルビーの共同生活が始まった。
小ネズミはご飯を食べられるようになるとどんどん大きくなった。身体の大きさから当初は赤ちゃんだと思っていたが、それはきっと栄養不足だっただけで、本当はもっと大きな子だったのだわ、とルビーは変化を喜んだ。
どんなに寒い夜でも、小ネズミと一緒だと、前ほど辛くはなかった。
「今日も冷えるわね。大丈夫?」
「チーッ」
相槌のように鳴き声で返事をしてくれるだけで、ルビーの心は温かくなったのだ。
◇
冬が終わり、春が来ても、小ネズミは塔を出ていこうとしなかった。
たまに壁の隙間から塔の外に出ていくことはあるが、木の実や果実を咥えて必ず戻って来る。持ってきたものをルビーの膝の上におくと得意げに鳴いた。
「チチッ! チーッ、チーッ!」
「えっ、くれるの? いいわよ、あなたがお食べなさいな」
「ヂッ!」
「……ありがとう。じゃあ、ありがたくいただくわ。実はね、やっぱりあれだけではご飯が足りなくて」
みずみずしい果実を頬張りながら、ルビーはニコニコする。
(いつからかこの子の言っていることがわかるようになってきたわ。王宮で飼っているお母さまの猫も、たまに人間の言うことをわかっているような行動を取ることがあったけれど、それと同じかしら?)
騎士たちが乗っている馬も、人間の指示をよく聞いているように思える。人間と信頼関係を築いた動物はみんなそうなるんだろうか。
小ネズミのつぶらな瞳をじっと見つめて考えていると、胸の奥から不思議な感覚が染み出した。
『ぼく……るびーさまと……もっとなかよく……なりたい……』
「――えっ?」
なんだか今、かなりはっきりと子ネズミの言っていることが聞こえたような気がした。
ルビーは目を丸くして手の上の小ネズミを見つめるが、小ネズミは可愛らしく首を傾げて「チッ」と鳴いた。
『なまえを……ぼくに……まえを……そうすれば……もっと……』
「わっ、また聞こえたわ!」
途切れ途切れのぼんやりとしたものではあるが、また心の声のようなものが聞こえた。
これはどういうことだろうとルビーは混乱する。お母さまの猫も、ニャーニャーと鳴いているように見えて、実はこんなふうに語りかけているのだろうか?
「名前がほしいの? それくらいなら、してあげられるけど……」
小ネズミは丸い目をパッと輝かせる。その様子を見たルビーは、さっきの声はこの子の考えていることで間違っていないようねと判断し、うーんと思案する。
「……じゃあ、マイケルっているのはどう? むかしお母さまに読んでもらった絵本に出てきた、勇敢な冒険者の名前なの」
提案すると、子ネズミの身体が淡い光りに包まれる。
驚くルビーに対して、小ネズミはとても嬉しそうに鳴いた。
『やった! これでぼくはルビー様の眷属になれたんだ!』
「えっ、声がはっきり聞こえるようになったわ! ほんとうに喋っているみたい」
『ずっとこうやって話したかったよ。僕のことは眷属にしてくれないのかなって寂しく思ってたんだけど、ルビー様ったら方法を知らなかったんだね』
「けっ、眷属? それは何かしら?」
『そうだなぁ。ルビー様には、【友達】って言えばわかりやすいのかな? どんなときでもそばにいて、心の底からルビー様をお支えする存在だよ』
「まあ、世の中にはそんな関係性が存在するのね。初めて聞いたわ」
お母さまの猫も、お母さまの眷属だったということ?
あちこち引っ掻いたり、大粒の宝石をおもちゃにしたり、ドレスの上で毛玉を吐いていた猫。そのたびにお母さまは世話を焼いていたから、この定義で言うとお母さまのほうが猫の眷属のようにも思えるけれども……。
『ううん、眷属の契約は限られた人間にしかできないことなんだ。今後僕みたいに毒を持つ動物に出会ったら、さっきみたいにじっと目を見つめて気持ちを集中してみて。眷属になりたいという気持ちが感じられたら、名前を与えることで【友達】になれるよ!』
「そうなのね。教えてくれてありがとう、マイケル」
『ルビー様ほどの力があれば、眷属になりたい動物は山ほどいるだろうね』
「お友達が増えそうで嬉しいわ」
ルビーは声を弾ませて微笑み、ぎゅっとマイケルを抱きしめる。
「……急にこの塔で暮らすことになって、それまで仲良くしてくださった方々とは一切会えなくなってしまって……。失って初めて、今までのわたしは恵まれていたのだと気がついたの。マイケルが来てくれて、こうして友達になってくれて、すごく幸せな気持ちよ!」
マイケルも、幸せそうに鳴く。
『ルビー様、僕とお母さんを助けてくれてありがとう。これからはいつでも一緒だよ。僕がルビー様を絶対に守るからね』
――こうしてポイズンラットのマイケルは、猛毒の大聖女であるルビーの最初の眷属になった。
その名前の由来の通り、ルビーのそばで"勇敢な冒険者"としてポイズンラットたちに語り継がれるような人生、もといネズミ生を送ることになるのだが、このときのふたりはまだ知る由もないのだった。
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