Side アクアマリン
わたしと姉は、とある国の王女として生まれた。
祖国はそれなりに穏やかで、近隣の国とも上手くやっている。争いなどない平和な世の中だ。わたしたち王族は端から見たら何不自由ない恵まれた生活をしているように見えただろう。
けれども、わたしは一歳年上の姉のことが憎くてたまらなかった。
最初のきっかけが何だったのか、もう思い出すことはできない。けれども物心ついたときにはすでに、姉は目の上のたんこぶでしかなかったのだ。
「ねえアクアマリン! 庭園の花が美しく咲いたから、お父様とお母様にお花の冠を作りましょうよ!」
「はい、お姉様」
そんな姉妹のやり取りを見た使用人たちは、勝手に感動して目を潤ませる。わたしはその様子を気持ち悪いと思うのだけど、幼心にこの感情が理解されないことはわかっていた。
姉はいつも笑顔を浮かべ、温かな空気をまとっている。姉のまわりには自然とたくさんの人が集まり、和やかな空間をつくり上げていた。必然的に一番いいものはすべて姉が得ることになる。それは親からの愛情だって例外じゃなかった。
「おお! 冠を作ってくれたのだな。我が娘は器用で感心する」
「ルビーの冠は色とりどりで華やかね。編み込みもとても丁寧にできているわ」
姉の花冠からわたしの手元に目を移した母は、一瞬言葉に詰まり、ぎこちなく口を動かした。
「アクアマリンの冠は……年下なのによくできているわね。この調子で頑張りなさい」
両親はふたたび姉の花冠を手に取って口々に褒めそやした。わたしの作ったものにはとうとう一度も触れなかったから、背中に隠すようにして部屋に持ち帰るしかなかった。
ぐちゃぐちゃに踏み潰してゴミ箱に入れた花冠を見下ろしながら、唇を噛む。
(お姉様は、姉というだけですべてを手に入れている。人望もあって愛情もたっぷりと注がれて。あんたさえいなければ、わたくしがそれを享受できたのに!)
姉のように笑顔を振りまいてみたこともあった。素直で前向きな性格を真似てみたこともあった。けれども、わたしの手にはいつも手垢のついたものしかやってこない。「姉上に似て優しい王女殿下ですね」とか「花の妖精のような姉妹だ」とかのたまって、誰もわたし自身を見てはくれなかった。
この姉がいる限り、自分はいつまでも主役になれない。おそらく六歳ころには、本能的にそう確信していた。
だからといって自分の人生を諦めたわけじゃなかった。姉を引き立てるように一歩引き続け、虎視眈々と蹴落とすチャンスをうかがっていたのだ。
◇
姉が十歳を迎えたとき、最大のチャンスがやってきた。
王族は十歳になると『天星』を測定することになっている。天星とは天に輝く数多の星のなかから神がその子に応じて与える能力のことを指し、産まれ持っている力のことなのだけれど、幼い頃は能力が安定しないため十歳で確認の儀式を行うのだ。
わたしはあらかじめ、ここで姉を陥れることを計画していた。
実際の天星がなんであれ、王族として恥ずかしくなるような粗末な天星だった、と発表させるつもりで動いていた。
とても神様に顔向けできないようなことで測定担当の大神官を買収したのだけど、なりふり構ってはいられなかった。ここで勝負に出なければ生涯姉の影として生きていくよりほかなくなる。その理不尽さに比べれば我慢できる屈辱だった。
「ルビー第一王女の天星は、歴史上に例のない『毒使い』であった!」
そう公式に発表がなされたとき、わたしは心の底から安堵した。なぜなら大神官から真の天星を聞いたとき、わたしは目の前が真っ白になっていたのだから。
姉は『猛毒の大聖女』だった。大聖女とは数百年に一人しか出現しない途方もなく貴重な天星。
それが明らかになってしまえば、わたしは姉の影として死んだも同然の一生を送る羽目になっていた。
『毒使い』という能力は平和ボケした王族や大臣たちの恐怖を存分に煽った。あれだけ姉を溺愛していた両親も手のひらを返したように態度を硬くした。姉には勿体ない見目麗しい婚約者も、「婚約者が毒使いだなんて、僕の人生の汚点だ」とか喚いていた。心の底から愉快で笑いが止まらなかった。
(ざまあないわね、お姉様。これからはわたくしが人生を取り戻させてもらうわ。お姉様は今までが恵まれすぎていたのだから、悪く思わないでよね)
そうして姉は塔に幽閉され、世間体を気にする両親によって事故死したと発表された。”ルビー王女”はこの世からいなくなり、わたしが唯一の王女となった。
姉がいた場所の居心地は最高だった。みんなが大切にしてくれて、かしずいてくれる。両親も唯一の娘だと言ってわたしだけを見てくれる。姉はずっとこんな気持ちだったのかと思うと腸が煮えくり返ったけれど、どうせもう塔から出ることはないのだからと思えば溜飲が下がった。
そしてさらに運が向いてくる出来事が起こった。
十歳を迎え、例の大神官に天星を測定させたところ、わたしの天星は『擬態』であることがわかった。これもまた珍しい天星だと大神官は驚いていたが――運命だとしか思えなかった。
(お姉様が『大聖女』で、わたくしが能力を模倣できる『擬態』。これはつまり、そういうことなのだわ!)
姉がいる塔に向かって意識を研ぎ澄ませて祈りを捧げると、聖なる力が身体に流れ込むのを感じた。こっそりメイドに毒を盛って力を試してみると、瀕死のメイドが生還した。神のような力に身体が打ち震えた。メイドは涙を流してわたしに感謝した。
わたしは迷うことなく大神官に「アクアマリン王女の天星は『聖女』であった! 百年に一人といわれる稀有で貴重な能力である!」と発表させた。
大聖女、としなかったのは万が一の保険だった。聖女でも充分に褒めそやされて立場は保証されるから、余計な危険を冒す必要はなかった。
その日から、わたしの立場と発言力は揺るぎないものになった。みんなが頭を下げて恭しくするし、両親からもいっそう可愛がられるようになった。「ルビーが毒使いとかいう得体のしれない化け物だったときはどうしようと思ったけれど、あなたが聖女で誇らしいわ。この国の救世主よ」と抱きしめる母を、わたしもぎゅっと抱きしめ返した。
(お姉様の近くにいることで『模倣』が成り立つみたいだけど、吸い取った力を身体に蓄えることもできるみたいね。何年かかけて十分に力を蓄えたら、目障りなお姉様にはもっと不幸になってもらいましょう)
そうしてわたしは聖女として活動しつつ、姉から力を補充し続けた。聖女としての労働を一生続けるのは馬鹿げているので、引退して悠々自適に暮らすまでの年月を逆算し、暇をみては力を蓄えた。
七年の年月をかけて、わたしはとうとう完全体となった。
(限界まで力を蓄えたわ。これでわたくしは生涯聖女として崇められる存在になった……!)
もう誰もわたしの立場を脅かせない。大きな満足感に身体を震わせて勝利を確信した。
そうなるともう姉は必要ない。何かの拍子に塔から出てこられたら台無しなので、遠くへ追いやってしまうのが最善だと考えた。
(そういえば、お父様が「無礼な縁談が来ている」と怒っていたわね。魔の国ラングレーの野蛮な皇帝が相手だったかしら……)
これだ、とひらめいた。
魔の国ラングレーといえば、世界で最も貧しく恵まれない国と言われている。この国のスラム街より劣悪な環境だと噂されるほどの場所だったはずだ。
(お姉様には、わたくしの代わりにラングレーに嫁いでもらいましょう。遥か遠くの貧しい国で、野蛮な皇帝に蹂躙されるといいわ!)
頃合いを見て、毒使いだという情報を流してやっても良いかもしれない。恐れおののいたラングレー帝が姉に手をかけてくれたって構わないのだから。
姉を貶める計画を練っているときが一番『生』を実感した。自室の窓から不気味な塔を眺め、聞こえるはずもないのに饒舌になる。
「わたくしを悪い妹だと思うかしら? でも、全部全部お姉様がいけないのよ。悔しかったら自分の力で逆転してみせるといいわ。まあ、何もかもに恵まれた王女様には無理でしょうけどね。あはははは……!」
姉は正しい人間かもしれないけれど、この上なく愚かだ。
そして世の中は不公平だからこそ、自分のような人間にも運が傾く。
わたしは必ず幸せになれる。それはもう、疑いようのない事実だった。