五十九話
振り下ろされた巨大な鎌は、ダークドラゴンの翼によって弾き飛ばされた。
魔王とアクアマリンの間に割って入ったブラッキーの背からルビーは滑り降りる。床にうずくまる妹に駆け寄った。
「アクアマリン! 怪我はない? ああ、あなたも身体が赤くなっているじゃない。いま解毒を……」
「……っ。どうしてここまで……! 触らないでよっ!」
血走った眼で姉の手を振り払い、ヒステリックに叫んだ。
「ほう。さらに珍しい客が来るとは。今日は賑やかでいい」
魔王は呑気に闖入者を眺める。
「ラングレー帝に猛毒の大聖女か。大聖女が冥府に来るのは炎の大聖女以来だな。名はカイヤナイトだったか? 懐かしい」
「あなたが魔王か?」
セオドアは慎重に訊ねた。見た目は自分とさほど変わらない年齢の姿形をしているが、頭には二つの角が生えている。纏うオーラは間違いなく常人のそれとは違い圧倒的だった。
「さもありなん」
「……ラングレー皇国皇帝、セオドア・レオナール・ラングレーだ。急に押しかけて失礼した」
セオドアが丁寧に礼を取ると、魔王も面白そうにそれに習う。
「人間というのは案外礼儀正しいのだな。オレに名はないが、貴様の言う通り魔王と呼ばれている」
「わたしはルビーです。あの、さきほど猛毒の大聖女とおっしゃいましたが、ただの毒使いです。妹のアクアマリンを連れ戻しに参りました」
「いや、貴様は確かに大聖女だが? 魔王が人間ごときの力を見誤ることはない。ただの毒使いがダークドラゴンを使役できるはずがないだろう」
「魔王様。陛下もよく間違うのですが、ブラッキーは鳥でございます。よく食べるので立派に育ちました」
魔王は無言でセオドアのほうに顔を向ける。彼が無表情で首を横に振ると、ぷっと吹き出した。
「面白い、気に入った。どうだ、オレの番にならないか? 能力も胆力も充分に素質がある」
「つ、番ですか? お戯れを。こちらに伺ったのは妹を連れ戻すためです」
ルビーは困惑するが、からかわれているのだろうと思って妖艶な流し目を受け流す。
「妹に鎌を向けておられましたね。ご無礼を働いたのでしょうか」
「この聖女もどきか。オレに貴様たちの国を滅ぼせなど指図するし、我が同胞を貶める発言をしたのだから、当然の報いだ」
「聖女もどきとおっしゃるが、あなたにはこの女の本来の力も視えるのか?」
セオドアが訊ねると、アクアマリンはぎくりと身を震わせて青ざめた。
魔王は当たり前だと頷く。
「この女は一見聖女のようだが、生来の天星は『擬態』。成りすましているだけの偽物だ」
「「擬態?」」
セオドアとルビーの声が重なった。
「さもありなん。他者の能力を模倣して自分のものにできる力だ。猛毒の大聖女の力をまね、聖女として振る舞っていたのだ」
――セオドアはすべてに合点がいった。アクアマリンは息のかかった神官に自分の天星は『聖女』であると発表させ、実際は大聖女であるルビーの力を模倣することで能力を発揮していたのだ。
そうして初めてアクアマリンはルビーに勝つことができた。本来ルビーが享受するべきだったものをすべて自分が奪い、地位が盤石になると自分の身代わりにして厄介払いした。毒使いが実は大聖女だなんて、本人も周囲も絶対に気づかないはずだったから。
「しかし擬態は所詮偽りだ。己の肉体に見合わぬ過剰な能力を吸い続ければ、しだいに器は脆くなる。今の貴様は穴の空いたワイン樽も同然。力が出しづらくなっていたことさえ気が付かなかったというのなら、聖女を真似る資格さえない愚か者よ」
「……だからカイヤナイトの薔薇の浄化であのような差が出たのか」
「模倣して獲得した僅かな聖力さえ、男と交わることで汚してしまっているようだからな。この女にはもう、絞り粕のような力しか備わっておらぬ」
アクアマリンは苦虫を噛み潰したよう顔でうつむいていた。
「うぬぼれたな、まがいものの聖女よ」
ぴしゃりと真実を言い当てられて何も言い返すことができない。一方でルビーは「わたしが大聖女……? ほんとうに?」と信じられない表情を浮かべていた。
「話を戻すが、この女は我ら魔族を侮辱した。ただで返すわけにはいかぬ」
「お怒りはもっともだ。望みがあれば仰るがよい」
セオドアが問うと、魔王は不敵に笑む。
「人間ごときに魔族の問題が解決できるとは思わぬが……。まあいい。猛毒の大聖女の力を見てみるのも一興だ」
魔王が指を弾くと、一同は城から転移した。