Side アーノルド
「ルビー殿下は大聖女かもしれないですって? 」
弟のような存在からそう聞いたのは、アクアマリンが違法な魔法陣でルビーを連れ戻そうとした日の深夜だった。
折いって話があると、珍しくセオドアが執務室を訪ねてきたのだった。
「こんな時間まで仕事をしているとは。いつの間に仕事人間になったんだ?」
「忙しすぎるせいで女性に振られてしまいまして。今はここが家のようなものですよ」
「勝手に住みつくな。公爵家の屋敷はすぐそこだろう」
「父上も母上も隠居してしまってますからねえ。屋敷に帰っても孤独なので、仕方なく陛下のお側にいるんですよ」
「頼んでないぞ。俺に構っていないで早く身を固めたらどうだ?」
そんな軽口を叩きあったあと飛び出したのが冒頭の発言だった。突拍子もない話にアーノルドは当惑する。
「聖女のような力を持つ『毒使い』ではなかったのですか? 少なくともわたくしは、その考え方に矛盾は無いと感じていますが」
「俺もそう思っていたのだが……まあ聞いてくれ。最初に違和感を抱いたのはサウス・ハーバーだった」
セオドアは語り始めた。
それはサウス・ハーバーの市立病院で、ルビーが五人の患者を解毒したときのこと。
セオドアはそれまで、ルビーが祈りを捧げて解毒する姿は背後や横方向から見守っていたが、このときは「住民に皇妃の力を観てもらう」場だったため、正面から彼女の祈りを見る形になっていた。
そのとき、祈りを捧げるルビーの額に痣のようなものが浮かび上がったのだという。
「痣の形に見覚えがある気がしたのだが、祈りが終わるとすぐに消えてしまい、旅の途中ということもあって調べることができなかった。帰ってきてからはアクアマリン王女の対応に追われ、このことは忘れかけていたのだが……」
それが今日、ルビーとアクアマリンがいるログハウスに突入したとき、また一瞬だけ浮かび上がっていたという。
「あの二人の間でどのようなやり取りがあったかは分からないが、おそらくルビー王女は連れ去りに強く抵抗していたのだろう。無意識に天星が発動しかけていた可能性がある。そしてすぐに痣は消えてしまった」
「よく気が付きましたね。わたくしは見逃してしまったようです……」
「一回目の痣と同じ形だったし、やはり俺はどこかで知っている形だと思った。今さっき城の図書館で調べてきたのだが……」
セオドアは持ってきた本を執務机に置いた。分厚くて古めかしい、歴史を感じるものだった。
「これは……大聖女にまつわる伝承や資料をまとめたものですね」
「ああ。皇族にしか閲覧権限がない禁書庫の蔵書だ」
本のページを繰ると、色褪せた挿絵が現れる。花の形を模したモチーフだ。
「ルビー王女の額にあらわれたものと同一だ。そしてこの書によると、大聖女カイヤナイトの額にもこのような痣があったらしい」
「――――! それは……にわかには信じられないですね」
アーノルドは目を見張った。ラングレーの偉大な大聖女と同じ痣を持つなんて、偶然にしたってあり得るのだろうか?
「更にだ。これは一般に知られていることではあるが、みな等しく光属性を持つ聖女と違って、大聖女はおのおの属性を持つ。カイヤナイトは炎属性で、他の大聖女には氷属性や雷属性の者もいた。聖女の比較にならないほど圧倒的な力を持つが、それゆえ諸刃の剣とも言われる。つまり――」
「ルビー殿下は毒属性ではないか、とおっしゃりたいのですね?」
「そういうことだ」
二人は黙り込んで腕を組む。ことのスケールは自分たちが考えていたよりずっと大きいのかもしれない。もしかしたら今、歴史が変わる渦中にいるのではないか。そんな感情で胸の奥がざわざわとした。
だからこそ、判断には慎重を期す必要があった。セオドアは再び書物に手をかける。
「ルビー王女が大聖女なのかどうかを確かめるために、明日の浄化課題は急遽変更することにした。畜産施設ではなくカイヤナイトの薔薇をやってもらう。この書によれば、大聖女の装具を浄化できる者もまた、大聖女に限られると書いてある」
「なるほど……。それは確かに良い考えです」
三百年前に身を挺して魔王を封じた大聖女カイヤナイト。その際に彼女の薔薇は輝きを失い、今日まで神殿の宝物庫で眠っている。
見事ルビーが浄化できたなら大聖女だという証明になるし、そうでなければやはり毒使いだということになる。
「そしてここからはアクアマリン王女の話になるが――」
セオドアはぱたんと書物を閉じた。
「明日の勝負でアクアマリン王女が負けた場合だが、あの性格で素直に受け入れるとは思えない。逆上して次の手を打ってくると考えたほうがいい」
「同感です」
アーノルドも頷く。
「再びルビー殿下を狙うか、あるいは陛下を標的にする可能性もあるかと。ルビー殿下の場合、ご自分ではなく周囲の人間をターゲットにしたほうがダメージを与えられそうです」
「俺としては後者の可能性が高いと思っている。いずれにしろルビー王女には普段の倍の護衛をつけるつもりだ。矛先が俺になるような動きをして、アクアマリン王女の手に乗ったと見せかけて油断を引き出したい。あの女はまだ隠していることがあるはずだ」
「……杞憂かとは思いますが、ご自身の安全には注意してくださいよ。あなたは皇帝なのですから」
ふっと嫌な予感がよぎったアーノルドは、普段は言わないような心配を口にする。しかしセオドアは一笑に付した。
「身を案じられるほど勘は鈍っていない。おまえはこの部屋でのんびり待っていろ。王女を投獄するにしろベルハイムに送り帰すにしろ、一仕事が待っているのだから」
「……減らず口はずっと変わりませんね。頼みましたよ」
「もちろんだ。必ず明日、決着をつける」
話を終えたセオドアは立ち上がる。そのまま部屋を出ていこうとしたのだが――。
「陛下、書物を忘れていますよ」
「あ、すまん」
机に残された書物をいそいそと取りに戻ってくる様子を見て、アーノルドは「……ふぅん」とニヤニヤしながら小首をかしげた。
「……さては、なにか良いことがありましたね? 教えてくださいよ」
「いきなりどうしたんだ。別に、なにもないが」
そっけなく答えるセオドアだが、耳が赤くなっているのを幼馴染は見逃さなかった。
「隠し通せると思っているところが可愛らしいですけどね。ルビー王女と上手くいったんですか?」
「…………」
「おめでとうございます。宰相としてではなく、友人として心から嬉しいですよ」
書物を回収したセオドアは足早にドアへ急ぐ。そして去り際に一言、
「……心配かけたな」
それだけ呟いて部屋を出ていった。
一人になったアーノルドは机の引き出しから酒瓶を取り出し、しみじみとした表情でグラスに注ぐ。
「……ゾイエル陛下。セオドア陛下が幸せになるのを見届けるまで、わたくしも結婚しないとお約束しましたよね。どうやら御子息のその日は近そうですよ。ご覧いただけないことだけが悔やまれます」
グラスを掲げた先には、小さな絵姿が。家族写真のように壮年の男性と青年二人が描かれている。セオドアだけは仏頂面をしているが、その父とアーノルドは凛々しくも自然な笑顔を浮かべていた。
「しかし、近頃はあなた様のように一人で気楽に過ごすのも良いものだと思うようになりました。わたくしも歳を取りましたね……」
一気に酒を煽り、絵姿に語りかける。
「陛下のことは、これからもお任せください。明日無事にお帰りになれば、穏やかな日々が続くはずですから……」
次の酒を注ぎ、再び乾杯する。
穏やかな夜が過ぎていったが――。翌日に早馬でもたらされた凶報に、アーノルドは色を失ったのだった。