五十一話
魔法陣の光を反射した簪がギラリと光り、ルビーの細い首に向かって振り下ろされたとき――。
――ログハウスが轟音を立てて爆ぜた。
木の葉となった木片が、ばらばらと舞う。
玄関側の壁やドア、天井までもが完全に吹き飛び、居室は剥き出しになった。
「――――!?」
瞠目するアクアマリンとルビー。
舞い散る木片や粉塵のなかに浮かび上がったのは四つの影。エマとブラッキー、そしてセオドアとアーノルドだった。
「……城の中は自由に見ていいと言ったが、勝手に外出されては困るな。――アクアマリン王女」
底冷えするような声に、熾烈な怒りが滲む金色の瞳。
アクアマリンははっとして振り上げた簪を背中に隠した。
「あの……これは……。お姉様がここに住んでいると知り、つい懐かしくなってしまいまして……」
「陛下! この女は嘘をつきました。わたくしにはベルハイムの古い友人だと言って案内させたんです」
「いずれにしろ感動的な再会にはとても見えませんね。見張りの騎士から報告を受けて、駆け付けて正解でした」
ルビーはアクアマリンによって壁に押し付けられたままの状態だ。ダイニングテーブルには茶の一つも出ていない。
ダークドラゴンの咆哮で吹き飛ばされたのか、ベルハイムに通じる魔法陣は消滅してしまっていた。
「説明してもらおうかアクアマリン王女。嘘をついた理由と、ルビー王女に迫っている理由を。内容によってはベルハイムとの国際問題に発展することになるが」
「なっ……! 陛下は昨日仰っていたではないですか。お姉様は晩餐会にふさわしくないから呼ばなかったと。こんな森の奥に追いやっているのだから、どうなろうと知ったことではないのでは!?」
すべてがバレていることを知ったアクアマリンは焦りから言葉を乱す。どいつもこいつも、どうして自分の邪魔ばかりするのだろうと苛立った。
「それは大きな間違いだ」
対するセオドアは淡々と追い込んでいく。
「君が祖国でルビー王女にしていた仕打ちはすべて把握している。だから君と引き合わせるのは、ルビー王女にとってふさわしくないと判断した。王女は俺にとって必要不可欠な存在だから、勝手に帰国の話を進めてもらっては困る」
「しかも脅して非合法の手段を使うなんて。もってのほかですよ?」
アーノルドがにこりと微笑んでみせるが、目は一切笑っていない。
アクアマリンの額に冷や汗が滲む。形勢が不利だと判断し、乱れた態度を理性でなんとか立て直す。
「……失念していましたが、父からは買い戻しの金貨を預かってきております。お受け取りください」
「金の問題ではない。それに買い戻すという表現は不愉快だ。ルビー王女は物ではない」
「失念と言ったけど、本当かしら。くすねるつもりだったんじゃないですか?」
エマが怒りを隠さず言い放つ。
(メイド風情が……! 誰に口を利いているのよ……っ!)
額に青筋がピクピクと動くが、聖女としての矜持がまだギリギリ理性を引き止めていた。
「他になにか申し開きはありますか?」
アーノルドの言葉にアクアマリンはぎりりと奥歯を噛む。このままではまずい。
どうすれば無傷でこの場を切り抜けられる? 自分は何も悪くない。お姉様が駄々をこねなければ今ごろベルハイムに帰還できていたはずなのにッッ――。
「あのー……」
膠着状態のなか、初めてルビーが声を上げた。
「わたしのことなら大丈夫です。妹は祖国で多忙な日々を送っていたみたいですし、慣れない旅で調子を崩していたんでしょう。誰でもイライラすることはありますから、あまり深刻に考えないでください。帰国の話はわたしからも断りましたし、どうか穏便に済ませられないでしょうか?」
「おっ、お姉様……っ!」
――そうだわ。お姉様は馬鹿なのだったわ!!
アクアマリンは感動した様子でしらじらしくルビーに抱き着き、偽りの涙を絞り出した。
「見境のないことをしてしまって本当にごめんなさい。お父様からお姉様を連れ戻すよう強く言われていて……焦ってしまったの。どうか許してね」
「まあ、お父様の命令だったの?」
「わたくしも詳しくは知らないのだけど、お姉様の力が必要みたい。今ベルハイムは瘴気の影響で大変なことになっているから……」
――やはり毒使いの力が目当てだったか。セオドアとアーノルドは豹変したアクアマリンに白けた顔を浮かべながら、互いに視線を交わらせた。
「でも、それは変ね。あなたは立派な聖女でしょう? 瘴気が原因なら、あなたがいれば何も問題ないのではなくて? さっきも言った通り、わたしはずっとラングレーに居たいのよ」
地雷を踏み抜く質問に、抱き着きながらアクアマリンはひどく顔を歪ませた。
「ルビー王女の言う通りだ」
セオドアが続ける。
「君はベルハイム王国を守護する聖女だ。その力を今回我が国にも貸してくれるという話で来てくれたのだろう? だがまあ、いろいろ外には出せない事情もあるのだろう。そしてなによりルビー王女の妹だから、こちらとしても大事にしたくない気持ちもある。そこで提案だが、一つ取引をしないか?」
「取引? どういったことでしょう」
アクアマリンは用心深く訊ねた。
「明日約束の浄化に向かうことになっているだろう。そこで要は君がルビー王女より優れているということを証明してほしい。そうすれば無理やりルビー王女を連れ帰る意味はないはずだ。俺からもベルハイム王に証明の親書を出すし、さきほど違法な魔法陣を使ったことも不問にしよう」
「宰相として申し添えますが、これは超法規的措置です。ここだけの話にさせていただきたいため、今すぐお返事を」
アクアマリンは考える。
現行犯で転移魔法使用の現場を目撃されてしまった以上、ジークハルト一人に罪を負わせることは難しくなった。自分も国際法に則ってラングレーで身柄を拘束され、ラングレーの法律によって裁かれることになる。聖女でありながら罪を犯すというのは前代未聞の醜態であり、父からも厳しく叱咤されるだろう。
(ーーわたくしがお姉様に負けることはあり得ないから、そこは大丈夫ね。お父様の説得はセオドア陛下がするのならそちらも問題ない。利益しかない取引だわ。呑まない選択肢はないわね)
「わかりました。温情に感謝いたします」
「よかったわねアクアマリン! 言ったでしょう、陛下は優しい方だって。もう二度と騒ぎを起こしてはだめよ」
「はい、お姉様」
あんな目に遭ったというのに、この女はどこまで脳内お花畑なのかしら?
刺しても刺しても死なないゾンビのように思えてきて、やはり化け物なのではないかと思えてくる。
アクアマリンは唇の端を引き攣らせながら、ルビーの横顔をねめつけた。
(……ずいぶん陛下に気に入られているのね。身体ででも籠絡したのかしら? ほんとうに目障りだわ。このまま引き下がると思ったら大間違いよ。連れ戻すことはできなくても、あんたの大切なものを奪ってやる)
アクアマリンはぐっと拳を握りしめ、唇を噛むのだった。