五十話
「気味の悪い森ね。ここにルビー様が住んでいるの?」
「はい。紆余曲折あって今はこちらに」
森の手前で馬車を降りたエマとアクアマリン。この先は徒歩で進むことになる。
半年間留守にしていたため、ログハウスに至る獣道は草が茂って足場は悪い。髪に当たる木の葉やツタを振り払いながら、アクアマリンは心のなかで悪態をついた。
(靴とドレスが汚れるじゃないの。髪も崩れてしまうわ。お城に住まわせてもらえないのは当然だけど、お姉様のせいでわたくしが被害を被るのは腹立たしいわ)
しばらく進むと、池のほとりに建つログハウスが見えてきた。玄関の前まで来るとエマは得意気に腕で家を指し示す。
「こちらでございます。ルビー様を驚かせますか?」
童話に出てくるようなこぢんまりとしたログハウス。よく手入れされていて、住み心地のよさそうな家だった。
――お姉様のくせに、こんな家に住んでいるなんて生意気だわ。
アクアマリンはパチン、パチンと扇子を手のひらに打ち、いやらしく口元を歪めた。
「自分が化け物だってこと、思い出させてあげなきゃね。お姉様」
「――えっ?」
エマの表情が抜け落ちる。アクアマリンは素早くドアノブを掴んで身体を滑り込ませる。エマの鼻の先でバタンとドアを閉めて鍵をかけた。
入ってすぐのダイニングテーブルで編み物をしていたルビーは、慌ただしく入ってきた人物を見て目を丸くする。
「えっ……!? アクアマリン? あなたなの?」
「久しぶりね、お姉様」
ぎらりと妖しく瞳を光らせるアクアマリン。背後のドアは激しくノックされ、「開けてください! ご友人ではなかったのですか!? お逃げくださいルビー様っっ!!」とエマが叫んでいる。
「迎えに来たのよ。化け物のお姉様はベルハイムで引き取ることが決まったわ。わたくしと一緒に帰りましょう?」
「ずっ、ずいぶん急な話ね。それよりあなたはいつラングレーに? びっくりして心臓が止まるかと思ったわ」
「そのまま死んでくれてもよかったのに。そうすればわたくしの地位は揺るがない」
冷え切った声。いつもと違う様子の妹にルビーは困惑する。
「アクアマリン……。長旅の疲れが溜まっているのね。とにかく今お茶を淹れるから、座って話をしましょう。この国はとてもいい所だから、ゆっくり休めば気分も晴れるわ」
台所へ向かうルビーの後ろ髪を、アクアマリンは思い切り引っ張った。
「痛っ……!?」
「そういう呑気なところが昔から気に食わないのよ!」
ぐいぐいと引っ張りながら、壁に姉の肩を乱暴に押し付けた。訳が分からないルビーの瞳には動揺の色が滲んでいる。
「アクアマリン、あなた変よ。具合が悪いのではないかしら?」
「調子が悪いのはお姉様の頭でしょう。人の心配をする前に自分の心配をしなさいよ」
ルビーの異変を感じ取ったマイケルが巣穴から飛び出してきて、アクアマリンに突進する。しかし彼女の周りに張られている目に見えない結界に弾き返され床に転がった。
「マイケル! 大丈夫!? わたしは大丈夫だから、あなたは巣穴に戻って!」
「……まだこんな薄汚い生き物を飼ってたのね。ほんっと、いつまで八方美人をしているつもりなのかしら」
アクアマリンはポケットから扇子を取り出して広げる。その内側には複雑な魔法陣が描かれていた。
「一度きりならベルハイムまで直接転移ができる魔法陣よ。お姉様の元婚約者に命じて描かせたの。あの男ったら、わたくしが頼めば何でも言うことを聞いてくれるのよ」
「ジークハルト様が?」
「ええそうよ。お姉様のせいで婚約破棄されてしまって哀れだから、わたくしがお世話してあげているの。心を許した人間にはとても忠実でおかしいったら」
くすくすと笑ったアクアマリンは扇子に目を戻す。
「転移魔法を他国内で使うのは重罪だけれど、もうどうでもいいわよね。罰せられるのはわたくしではなくあの男なんだから。――さあ、わたくしと一緒に帰りましょう」
魔法陣に手のひらを押し付けると、それは体温に呼応するように光を放った。二人の足元に同じ模様の陣が現れまばゆい光に包まれる。ルビーは大慌てした。
「わっ、わたしは帰らないわ! この国でセオドア陛下の力になると決めたの!」
「お姉様の気持ちなんてどうでもいいの。これは家族で決めたことなんだから」
「落ち着いてアクアマリン! まずは話し合いましょう! いくらなんでも急すぎるわ!」
なおも騒ぎたてるルビーに向かって「ああうるさい」と舌打ちをする。アクアマリンは自分の髪に飾られた豪奢な簪を一つ抜き、姉に向かって振りかざした。
「鈍感なお姉様なら、多少の傷みは平気よね。ベルハイムに着いて気が向いたら治してあげる」
魔法陣の光を反射した簪が、ギラリと光った。




