四十八話
ラングレー皇国到着後、取り急ぎセオドアへの挨拶を終えたアクアマリンは、自分の荷物の元に戻ると、ラングレー側があてがったメイドに訊ねた。
「早く部屋に案内してちょうだい。ここは賓客が過ごす部屋ではないわよね?」
城の中なのに、なぜかベルハイムの馬小屋よりみすぼらしい部屋に通されていた。馬が二頭入ればぎゅうぎゅうという狭さだし、床には絨毯などなく老朽化した板材がむき出しになっている。見るからに硬そうなベッドには薄い布団が一枚かかっているだけだ。当然、高級な香など焚かれているはずもなく、かび臭い湿った匂いがしている。
明かにこれは自分が滞在する部屋ではない。一時的に過ごすにしたって不快な環境だと思ったのだが――。
「申し訳ございません。こちらがアクアマリン殿下のお部屋でございます」
メイドは頭を下げた。
「ご存じの通りラングレー皇国は貧しいのです。どの国からの賓客様にも、このお部屋で過ごしていただいております」
「じょっ、冗談よね?」
「高貴な聖女様に冗談など申しません」
アクアマリンは「最悪だわ……」と頭を抱えた。ラングレーのお粗末さは想像以上。こんな汚らしい部屋にずっと滞在するのかと思うと、早くもベルハイムに帰りたい気持ちになった。
「……仕方がないわね。もう下がっていいわ」
「かしこまりました。晩餐会のお時間になりましたら、またお迎えに上がります」
田舎っぽくて目障りなラングレーのメイドを追い出すと、トランクに詰めて持ってきた高価なハンカチをベッドの上に敷き、その上に腰を下ろす。
(とっとと用事を済ませて帰りましょう。住んでいるだけで臭くなりそうな国だわ)
この国に来た目的――聖女として形だけラングレーを浄化すること。お姉様を連れ帰ること。そして、セオドア陛下をお姉様から奪うこと。
それらを頭のなかで確認しながら、アクアマリンは意地悪く微笑むのだった。
◇
アクアマリン一行の歓迎晩餐会は皇城の大広間で執り行われた。縦長の大テーブルの右側にセオドアを始めとするラングレーの重臣たちが並んでいる。ベルハイムは左側に通された。
美しく着飾ったアクアマリンは、同じく荘厳な騎士服に身を包んだセオドアを見て機嫌を取り戻す。魔の国の皇帝でなければ結婚してやっていいもと思うくらい、男らしくて麗しい姿形だった。
彼の向かいの椅子に着席しながら訊ねる。
「ところで陛下。お姉様の姿が見当たりませんが、どちらにいらっしゃるのですか?」
「ルビー元王女はこの場にふさわしくないため呼んでいない。彼女は彼女で忙しいから、気にせず滞在を楽しんでほしい」
――自分を虐げた妹と顔を合わせる必要はない。何も知らずに魔の森でスローライフを楽しんでいればいい。
セオドアはそういう思いで答えたが、アクアマリンは表向きの意味で受け取って嘲笑を浮かべる。
「お姉様は世間知らずですからご迷惑をおかけしているでしょう。祖国にいるときも家族は尻ぬぐいで大変でしたのよ。ふさわしくないとお思いとのこと、姉に代わってお詫び申し上げます」
「……君が謝る必要はない」
「陛下はお優しいのですね」
アクアマリンは上機嫌だ。セオドアと姉が仲睦まじい様子だった、という報告は誤りだったのだ。あるいは二人はもう上手くいっていないに違いない。
「ですが陛下。ろくでなしでもたった一人の姉なのです。久しぶりに水入らずで過ごしたいので、滞在中に会う時間をとっていただけませんか?」
上目遣いの懇願に、セオドアはじっと彼女の桃眼を見つめた。心の内まで見透かされそうな強い眼差しに、アクアマリンの胸はどくんと高鳴った。
「……聖女の頼みとあらば、考えておこう」
「感謝申し上げます。――ちょうどお食事が運ばれてきましたわね。わたくし、どんなお料理が食べられるか楽しみにしてきましたの」
頬を染めたアクアマリンは運ばれて来た皿に目を落とす。そしてぴたりと固まった。
「……これは? なぜ犬の餌がここに……?」
皿に山盛り乗せられているのは芋、芋、芋。その上にはみすぼらしい野菜の切れ端や肉片が適当に振りかけられている。こんなものを食べている人間なんてベルハイムにはいない。
厨房や配膳に手違いがあったのではないか? そうに違いないと思って顔を上げたものの、セオドアはむしゃむしゃと料理を咀嚼していた。
「皇帝が食べるものだから、犬の餌ではないぞ」
「あ……。しっ、失礼いたしました。文化の違いに戸惑ったのです。お許しください」
「最初は皆そう言うものだから、気にしなくていい。見た目より美味いから残さず食べるといい」
「お心遣いに感謝します」
まったく気乗りせず間延びした動きでフォークを口に運ぶアクアマリン。見た目より美味しいという言葉だけが頼りだったが、どう考えても見た目通りかそれ以下の味だった。
(――不味いわ。香辛料も砂糖も使われていないじゃない。ラングレーでは皇帝でも犬の餌を食べざるを得ないのね……)
ざらざらとした芋の食感が舌に残る。芋は太るから嫌いなのに。とろけるような赤身のお肉とか、よくグリルされた緑黄色野菜とか、完熟のフルーツや金箔の乗ったお菓子を出しなさいよ。
聖女の自分が、こんなゴミみたいな食事を摂取することが耐えられなかった。何度もえずきそうになったものの、セオドアの手前吐き出すことは絶対にできなかった。
「……申し訳ありません。緊張しているためか、もう十分でございます……」
弱々しくカトラリーをテーブルに置いた。
「聖女は食欲まで慎ましいのだな。食後に甘味を用意しているがどうする?」
「甘味! ではせっかくなので、そちらはいただきます」
運ばれてきたのは蒸した特大の芋にバターが乗せられたものだった。甘味に分類されるのかも怪しい高カロリー食品に、アクアマリンは愕然とする。
「我が国でバターは高級品だ。聖女のために特別に用意したものだから、ぜひ味わってほしい」
「あ……はは……」
これ以上食事を残すとセオドアの心象を損ねることになりかねない。姉から奪い取る計画にも支障が出る。
アクアマリンは心の中で汚い言葉を吐きながら、苦悶の表情で芋のバター乗せを食べきった。
散々だった晩餐会を後にして居室に戻る。馬小屋なみに貧相な部屋を見ていっそう苛立ちは募った。
「悪夢だわ。食事も部屋も最底辺。いい加減にしてよっ!」
噛みつくようにメイドを振り返る。
「湯あみにするわ! なにもかもが汚らわしい。浴室はどこ!?」
「こちらにお湯がございます」
メイドはなみなみと水が入った桶を差し出した。
「……はあ? これでどうやって湯あみをするというの」
「我が国で清浄な水は貴重でございます。アクアマリン王女殿下は優れた聖女だからとの陛下の指示で、ご自分でこちらを浄化していただき、この手巾でお身体を清めていただくよう言いつかっております」
わなわなと震えるアクアマリンを残して、メイドたちはさっさと退室した。ベルハイムから同行している侍女たちも、青筋を立てるアクアマリンを刺激しないよう、こっそりと部屋を去る。
「……こんなもの要らないわよっ! 寄ってたかって聖女聖女って! わたくしを敬ってから言いなさいよ!」
アクアマリンは力任せに桶を蹴り倒す。溢れた水が静かに床を濡らしていった。




