四話
ふかふかの毛布に、窓から差し込む柔らかな光。鼻腔とお腹を刺激する美味しそうな香り。
目を覚ましたルビーは、一瞬自分がどこにいるのかわからなかった。
「……そうだわ。ラングレー皇国に嫁いできたんだった」
真っ白な寝具から身を起こし、着替えてリビングに向かう。メイドが朝食の準備をしているところだった。
「あ……。お着替えをお手伝いできなくて申し訳ございません。おはようございます」
「手伝ってもらわなくても着られるわ。だってこれ、頭からかぶるだけだもの。簡単でいいでしょう!」
ルビーはとても王女とは思えない質素なワンピースを着ていた。メイドはもの言いたげに口を開いたが、すぐに閉じた。
「食事の支度をありがとう。素敵なお家にご飯までいただけるなんてセオドア陛下は親切ね! そうだ、あなたのお名前を教えてくれる?」
「エマと申します」
「エマね。あら? 昨日はもう一人いたと思ったのだけど」
赤毛のエマと、もう一人茶髪のメイドがいたはずだと周囲を見回すが、姿はない。
「……もう一人のメイドは別の部署に配置換えになりました。ルビー様のお世話はわたくしがさせていただきます」
「ずいぶん急なのね。まあいいわ。エマ、これからよろしくね!」
「精一杯お勤めさせていただきます」
昨日までの城内では「アクアマリン王女」のお世話係は一番人気だった。王女に気に入られて取り立てられれば、一気に出世することができる。
しかし実際にやって来たのは偽者だとわかり、あっという間に希望者はいなくなった。逃げ遅れて役目を押し付けられたのが、この二人だったというのが事の顛末である。
ただでさえ「偽物王女」に仕えるなんてハズレの役割なのだ。そのうえポイズンラットなどという得体の知れない動物までいるのだから、モチベーションの低いメイドが逃げ出すのも無理なかった。
エマとて好きでここにいるわけではない。一人減ったぶん僅かだが給与が上がったので、実家に仕送りする分が増えると思って残っているだけだった。
エマが並べた朝食は、ルビーにとってはごちそうだった。
「このパン、すっごく柔らかいのね! お芋を蒸したやつもすごく美味しいわ。えっ、まだスープもある? とんでもないご馳走じゃないの。悪いわねえ」
「……」
エマは至極複雑な心境だった。この朝食はラングレー皇国基準ではスタンダードな内容だけれど、外国からの賓客には大不評。エマは外国に行ったことがないから直接見聞きしたわけではないものの、普通の王族はもっと豪華な朝食をとるということは知っている。中央諸国から来る使者などわざわざコックを帯同し食材も持参したりと、この国の食べ物には一切手を付けない始末なのだから。
「ラングレーは瘴気に覆われ土も痩せておりますので、このホッフェン芋くらいしか安定して採れないのです。三食に必ず入りますので、すぐお飽きになると存じます」
この偽者王女は、ただ物珍しく思っているだけに違いない。そんな気持ちを抱いたからか、ちょっと意地悪な物言いになってしまったとエマははっとする。
けれども、ルビーは特に気分を害していなかった。
「そうなの。でも、草よりずっと噛み応えも栄養もあるから十分よ。飽きるだなんて贅沢なことにはならないわ」
草……? とエマは不思議に思ったが、貴族のジョークだろうとスルーした。
「さあエマも一緒に食べましょう。温かいというだけで一段と美味しく感じるわよ!」
「わたくしはメイドですので、主人と食卓を共にはいたしません」
「気にしなくって大丈夫よ。このお家にはわたしとあなたしかいないのだし。それとも、もう食事は済ませちゃった?」
「いえ、まだですが……」
というよりエマは経済的事情から朝食は抜いていた。城で支給される昼食と夜食の一日二食で日々生活している。
実を言うと、さきほどから小さくお腹が鳴きっぱなしなのだ。ルビーに気付かれまいと必死で腹筋に力を込めている。
「じゃあちょうどいいじゃない! メイドが一人で仕事も大変だろうし、朝食は一緒に食べましょう」
「し、しかし」
「わたしはいつまでここにいられるかわからないもの。食事がてら、いろいろこの国の話を聞かせてもらえない?」
渋るエマの手を引き、ルビーは自分の向かいに座らせた。
「それに、こんなにたくさんは食べられないわ。朝食だけで一日分くらいの食糧を支給いただけるなんて、セオドア陛下は太っ腹なのね」
いたって普通の一人前だと思いますが……。とは言えなかった。
さきほどの「草」発言といい、エマはルビーの言動に引っかかりを感じていた。
到着の場に居合わせたメイドから聞いた「幽閉されていた」というのは事実なのだろうか? そのメイドは「陛下の気を引く嘘に決まっている」と言っていたけど……なんの確証もないものの、エマにはそうは思えなかった。
考え込んでいるうちに、エマの前には皿が置かれ食事が取り分けられていく。
「いただきましょう! ああ、パンがふわふわで幸せ……」
幸せそうな顔で頬を押えるルビー。
そんな主に戸惑いながらも、エマはそっと蒸し芋に手を伸ばしたのだった。