四十三話
四つ目の街の訪問も無事に終わり、あと一つの訪問地を残すのみとなった。
とはいえ、一行は北東へ進み続けてほとんど皇都まで帰り着いていた。遠くに見える皇城を懐かしそうに眺めていたルビーは車内に目を戻し、膝の上に広げた地図に視線を落とす。
「最後はクリムガルド砦……ですよね。地図では皇都の向こう側で飛び地の表記になっていますが……」
対面に座るセオドアが頷く。
「クリムガルド砦は冥府のすぐ近くに位置している。魔の森の最深部にあるから地図に入りきらないのだ。砦を訪れる一般人はまずいないから、正確な位置を載せる必要もない」
「街ではないのですね」
「ああ。しかし、この国のどこよりも重要な場所だ。皇妃として君には知っておいてもらいたい」
この世界を脅かす冥府に対峙する最前線。そこにはラングレー皇国の中で最も厳しく苛酷な状況があるとセオドアは言った。
視察に物資の補給も兼ねるということで、一行は皇都郊外の騎士団駐屯所で連絡の馬車と合流する。そこには宰相アーノルドの姿があった。
「陛下! ルビー殿下! お久しぶりです! 脳筋の陛下は当然として、ルビー殿下と眷属の皆様もお元気そうで安心しました」
「なんだそれは。俺は一応おまえの上司なんだが?」
「先帝がお亡くなりになるまで執務机に座ったことなどなかったくせに。書類仕事より身体を動かすほうが肌に合っているのは事実でしょう?」
「性格の悪さに拍車がかかっているな。よほど暇で仕方がなかったとみえる。幼馴染のよしみで特別に仕事の量を増やしてやろう」
「子供みたいなことをする男は女性から嫌われますよ」
セオドアはぎくりとしてルビーの存在を思い出す。こわごわと目を向けると、彼女はニコニコと微笑んでいた。
「ふふっ。お二人はほんとうに仲良しなんですね! あっ、安心してください。わたしは陛下のことがいつでも大好きですよ。嫌ったりなんてしません」
その言葉に、セオドアとアーノルドは雷が走ったような衝撃を受ける。一足早く立ち直ったのはアーノルドだった。
「あの、ルビー殿下。この脳筋堅物陛下のことをお好きと仰いましたか?」
「えっ? はい。わたしはずっとそういう気持ちですけど……」
「おお神よ……ついに陛下にも春が来たのですね……!」
ルビーはただ単に、『人として』大好きであると言ったのだが、アーノルドは二人が恋人関係に発展したのだと思い込んだ。
旅はやはり人と人との距離を縮めるのだなあとしみじみ感じ入る。急いで付近の部下に何事かを耳打ちし、すぐにまた戻ってきた。
「陛下、今日はこの駐屯地で一泊しましょう。今までの報告も伺いたいですし皆にも休息が必要です。……っておーい、陛下聞いてますか?」
「――あっ、ああ。すまん。どうした?」
「顔が真っ赤ですよ? とても二十四歳の成人男性とは思えませんね……。今日はここで一泊してはどうかとご提案したのですよ」
「日程的には余裕がある。問題ないだろう」
「ルビー殿下もよろしいですか?」
「はい、まったく構いません」
そういうわけで、一行は急遽この地で一泊することになった。
皇都に帰ってきた安心感から、ルビーと眷属たちは駐屯地の演習場を借りて思い切り身体を動かした。
セオドアはこれまでの旅路で起こった出来事をアーノルドと共有した。おおまかなことは随時早馬で報告していたものの、詳しい内容――おもにルビーの能力について把握したアーノルドは「我が国の救世主ですね!」と感激しきりだった。
「――いやあ、陛下もやりますね。旅に出発したときはどうなることかと思いましたけど、相思相愛になって戻ってくるとは想像以上です。名実ともに夫婦になったのですから、なにも憂いはなくなりましたよ」
駐屯所のとある一室。一連の真面目な話を終えたアーノルドはからかい混じりに喜色を浮かべる。
しかし、セオドアは気まずそうな顔をしてふいと目を逸らした。
「あれっ、陛下? 嬉しくないんですか?」
「……相思相愛ではない。ルビー王女は何も考えていないだけだ」
「…………は?」
一転して般若のような顔になるアーノルド。ゆっくりと椅子に座り直して笑顔を張り付け、顎の下で手を組んで上司に詰め寄った。
「先ほど陛下のことを大好きだと仰っていましたが?」
「おそらく……人としてということだろう」
「陛下はルビー殿下がお好きなんですよね?」
「……そうだ」
「それはきちんと伝えたんですか? 俺は君が好きだとかなんとかって」
「はっきりとは言ってない……気がする……」
「この腑抜け皇帝が」
悪態をついたアーノルドは、現状を正確に理解した。
「ルビー王女はいい意味で鈍感すぎるお方です。陛下の気持ちは伝わっていませんね」
「いや……俺なりに言葉と態度には出していたんだ」
「言い訳は結構です」
ぴしゃりと撥ね除けて、皇帝に射殺さんばかりの視線を向ける。
「今夜です。今夜陛下とルビー殿下のお部屋を一緒にしますから、告白してください。上手くいけばもちろん閨も共にしてほしいですが、こんな殺風景な騎士団駐屯地では殿下に申し訳ないので、それは皇城に帰ってからでも結構です。とにかくしっかり気持ちを伝えてください」
「いやそれは……ちょっといきなりすぎないか」
「いきなりもなにも、殿下はあなたの妻なんですよ。最初から!」
「わ、わかったから落ち着いてくれ」
これ以上口答えをするとアーノルドが魔王にでもなってしまいそうなので、セオドアは口を閉ざすことにした。大前提として、アーノルドの言っていることはすべて正論なのだから。
そのあと小一時間ほどお説教を受けてようやく解放された。窓の外に見える演習場で賑やかに遊ぶルビーたちを見て、彼は落ち着きを失くし始めた胸をそっと押えるのだった。