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四十二話(後)

 露わになったバイホーンフィッシュの頭部に激しく動揺する住民たち。セオドアは凛とした声で混乱を制する。


「群れを率いて周辺海域に停滞していた。このクラスの討伐だと皇都からの応援が必要なうえ、作戦を立てるだけで一か月はかかる。討伐自体も全員無傷とはいかないレベルの代物だ。自らの力を使ってものの数分で征伐した皇妃の功績は計り知れない。間違いなく我が国の誇りだ」


 亡骸の引き揚げに参加した漁師たちはその存在を知っていたものの、セオドアではなくルビーが討伐したことは知らされておらず、「これを皇妃様が……。あんなに小さくて細身でいらっしゃるのに……」と驚きの声を上げた。


「実は今日の炊き出しは、このバイホーンフィッシュの身を使用しています。討伐で使った猛毒はしっかり抜いてありますからご心配なく。ベルハイム風に煮込んだ具沢山スープと、地産の海塩を振ってシンプルに焼いた焼き魚の二種類です」

「「魔物を食べるだって!?」」


 一気に騒然とする会場。

 ラングレーに魔物食の習慣などない。せいぜい中央諸国の呑気な好事家の間であるかないかといった程度だ。

 魔物は自分たちの命を脅かす存在であり、できることなら一生関わり合いたくない。そもそもいくら猛毒を抜いたと言っても、食べて安全なものなのか?

 落ち着きをなくした群衆の前を、皿を持った騎士が通る。騎士が通り過ぎた跡には食欲をそそるガーリックの匂いが残り、住民たちの目線と関心を否応なしに引き付けた。

 騎士から料理を受け取ったセオドアは一匙すくい、「ほう」と声を上げる。


「これがブイヤベースなるベルハイム料理か。ぶつ切りになっているのがバイホーンフィッシュの切り身で……漁の街サウス・ハーバーらしく貝や海老も入っているな」

「はいっ! キリル産のドライトマトをにんにくと植物オイルで炒めたところに魚介を加えてます。さっと白ワインを振っているので香りも素晴らしい出来になりました!」

「旨そうだ。さっそくいただこう」


 端整な口元に運ばれる匙のゆくえを、住民らは固唾を呑んで見守った。

 ゆっくりと味わうように咀嚼するセオドア。名残惜しそうな表情で嚥下すると、住民に向かってニヤリと口角を上げた。


「――食べた者にしか分からぬ絶品だ。世の中には珍味と呼ばれるものが山ほどあるというのに、魔物の肉だと言って食わず嫌いするのは勿体ない」

「「…………!!」」


 住民たちの喉がごくりと上下する。

 魔物のブイヤベースを食した皇帝は倒れるどころかうっとりとした表情を浮かべている。どうだ、羨ましいだろう。こんなに美味しいものを食わず嫌いなんてしたら損するぞ? と言わんばかりだ。

 続けてセオドアが手にした皿には焼き魚――焼きバイホーンフィッシュが乗っていた。


「バイホーンフィッシュの肉は弾力のある白身です。蒸し焼きにすると身がぷりぷりふわふわでたまらないですよ! 粗く削った海塩がよく合います」

「海塩もサウス・ハーバーでつくっているものだと言ったな。――うん。こちらも素晴らしく美味だ。酒がほしくなる」

「ブイヤベースの調理に使った白ワインなら残ってますよ。あっ、でも、全員分は無いかもしれませんが……」

「「…………っっ!!」」


 住民たちはもう我慢できなかった。

 皇帝みずから試食してみせたことで安全性は疑いようもなくなった。あんなに旨そうに食べるのだから、この機会を逃してたまるものかという気持ちになってくる。加えて酒は早い者勝ちというのだから、わっと調理場に人が流れた。


「はい押さないでー! 料理は十分あるから順番に配りまーす!」


 市長が荒くれ者の漁師たちに揉まれながら必死に誘導する。

 中庭にはあっという間に笑顔が広がり、あちこちでにぎやかな宴会集団が生まれた。


「こんなに賑やかな集まりなんていつぶりかねぇ。楽しいねぇ」

「しけが続いて干物ばかり食べていたから、温かい魚が食べられて嬉しいわ。身体まで軽くなるみたい」


 そんな声を聞いたルビーは、心から嬉しい気持ちになったのだった。


 ◇


 サウス・ハーバーを出発する日がやってきた。

 ルビーと住民たちの距離はすっかり埋まり、優しく親切な皇妃との別れに涙を浮かべる者もいた。

 晴れ渡った空のもと、キリルと同じように盛大な見送りを受けながら、一行は次の街を目指して馬車に乗り込んだ。


「――素敵な街でした。またいつか訪れたいですね」

「必ず来よう。サウス・ハーバーの海産物は絶品だった」

「ふふっ。陛下ってやっぱり食べることが好きですよね」


 ルビーがくすくすと微笑むと、セオドアは耳を赤くしてふいと横を向く。


「……君のせいだ。ラングレーでも美味い料理が食えると知ってしまったから」

「はいはい。次の街でも美味しいものに出会えるといいですね?」

「馬鹿にしているな?」

「まさか。わたしはただ可愛らしいお方だなと」

「かわっ……!?」


 賑やかな車内の様子を微笑ましく思いながら、御者が陽気に馬を走らせる。

 ――皇都を出てから三か月。旅の終わりは着実に近づいていた。

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