四十二話(前)
サウス・ハーバー市立病院の中庭には人だかりができていた。
数か月にわたって続いていた海の大しけが収まってから三日後。皇帝と皇妃の連名で出された『珍しい料理を振る舞うから、ぜひ食べに来るように』という張り紙を見た住民たちである。
中庭の端に設営された調理場からは、すでに香ばしく濃厚な香りが漂っている。準備にあたる騎士や市の職員が忙しく動き回って活気づいていた。
しかし、中には眉を顰める者も。
「皇妃様は毒使いなんだろう。食事をいただいて大丈夫なのか?」「治療を受けた患者が倒れたばかりだぞ。信用できない」「タダ飯が食えると聞いたから来てみたが……。いったいどんな料理なんだ?」
口々に言い合う住民たちの前に、ルビーとセオドアが姿を現した。
「皆さま。本日はお集まりいただきありがとうございます」
ルビーが深々と頭を下げると、波が引くように静けさが広がっていく。
皇妃が平民に頭を下げるなどあり得ない。これはただの炊き出しではないのではないか、という緊張感が場に張り詰める。
彼女はゆっくりと顔を上げると、集まっている住民たちを見渡した。
「わたしの力のことで心配とご迷惑をおかけしています。ほんとうに申し訳ありません。この場を借りて説明とお詫びをさせていただきたいと思います」
言葉を区切って深く息継ぎをするルビー。セオドアが彼女の背中を支えるように手を当てると、ルビーはにこりと微笑みを向けて小さく頷いた。再び前に向き直り、芯の通った声で言葉を紡ぐ。
「わたしは『毒使い』です。しかしながら、ラングレー皇国に嫁ぐまでこの力を使ったことがありませんでした。けれども陛下と出会い、新しいことをさまざま経験するうちに、かつて化け物と呼ばれたわたしでもお役に立てることがあるのではないかと思うようになりました。この旅はラングレー皇国を知る旅でもありますが、わたし自身を探す旅でもあるんです」
水を打ったような静けさ。誰もがルビーの二の句を待っていた。
「結論から申し上げると、『毒使い』の能力は、毒をもって毒を制すというものでした。わたしが内包する猛毒をもってして、それより弱い毒を打ち消すということです。これまで各地で瘴気を払えたのはそういう理屈があり、毒に侵された患者様を解毒できたのも同じ理由です」
そこまで言ってルビーは少しだけ目を伏せる。
「聖女様のように光をもって世界を浄化し人を癒すものではありません。ですから毒されていない人や物に使うとかえって害を与えてしまうことになるんです。――先日一人の患者様を傷つけてしまって初めて力の真実を知りました。改めてお詫び申し上げます」
彼女が再び頭を下げた先には、あの日吐血して倒れた女性患者がいた。患者は「もういいですよ! 皇妃殿下には十分謝罪と補償をいただきましたから」と恐れ入る。
「みんな聞いとくれ。皇妃殿下はわざわざあたしの病室まで謝りに来て今みたいに頭を下げてくださったんだ。自分のことは大丈夫だけど、入院中一人にしている息子だけが気掛かりだとお伝えしたら、寮のある学校に通わせる手配をしてくださって。もう十分ですよって言ったのに、あたしも来週には皇都の病院に転院できることになって……ほんとうに誠意ある対応をしてくださったんだよ! もしあたしの件で皇妃殿下を悪く言うやつがいたら、ただじゃおかないよ!」
患者の話を受けて、会場には小さなどよめきが上がる。
「居住地の病院では十分な治療が受けられない場合、望む者は誰でも皇都の病院に移ることができる。希望者は主治医から紹介状をもらい、市長経由で申請してほしい」
セオドアが口を開いて厳かに付け加えると、再び住民は静まり返る。
「――もう毒使いの力を使うのは止めようと考えました」
しんとした会場にルビーの声が響き渡る。
「けれども、それでは皇妃としてこの国を守れないと気がついたんです。陛下がお側においてくださる限り、わたしは皆さんのために生き、皆さんのために死ぬ責務があります。そしてそれが今のわたしにとって一番の幸せでもあるのだと。だからわたしは進み続けることにしました。口先だけではなく行動で皆さまの信頼を得ていきたいと思っています。――これからもどうぞよろしくお願いいたします」
会場の一部から遠慮がちに小さな拍手が沸き起こる。ルビーは改めて一礼し、ほっとした表情でセオドアの後ろに下がった。
「皇妃はサウス・ハーバーの民の信頼を取り戻すべく、ここ数か月の大しけの原因になっていた魔物を倒した。これを見てほしい」
セオドアが左を向くと、住民の視線も一斉にそちらに移る。大きな台車の上に何かが乗っていて、布がかけられていた。
彼の合図で騎士らが覆い布を引く。角の生えた大きな魚の頭部が現れると、会場からは「バイホーンフィッシュだ! でかいぞ!」と、どよめきと悲鳴が上がった。