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四十一話

 呪文の詠唱と同時にルビーの全身から直黒の猛毒が飛び出していく。放物線を描いて渦潮の中に吸い込まれると、あっという間に海が黒く染まり上がった。

 渦潮から絶え間なく聞こえていた低い唸り声がぴたりと止まる。やや間があったのち、唐突に渦の中心から水柱が上がった。


「ヴヴォオオオォォォーーーーッッッ!!」


 鼓膜をびりびりと震わせる咆哮。水柱の飛沫の中から姿を現したのは、額から角が二本生えた巨大な魚の魔物だった。目は人間の身体ほどもあり、体躯は大型の軍艦に匹敵する大きさだ。


「バイホーンフィッシュだ! 目が金色だから、群れの主に違いない!」


 水の音にかき消されないように、セオドアが大声で叫ぶ。腰に佩いた剣を抜いた。


「毒を封じられて怒っているのよね」


 ルビーは暴風ではためくドレスの裾を抑えながら、激怒するバイホーンフィッシュに語りかける。


「あなたたちがこの海域にいると、昔からこの土地に住んでいる人間が困ってしまうの! 陸地から離れた遠い海に移動してくれるのなら毒を返してあげられるわ。どうかしら!?」

「ヴアアアアーーアアッッ!! アアアアァァァーーーーッッ!!」


 バイホーンフィッシュは全身をうねらせて拒絶した。巨大な体躯は少し動くだけでも高波を発生させる。ルビーはセオドアに守られるようにして浜から街道へ退避した。

 猛り狂うバイホーンフィッシュの咆哮は止まらない。仲間を呼んでいるのだろうとセオドアは断じた。


「――駄々をこねるのでは仕方ないわ。わたしは皇妃としてこの国を守らなければならないの」


 そうして天を見上げると、上空を旋回するブラッキーに向かって叫ぶ。


「ブラッキー! 交渉は決裂したわ! いくわよ!」


 ダークドラゴンの存在を認知したバイホーンフィッシュはぎくりとして動きを止める。セオドアには、鱗をつたう水しぶきが冷汗のように見えた。


「ルビー・ローズ・デルファイアの名に於いて命ず」


 詠唱を始めると同時に、ブラッキーが渦潮に向かって直滑空の態勢をとる。


「我が地を侵す魔物に猛毒の審判を。――毒を持って毒を制せ!」


 言葉が放たれた刹那、ルビーの身体から猛毒が飛び出していき、ブラッキーが大きく口を広げて咆哮する。

 毒を抜かれたバイホーンフィッシュは無防備だ。上塗りされた猛毒とダークドラゴンのブレスに耐えられるはずもない。

 ――巨体は爆音と波飛沫に包まれる。「ヴワァァァァーーーーッッ!!!!」断末魔のように低い悲鳴が響き渡った。


「――やったか?」


 ルビーの前で剣を構えるセオドアが海上の様子を注視する。押し寄せては返す波が引くのを待って、二人は再び浜に降りる。

 しばらくして凪いだ水面には、ぷかりぷかりと巨体が浮かんでいた。


 ◇


「……もともとは、こんなに穏やかな海だったんですね」


 サウス・ハーバーに来てから大しけが続いていたから、目の前の穏やかな海を前にしてルビーは感嘆の息をついた。

 近づくことすら憚られた高波はさざ波の落ち着きを取り戻し、空には海鳥の親子が鳴いている。平和だった。


「これでも他国からすれば荒れているがな。……しかし助かった。これでサウス・ハーバーの民はまた漁ができるようになるだろう」


 隣に座るセオドアがしみじみと応じる。


「……君には驚かされてばかりだ。万が一の際は俺が斬り伏せる覚悟でいたが、ダークドラ……ブラッキーと連携して見事に討伐をやってのけた。騎士団の連中が見たら腰を抜かすだろう」

「逆に言えば、わたしにはこれくらいしかできませんけどね。聖女様のように皆から慕われ、癒しを与える存在にはなれません」

「自分のことを軽く捉えすぎるところだけは、見過ごせないな」


 セオドアは海を見つめているルビーの肩に触れ、自分の方を向かせた。一抹の寂しさを孕んだ赤い瞳を見据えて、その心の奥に届くようにと願いながらはっきりと言葉を口にする。


「確かに我が国は聖女を欲していた。アクアマリン王女との婚姻は失敗したが……結果的には聖女以上の存在を手に入れられたと思っている。俺は今が一番幸せだ」

「へっ、陛下?」


 真摯な表情が間近に迫る。ルビーが思わず頬を朱に染め上げると、セオドアは気まずそうな表情でぐいっと彼女を抱き寄せる。


「三秒以上顔を見るな。調子が狂う」

「あっ……はい……」


 セオドアは彼女を抱きしめたまま続ける。


「――話を戻すが。この国は特殊だ。冥府の影響で常に魔物の脅威にさらされているし、瘴気によって農作物も育ちが悪い。聖女のように護るだけでなく、ときには立ち向かえる力が必要だったのだと、君に出会って気がつかされた」

「……わたしは、少しはお役に立てているのですね?」

「少しどころじゃない。聖女よりも貴重で必要な存在だ」


 それは、ルビーにとって何よりも嬉しい言葉だった。

 自分はここにいて良いのだと。存在する意味を初めて与えられた気がした。


(昔は自分の存在意義なんて考えたこともなかったのに。――わたしも今が一番幸せかもしれないわ)


 もっとこの国の役に立ちたい。もっとセオドアを笑顔にしたい。楽しい毎日がずっと続いていけばいいのにと強く思う。

 魔の森でスローライフをしていた時とは別種の充足感をおぼえていた。


(もっともっと頑張りましょう。毒使いの力だけでなく料理も喜んでいただけているみたいだし。ああそうだわ! サウス・ハーバーでも炊き出しをできないかしら?)


 そこでルビーはふと気がついた。セオドアの肩越しに見える、海面に浮く巨大な魚の行方について。


「陛下」


 彼から身体を離して訊ねる。


「どうした?」

「あのバイホーンフィッシュの亡骸はどうなる予定でしょう?」

「ああ、そのことか。放置するわけにはいかないから騎士や漁師たちと協力して引き揚げるしかないな。焼却処分することになるだろう」

「処分するくらいでしたら、わたしにいい考えがあるのですが!」


 宝石のような瞳がきらきらと輝く。


「調理して住民の方に振る舞うのはどうでしょう!? あれだけ跳ねまわっていた暴れん坊ですから、きっと身が締まっていて美味ですよ!」

「――――は?」


 魔物を調理して食べるだと?

 セオドアは顎が外れそうになった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 今じゃアタリマエな感じですよね魔物料理。 だけど個人的には食ったヒトが魔界の何かに汚染されてどうにかなりそうな予感がします……魔物料理系の話を見る度に。
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