三話
「……えーっと。わたくしはアクアマリンでございます。なぜそうではないとお思いになるのですか?」
ルビーが訊ねると、セオドアは無言で後ろを指さした。
振り返ると、馬車の出入り口に金色の房が揺れている。
「ひ、ひえぇ………っっ!!」
素っ頓狂な声を上げながら、彼女はようやく周囲のどよめきが何なのかを理解した。
(やってしまったわ! カツラがとれてしまった! 当然事前に絵姿はご覧になっているでしょうし、別人だとお思いになるのは当然だわ……)
対面して三秒で失態を犯してしまい、ルビーの頭は真っ白になる。そもそも八年も幽閉されていたことで人間とのコミュニケーション能力はガタ落ちしている状態だ。うまい言い訳が思い浮かぶはずもなく、彼女はうなだれるしかなかった。
「……申し訳ございません。おっしゃる通りわたしはアクアマリンではございません。姉のルビーと申します」
「姉? ベルハイム王国の王女は一人のはずですが」
怪訝な表情でアーノルドが問うと、ルビーは観念したように事情を説明する。
「……ここだけのお話に留めていただけると助かるのですが、わたしは死んだことになっているのです。お父さまによれば、それが国のためになるということで」
「死んだことに? なぜ?」
「あれよという間に幽閉されましたので子細はわかりかねますが、恐らくわたしの天星が原因かと。『毒使い』であることを懸念されたのだと思います」
「毒使い……。聖女ではなく、ただの毒使いなのか……」
絶望した声を出したのはセオドアだった。
気色ばんだ表情から一転して顔色は青くなっている。
(陛下が落ち込んでおられるわ。それはそうよね。美人で聖女のアクアマリンではなくて、お呼びでないわたしが来てしまったのだもの……)
ルビーは途端に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。ベルハイムへの恩返しのつもりでやって来たものの、ラングレー皇国からしたらとんだ事態だろう。莫大な結納金を支払ったのには、それなりの理由があっただろうに。
顔色を失うセオドアとアーノルドの様子を目の当たりにして、自分がとんでもないことをしてしまったことに気がつく。
二人は険しい顔でボソボソと何かを話しあい、そしてひざまずいたままのルビーを見下ろした。
「大至急ベルハイム王国に確認を取ります。ひとまずルビー王女には離宮で過ごしていただきます」
「ほしかったのは聖女の妹だ。そなたは不要だから、妻だとは思わない」
ルビーは地面についた手でぎゅっと砂を握りしめる。
「……もちろんでございます」
深々と頭を下げて、そして顔を上げると。
そこにはもう夫であるはずの人物の姿はなく、好奇の目でこちらを見る野次馬の姿しかなかったのだった。
◇
案内された離宮は皇城の裏手にあり、大ぶりのコテージハウスといった雰囲気の建物だった。家族で暮らすには手狭だが、一人で過ごす分には十分な広さがある。
長らく暮らしてきた塔より清潔で、窓から光も入る。ルビーはすぐにこの家が大好きになった。
「ここが新しいお家みたいよ。あなたたちも長旅お疲れさま」
「チチィ~ッ!!」
ベルハイムから連れてきたポイズンラットが部屋の中を駆けまわる。
ルビーの世話をするようにとあてがわれた二人のメイドがヒィッと悲鳴を上げた。
「わわっ! わたくしはお食事の支度をしてまいります!」
「わたくしはお荷物の荷ほどきを……!!」
蜘蛛の子を散らすようにいなくなったメイドたちを不思議に思うルビー。
「あまり動物が好きではないのかしら。驚かせてしまって悪いことをしたわ」
メイドたちが活動している間は、巣穴にいてもらうほうがいいかもしれない。
ポイズンラットに大至急巣穴を整えるように言い含め、彼女は改めて室内を見渡した。
塔の無機質で冷たい石壁ではなく、温もりを感じる木製の壁。蜘蛛の巣が張った手のひらサイズの小窓ではなく、おしゃれな窓枠に嵌められた大きな窓。空の色は灰色で混沌としているけれど、なんにも見えなかった塔よりずっと気分がいい。
「……しばらくはここで暮らすのね。もしかしたら追い返されてしまうかもしれないけど、それまではこの国で知見を広めましょう。また塔に戻ることになったら、次はいつ出られるか分からないもの」
自分の処遇が気にならないといえば嘘になる。
しかしそれ以上に、ルビーは目の前に広がっている新しい世界が眩しくてたまらなかったのだった。