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三十五話(後)

 サウス・ハーバーは翌日も曇り空だった。

 瘴気の影響なのか荒れる海の影響なのか。ルビーとセオドアを乗せた馬車は濃霧の中を進み、半刻ほどで市立病院に到着した。

 ひげを蓄えた壮年の院長が出迎え、院内を案内する。病棟には包帯を巻いた患者がひしめきあっていた。


「ここ数か月で急に海のしけがひどくなりましてね、漁の最中に怪我をして運ばれる患者が増えてるんですよ。魔物でも棲みついているのではないかと噂が出る位には、異常な状況が続いています」

「確かにあのしけは異常だ。調査団を手配するよう宰相に伝えておく。サウス・ハーバーの海産物は我が国の貴重な自足食糧だからな」

「感謝申し上げます。ひいては怪我人が減ることになりますから、病院としても助かります」


 建物内の見学を終えて中庭のような場所に出ると、住民らが半円状になって集まっていた。その前には椅子に座った五人の患者が待機している。


「ご指示通りに毒が原因と思われる患者を待機させております。皇妃殿下が治癒してくださるとか」

「はい! もう耳に入っているかもしれませんが、わたしは毒使いなのです。毒を打ち消すことができるので、回復のお手伝いができるかと」


 ルビーは意気込んでいた。昨日は柄にもなく落ち込んでしまったものの、一晩ゆっくり休んだことで、すっかり気分は持ち直していた。


(しっかり解毒して、お役に立てることを知っていただきましょう! 皇妃が恐ろしいイメージのままでは陛下にも申し訳ないわ)


「あまり気負わぬように。いつも通りにやれば大丈夫だ」


 心配そうなセオドアに「ありがとうございます。では行ってきます」と返事をし、ルビーは群衆と患者の前に進み出る。

 ルビーが姿を現すと、集まっていた住民は一斉に静まり返る。恐怖と好奇心が入り混じった目を向けた。


「サウス・ハーバーの皆さま。昨日は言葉が足りず、怖がらせてしまってすみません」


 まずは住民に向かって呼びかけた。


「わたしは毒使いですが、誰かを傷つけたりはしません。キリルでは瘴気に侵された田畑を解毒したり、毒素が原因の病にかかった女性を治してまいりました。自分の力をこの国のために役立てたく、こうして国内各地を視察して回っているところなのです」


 しんとした沈黙が流れ、数多の視線が注がれる。ルビーの声や身振りや手ぶり、その一挙手一投足が衆目を集めていた。


「百聞は一見にしかずですから、今日は皆さまの前で解毒を行います。こちらの患者様は毒に苦しまれている方々だそうです」


 病院服を着た五名の患者たちは、緊張した面持ちでルビーを見つめていた。


「どうぞリラックスしていてくださいね」


 安心させるように微笑むルビー。すっと意識を集中させ、いつものように解毒に挑む。


(蛇の毒に、食中毒。魔物の毒と……怪我をこじらせて傷口に毒素が発生している。――あら? 最後の女性は毒ではなさそうね)


 一番右の女性だけ毒の気配がない。医師の見立てが間違っていると思われた。

 しかし彼女は両手を組み合わせて一生懸命に祈っている。この場にいる患者の誰よりも治療に期待しているようだった。

 事実を告げて退席してもらおうと思ったものの、その様子を見たルビーは可哀想になってしまった。


(なんだか気の毒ね。実際に効果はないかもしれないけれど、病は気からという言葉もあるし。この場にいてもらいましょうか)


 毒状態ではないから効果は無いだろうが、一緒に治療を受けてもらうことにした。

 ルビーは気合を入れ直して目を閉じる。一度に五人もの解毒をするのだからと、全力で祈りを捧げる。


「ルビー・ローズ・デルファイアの名に於いて命ず。我が猛毒を以て汝の身体を覆いつくさん。毒された民の命に灯りをともせ!」


 強い願いに呼応して、ルビーの身体から黒い疾風が発生する。

 患者たちは強い風に揉まれて慌てふためくが、白い顔にはしだいに生気が戻ってゆく。痛みや不調があった部位を驚きの顔でさすり始めた。


「嘘だろ……あっという間に痛みが引いたぞ」「蛇に噛まれた腕のしびれがなくなった……!?」


 黒い風が空に離散すると、喜ぶ患者たちの姿があらわになる。住民たちは口をぽかんと開き、信じられないものを見た表情を浮かべている。

 場はしだいに歓喜の渦に包まれる。患者たちは互いに手を取り合って喜んだ。

 ――ただ一人を除いて。


「……かはっ。……ゴホッ」


 一番右の女性患者がゆっくりと倒れ込む。口を押える手元から、こらえきれなかった鮮血がだらだらと溢れ出す。

 ぼと、ぼと、と地面に水たまりのような血の海ができる。患者の近くにいる観客が恐怖で顔を引きつらせ、そして思い切り悲鳴を上げた。


「いやーーーーっ!!!!」

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