三十四話
シルクラインでの楽しい滞在はあっという間に過ぎ去り、一行は次の滞在地を目指して出発する。
ルビーは途中途中の宿泊地で祈りを捧げ、各地の瘴気を解毒した。
その様子を目にした住民たちは「まるで聖女様のようだ!」などと歓声を上げて国王の慶事を喜び、盛大に見送るのだった。
半月ほどかけて到着した次なる視察地は、キリルの下流方向に位置するサウス・ハーバー。
その名前の通り、海に面している港町。とはいえラングレーの悲しき宿命の例に漏れず、サウス・ハーバーに面する海は年中しけ模様で、とても漁には向いていない。他国だったら捨て置かれているような海域で、わずかな収穫のために、命懸けで漁業をしている町なのである。
「うわーっ! 細かい波しぶきが風に乗って馬車に飛んで来てますよ! これが海なんですね!」
「こら。身を乗り出すと危ないぞ」
海沿いの街道からサウス・ハーバー市街地を目指す道中、ルビーは終始愉快な気持ちでいっぱいだった。祖国ベルハイムは内陸国ゆえ海がなく、目にするのは人生で初めてだったからだ。
「いや~、大迫力ですねえ! 岸壁に波が打ち付けられるとすごい音がしますよ!」
はしゃぐルビーとは対照的にセオドアは仏頂面だ。腕と足を組み、苦々しく言う。
「……ラングレーの海は特殊だ。普通の海はもっと静かだし、他国では砂浜でのんびり寝転がって憩いの時を過ごす民もいる。こんな場所で本来漁は行わない」
海のしけ模様は、数年前に来た時より酷くなっている気がした。サウス・ハーバーの漁獲量は数か月前から激減しているが、このしけでは当然だと思った。どこまでこの国はついていないのだろうとため息が出る。
「そうなんですか? でもわたし、すごく気に入りました。だってカッコいいじゃないですか!」
ルビーの興奮した顔を見て、荒波が立っていたセオドアの心は少しだけ凪いだ。
「……君はどこでも楽しみを見つけられるのだな」
ちいさな呟きは波音にかき消され、はしゃぐルビーの耳に届くことはなかった。
◇
サウス・ハーバーは街全体が細かい波しぶきのような濃霧に包まれていた。
公会堂に入ると肌寒かった外とは対照的に熱気が充満している。
「「皇帝陛下! 皇妃殿下! サウス・ハーバーへようこそ!」」
集まっていた住民に熱烈な歓迎を受ける。セオドアと順に形式的な挨拶を終えると、ルビーはわっと取り囲まれた。
「皇妃様は聖女なんですよね!?」「キリルに住んでいる親戚から聞きました! 田畑を浄化なさったのですってね!」「病気の母親も治したってのは本当ですか!? うちの旦那がこのしけで怪我をしたんです。治していただけないでしょうか!?」
「あっ、えっと……」
勢いに気圧されるルビー。目でセオドアを探すと、彼も住民たちに囲まれて身動きが取れなくなっていた。
目の前の住民たちに向き直り、どうしたものかと考える。
(――各地でも『聖女様のようだ』とお声をかけていただいたけど、ここでは本当の聖女だと伝わってしまっているのかしら? だとしたらきちんと誤解を解かないと……)
キリルにいた頃から今に至るまで、聖女ではないのにそのような扱いを受けることについて内心申し訳なく思っていたルビー。ここで一度はっきりさせておくべきだと思い、「皆さま聞いてください!」と声を上げる。
「そのように言ってくださるのは嬉しいのですが、わたしは聖女ではありません」
「そうなのですか? では、キリルでの話は間違いということでしょうか」
怪訝な顔を浮かべる住民たち。
「間違いではないのですが……。その、わたしは聖女ではなく毒使いなのです」
「「毒使いだって!?」」
途端、大きなどよめきが上がった。熱狂的な歓迎をしていた住民たちは耳を疑い声を呑む。瞳には微かな恐怖をやつしていた。
――「皇妃殿下は毒使いだそうだ」「毒使い? 聞いたことがないわね。毒を操るお力なのかしら」「聖女様と間違えてしまったことで、我々を毒で罰するのではないか!?」「おっ、俺は何も言ってないぞ! 殺さないでくれ!」
一気に混乱が膨れ上がる。
手のひらを返すように住民たちは恐怖心をあらわにした。引きつった笑顔を浮かべて「失礼いたします」と後ずさったり、何も言わずに逃げ出す者もいた。
「あ……! どっ毒使いと言っても、皆さまに害を与えるわけではなく……!」
面食らうルビーの頭は真っ白になっていた。怯えた表情を浮かべる彼らの誤解を解かないと。自分は無害なのだと説明して安心してもらわないと。
しかし突如として脳裏に両親の姿がよみがえり、怯える住民の姿と重なった。長らく塔に閉じ込められていた自分。使命感をたぎらせて塔に結界を張る元婚約者。蔑むような目つきのアクアマリン。
(――ああ、お父様とお母様が言っていたのはこういうことだったのだわ。毒使いと名乗れば皆に恐怖を与える。王族としてふさわしくないから、わたしは死んだことにされていた)
そのことは自分なりに理解し納得したつもりでいたが、こうしていざ嫌悪のさなかに立たされると、想像の百倍は堪えた。
それはきっと、このラングレーという国に愛着が湧き始めていたから。好意を寄せている相手から突き放されたような感覚に近かった。
ルビーは俯く。小刻みに唇を震わせて、必死に感情を押し殺す。
「王女! これはなんの騒ぎだ!?」
人混みをかき分けて駆けつけたセオドアに返事をすることもできず、一目散に馬車へ駆け戻った。