三十二話
いくつかの宿場町を経て、一行はラングレーの西端に位置する町シルクラインに入った。冥府や魔の森、皇城は国の東端にあるため、一気に反対側まで来たことになる。
この日の宿に到着すると、セオドアは旅隊に呼びかけた。
「キリルを出てから移動が続いていた。馬も疲労が溜まるころだから、シルクラインで数日休息をとることとする」
「「ありがとうございます、陛下!!」」
セオドアの言葉に従者たちは顔を綻ばせて応えた。
シルクラインは遥か西に位置する中央諸国へのアクセスルートになっている。つまり貿易の要となっている都市なので、皇都以上に活気があり、他国の文化が入り混じった独特の雰囲気を醸成している。珍しいお土産を購入したり、異文化の食事などを楽しむにはもってこいの観光都市なのだ。
おのおの部屋に荷物を置きに向かい、いそいそと街へ繰り出していく。みな、厳しい旅路でのなかでこの地が唯一の娯楽だということを知っていた。
その様子をにこにこ顔で見守るルビーにも声を掛ける。
「休憩地だから公務は入れていない。皇城から遠くなかなか来れる土地ではないから、君もこの機会にゆっくり楽しむといい」
「お気遣いに感謝します。ちなみに陛下はなにをなさるのですか?」
「俺か? 特に疲れていないからな……。視察も兼ねて少し街を歩くつもりだ」
「もし陛下がよければ、ご一緒してもよろしいでしょうか?」
「俺と?」
セオドアの心臓が跳ね上がる。そりゃあ形式的には妻になるけれども、どこかに出かける誘いをうけるなんて青天の霹靂だった。
「はい! わたしも元気なので外に出てみたいんですが、エマが風邪気味なので休ませてあげたくて。一人で出かけるよりも、陛下と一緒のほうが楽しいかなと……!」
「……っ!」
ピカーッと光るようなルビーの笑顔に圧倒され、セオドアは思わず胸を押さえた。
自分は武芸と仕事しかしてこなかった面白みのない男だという自覚があるので、王女が向けてくれる温かい心がこそばゆかった。
「どうしたんですか? 胸が痛むんですか!?」と慌てるルビーの声で我に返り、コホンと一つ咳払いをして居住まいを正す。
「近衛がいるとはいえ、見知らぬ街で一人は危険だ。俺が付き添おう」
「わぁ、ありがとうございます! さっそく街を歩ける格好に着替えますね!」
「あっ、おい。…………つくづく王女とは思えぬフットワークの軽さだな。そんなに楽しみなのか?」
公務ではなくプライベートだから、街に馴染む格好でないとまずい。
ルビーがウキウキしながら宿の部屋で衣服を吟味していると、「何をしているのですか?」と咳き込みながらエマがやってくる。事情を知ると、ギラリと両目を輝かせた。
「つまり、これはデートということですね? 風邪なんて引いている場合ではありませんわ!」
「違うわよ。街を歩いて民の様子を観察したり、お店を覗いたりするだけだわ」
「立派なデートではありませんか! ルビー様が嫁いでこられた直後はなんて冷たい夫なのだろうと思いましたけど、ルビー様がお怪我をなされた後からはずいぶんしおらしくなって心を入れ替えたみたいですもの。もともと能力のある御方だということは周知の事実ですから、態度を改めたのであれば、これ以上無いご結婚相手だと思うのですよ! このエマ、ルビー様の幸せのために全力で応援させていただきますっ!」
「ちょっとエマ!? 落ち着いて――」
張り切った侍女によって、ルビーはシルクラインのハイカラな町娘に仕立て上げられた。
異文化が入り交じるこの地では開放的な身なりをしている女性も多い。日ごろ着込んでいる丈長のドレスを脱ぎ去り、胸元とすらりとした膝下があらわになる涼し気なワンピースを身にまとった。
「ねえエマ、いくらなんでもやりすぎではない? はしたないと陛下が困るわ。髪だって、わざわざアップにしないでいつも通りでいいのよ」
「ちょっと静かにしていてください。髪飾りを差し込みますので」
「あっ、ごめんなさい……」
そんなこんなでルビーは服装も髪型もシルクライン風に大変身させられた。
鏡に映る別人のような自分に戸惑いながらも、夫が待つ宿の入口に向かった。