三十一話
セオドアが扉を開ける。すでに湯あみを済ませたらしくラフな室内着姿だった。ルビーも先日の反省を生かし、しっかり普段着を着込んでいる。
「疲れているところすまない」
「いえ。カリンの家から帰った後はのんびり過ごさせてもらいましたので、大丈夫です」
ルビーに椅子を勧め、セオドアも席に着く。
「わたしにお話でしょうか?」
「ああ。単刀直入に言うと、君の持つ能力について一度整理しておきたい」
「あっ……。そうですね。キリルに来てわかったことがいくつかありますものね」
自分の新たな力について戸惑う部分があったため、ルビーにとっても渡りに舟な案だった。
キリルの広大な畑を浄化できたこと。手製の菓子で毒素が解毒された件。二人は自分の意見を述べ合い、すり合わせを行った。
「――では、結論としてはこういう認識でいいだろうか。君の『毒使い』の能力は、対象物の瘴気や毒を無効化する力である。解毒と言い換えてもいい。そしてその力は、君が作った料理にも一部移行しているようだと」
「それでいいと思います。料理についてはカリンの件しか例が無いので、ちょっと信じがたい部分もありますが……」
「いや、俺はそれで合っていると思う」
セオドアは力強く言い切った。
「俺が風邪をひいたとき、食事を作ってくれたことがあっただろう? あのとき俺は、恐らくカリンの母親と同じ体験をした。食事を口にするなり明らかに体調が改善したのだ。今思えば食あたり的に毒素にやられていたか……考えたくないことではあるが、何者かに強めの毒を盛られていたという可能性もあるだろう。それが君の料理で解毒されたのだ」
「どっ、毒を盛られた……!?」
ショックを受けたように聞き返すが、セオドアは顔色一つ変えない。
「よくあることだから気にするな。たいていの毒に耐性はあるから死にやしない」
自分は前帝の一人息子だから、命を落とせば皇位は親戚か重臣に移る。明らかな暗殺未遂だけでも一度や二度のことではない。そのため幼いころから様々な毒の耐性をつけ、身を守る術を学んできた。
「――話を戻すと、炊き出しに来ていた住民も口々に『身体が軽くなった』と言っていた。これについては仮説だが、ラングレーの民は常に軽微な瘴気に当てられている。それが解毒されたと考えると筋が通ると思うのだ」
「なっ、なるほど……? 慢性的な肩こりが治った、みたいな感じでしょうか?」
「……おおざっぱに例えるとそうかもしれん」
拍子抜けするような発言を最後にして、ルビーの『毒使いの力』に関する話し合いは終了した。
瘴気や毒を解毒できること。ルビーが作った食べ物にも力は移行すること。この二点が現時点での主な能力ということで、互いの見解は一致したのだった。
自分の部屋に戻ったルビーはおもむろに窓を開く。美しい夜空が広がっていて、窓枠に切り抜かれた絵画のようだった。
(キリル滞在も今夜が最後……。いろいろな場所に行かせてもらったけど、とうていすべての街は回り切れなかった)
畑や市街地、炊き出しの会場の公園や近くの川。カリンの住む集落。見知らぬ土地に行って、たくさんの人と会話をした。初めて目にする風景を、ひとつひとつ心に焼き付けた。
行く先々でできる限り土や空気を浄化してきたが、キリルにはまだ多くの集落が存在する。そこに住む人々のことを想うと、後ろ髪を引かれる思いだった。
(……どれだけできるか分からないけど。わたしの力が役に立つのなら、みんな平等に豊かになってほしい)
頭のなかで、自分がこの旅に出た目的を反芻する。
ルビーはひざまずき、胸の前で手を組んだ。窓から差し込む月光が彼女の髪に光の輪を作る。
「ルビー・ローズ・デルファイアの名に於いて命ず。我が猛毒をもってキリルの大地を護り賜え。すべては我の愛しき民」
ごうと音を立ててルビーの身体から黒い風が巻き上がる。それは窓の外にびゅうと飛び出してゆき、空にはみるみる黒い雲が立ち込めた。ざあざあとスコールのような雨が降り始め、眩しい雷が空に走る。
静謐だった夜空が一転して荒れ模様になり、キリルの住民たちは「なんだなんだ」と窓の外を心配そうに見上げる。
ひどい嵐は一晩中続き、朝日にかき消されるようにして、ようやく収まったのだった。
◇
翌日。嵐が去った抜けるような青空のもと、ルビーとセオドアは見送りを受けていた。
「こんなに晴れたのなんて人生で初めてですよ。お二人の徳の高さを天も祝福なさっているのでしょう。わたしも住民も、陛下に着いていくという気持ちを新たにしました」
ニコニコ顔のモリーが言うと、セオドアも不思議そうに天を仰ぐ。
「我が国は瘴気の影響で曇天が基本だが……。確かにこれは珍しい」
セオドアに挨拶を終えたモリーは、ルビーの前に移動する。
「皇妃殿下。聖女のごときお力でキリルに尽力してくださり、誠にありがとうございました。ラングレーの未来は安泰かと存じます」
「こちらこそ滞在中はいろいろとお世話になりました。この国がもっと豊かになれるよう、わたしも頑張りますね!」
ルビーが微笑むと、モリーの後ろに集まっている見送りの住民たちが一斉に叫ぶ。
「「皇帝陛下、ばんざーい! 皇妃殿下、ばんざーい! 聖女様、ばんざーい!!」」
「まあ! ありがとうございます」
驚くルビーの手を取って、セオドアが馬車にエスコートする。
住民たちの感謝の声は、馬車から街が見えなくなるまで響いていた。
「わたしは聖女様じゃないのに、なんだか申し訳ないですね」
窓から後ろに手を振り続けていたルビーが向き直ると、ぽつりとこぼした。セオドアは彼女をちらりと横目で見て「そんなことはない」と言う。
「物の例えだから、あまり気にするな。それより王女。昨夜はあまり眠れなかったのか?」
「えっ? なぜわかるのですか?」
「その……目の下にクマが」
言いにくそうにセオドアが指摘すると彼女は納得する。目の下をこすりながら、ばつが悪そうな顔を浮かべた。
「クマができてましたか。……すみません。皇妃なのに見苦しいですね」
「昨夜はひどい嵐だったから、眠れなくともおかしくない。それに俺は見た目のことが言いたいのではなくて……君はそのままで十分だし……」
もごもごと口ごもるセオドアを、ルビーは不思議そうに眺める。
「陛下? すみません、車輪の音でよく聞こえなくて……」
「~~~~っ。次の街まではしばらくかかる。少しでも休め」
「わわっ!」
彼は隣に座るルビーの肩をぐいと引き寄せ、上半身を自分の膝の上に乗せた。驚く彼女から目を逸らし、ぶっきらぼうに言い放つ。
「着いたら起こす」
ルビーはセオドアの赤くなった耳を見上げて、しだいに状況を呑み込んだ。くすぐったい気持ちになりながらも、彼の不器用な優しさに感謝する。
「ありがとうございます、陛下。――ではお言葉に甘えて」
すっかりリラックスしたルビーは、またたく間に夢の中へ落ちていったのだった。




